「強いリーダーシップ」は裸の王様
- ShinShinohara
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「強いリーダーシップ」という言葉がいまだに跋扈(ばっこ)している。改革を完遂するには強いリーダーシップが、と。 しかしその言葉に踊らされて機能不全に陥る組織のいかに多いことか。それでいて「強いリーダーシップ」の演出を幹部も手助けし、現場での混乱を誰もトップに告げない。裸の王様。
2021-05-01 11:14:27「強いリーダーシップ」で象徴的なのは、大躍進時代の毛沢東。先進国並みの鉄鋼生産量を達成しようとして現場は大混乱。鍬や鍋を溶かして屑鉄を作るという本末転倒が起きた。スズメを害鳥だとして駆逐し、かえって害虫が増え、大変な被害が起きた。餓死者は数千万人に上ったという。
2021-05-01 11:18:34「強いリーダーシップ」の演出は、悲惨な結末を迎える事例が多々ある。ということは、「強いリーダーシップ」という表現は、単に独裁を好む人間に格好の口実を与える危険性がある。「強いリーダーシップ」という言葉は「格好悪い」認定して構わないと思う。
2021-05-01 11:20:46しかしリーダーシップが重要なのは確か。大躍進時代の毛沢東的「強いリーダーシップ」とは異なる、適切なリーダーシップとは何か。それは、 ・明確なビジョン と ・粘り強いコーディネート の2つではないか。
2021-05-01 11:22:46「明確なビジョン」も、リーダーが思いつきや自分の好みで打ち出すのは望ましくない。まずは組織のあらゆる人にインタビューし、組織をどう改革すべきか意見を述べてもらう。そこで口を差し挟まず、思う存分意見を言ってもらう。
2021-05-01 11:30:38すると、組織にいる人は「自分の話を聞いてもらえた」という感覚が残る。たとえリーダーの最終的な判断が違ったとしても、自分の意見がなにがしか、リーダーの考えに影響を与えたのでは、と感じることができる。すると、リーダーの発するメッセージにも納得しやすくなる。
2021-05-01 11:32:40リーダーは、組織のあらゆる部署からの意見に耳を傾けた上で、幹部数人と協議し、組織にいる人間が最も納得しやすいと思われるビジョンを提示する。そのビジョンは、今の状態からは背伸びしなければ届かないもの、けれどもう少しで届くかもしれないと皆が思えるビジョン。
2021-05-01 11:35:15話を聞いてもらった経験があるから、ビジョンの中に自分の意見の影を見る。すると、「自分の意見がリーダーに響いた」と感じることができる。すると、そのビジョンは自分のものであるかのように感じ取れる。自発的にそのビジョンを自分のものとして共有する。
2021-05-01 11:38:05それでも納得できない人はいる。リーダーは粘り強く説得する。その際も一方的に話さない。まずは相手の話を聞き、よく頷く。その上で、「あなたの言うことももっともだ。ただ、これこれこういう理由があり、どうしても手段が限られる。どうかあなたの力を貸してほしい」といって頭を下げる。
2021-05-01 11:44:22そこまでするリーダーは、たとえ意見が違っても心服する人が出てくる。どうしても意見の合わない人は、多くの人が「まあ、あの人はしゃあないな」と感じるようになるので、大勢に影響しなくなる。 こうして、粘り強いコーディネートと、ビジョンの共有により、組織がひとまとまりに動き出す。
2021-05-01 11:47:24昔の日本のリーダーは、この二つがよく理解できていたように思う。人の話をよく聞く。その上でみなに理解できるビジョンを示す。ビジョンの浸透をはかるため、粘り強く話を聞き、その上で力を貸してほしいと頭を下げる。こうして、ビジョンが組織全体に染み渡り、一つの生き物のように動き出す。
2021-05-01 11:50:12なのに今の日本人は、リーダーシップというものが何か分からなくなってしまったようだ。偉そうに命じるという表面的な見え方が「強いリーダーシップ」だと思い込んでいる人が多い。小泉改革が「強いリーダーシップ」を勘違いさせた面がある。
2021-05-01 11:53:14粘り強いコーディネートと明確なビジョン。この二つを交互に繰り返すことが、適切なリーダーシップなのではないか。コーディネートを全くしようとしないのは、現場で何が起きているのかを把握する術を自ら放棄するようなもの。「命令したら皆が従う」という表面的なことを真似るのはやめにしてほしい。
2021-05-01 12:12:47