ricky氏:流動性危機と収益性危機の峻別 ー ミクロ的な信用とマクロ的(制度的)な信用構造の違い
- motidukinoyoru
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負債は返済義務がなく、返済義務がある負債を債務という、という前提で、貨幣は債務ではなく負債だという。違うような気がする。 so-t.biz/2019/02/15/%E5…
2021-05-05 16:00:10負債と債務の区別はその通りだが、通貨(国定貨幣)に債務性はない、と高橋氏はいう。 twitter.com/ISHIZUKA_R/sta…
2021-05-05 16:02:55これをMMTといわれちゃ、かなわんような気がしますが。。。。。 twitter.com/ISHIZUKA_R/sta…
2021-05-05 22:41:23例えばさあ、トヨタの債務(電子記録債務)と町の信金の債務(預金)と、どちらが信用力がありますか、といえば、トヨタなんだけど、でも、トヨタの電子記録債務じゃ給与支払いも納税もできない。ミクロ的な信用と、制度的な、ってかマクロ的な信用構造の違いってものがMMTの論点なわけじゃないのかね。 twitter.com/wankonyankoric…
2021-05-05 23:10:09普通に考えれば、負債の償還は、ちゃんと所得なり利益なりがあれば、滞りなく済ませられる。まあ時には資金繰りにドジって黒字倒産なんてこともあるけれど、普通は利益がちゃんと計上され、純資産が十分あれば、おいらみたいなんが資金繰りを担当していても、何とかやりくりできる。。。。ってのが
2021-05-05 23:10:10標準的な考え方で、だから経済学でも負債の決済のことはそれほど問題にならず、金融危機はあくまでも「流動性危機」として語られる。 でもMMTが言っているのは、そうじゃないんだ、と。債務には「制度的な」――主観的な「信用」などではなく制度的な「信用構造」――があり、発行された債務が償還・決済
2021-05-05 23:10:10されるかどうかは、もちろん個別的な収益もあるけれど、マクロ的にそれが決済できる条件がなければならない、ということではないのかしらん。だから貨幣は単なる交換の仲立ちであってはならないし、そうであるはずもない。AがBからカネを借りてCへの支払いをし、CがDへの支払いをし、DがFへ、、、Xが
2021-05-05 23:10:11Aに支払いをし、それでAはBに返済する、、、、それを資本制経済の一般的構造として語ることは不可能だ。なぜなら、どの国でも支払いは集中する傾向があるから。これが特に顕著なのは日本で、賃金支払いや手形の決済は月末に集中している。連休直前には紙幣の払い戻しが集中し、連休直後には預金が
2021-05-05 23:10:11急増する。日本では大企業の決算が3月に集中しているから、納税時期も重なる。こうした資金スケジュールと、「AさんがCさんに、CさんがDさんに、、、」という資金の流れは両立しない。もし金利を常時安定させようとするなら、企業や個人の資金の都合に合わせて、支払いが集中するときには通貨が増え、
2021-05-05 23:10:11支払いが減るときには、通貨を減らしそれに代わる有利子負債を増やすシステムがなければ、金融システムや決済システムは安定しないか、インターバンク金利を常時ゼロにするしかない。いずれにせよ、発行した債務がきちんと期日に約定通り償還できるかどうかは、その時、償還手段がマクロ的に
2021-05-05 23:10:12入手できるかどうかにかかっているのであって、単に個々の企業や個人の収益が黒字かどうかでは済まない。こうした決済を可能にするマクロ的制度的条件がどのようにして整えられているのかを論じているのがMMTなので、モズラーがその出発点からして債務ヒエラルキー構造とその頂点にある政府中銀の
2021-05-05 23:10:12オペレーションにこだわっているのは、「債務が決済可能かどうかは、単に個々の経済主体が黒字かどうかだけでなく、マクロ的に決済が可能な条件を政府中銀が整えられるかどうかにも依っているんですよ」という話なんだと思う。レイやティモワーニュやフルワイラーがMMC時代ばかりでなく管理資本制時代
2021-05-05 23:10:12の60年代の金融危機すら、あれは流動性危機ではなく収益性危機だ、といっているのは、逆説的に、そういうことが背景にあるように思う。 流動性危機というのはあくまでも、個々の企業や個人は十分収益を上げているのだけれど、「流動性」の調整がうまくいかず、危機に陥った、という認識だ。レイや
2021-05-05 23:10:13ティモワーニュが言っているのは、そうした認識は欺瞞だ、ということだ。発生主義会計の下では投資や在庫の積み増し、金融資産の増加も利潤の発生に結びつく。設備投資は、その設備投資自体の収益性より、投資需要によって企業部門の利益を実現させる。そうやって利益が増加している間は投資は正当化
2021-05-05 23:10:13される。ところがいざその設備投資が過剰投資であり、無価値であり、その投資資金を回収することができず、負債が不良債権であることがわかったときには、つまり、実は利益など出ていなかったということがわかったときには、もはや危機の発生段階に陥っている。だから経済危機はまずは金融危機という
2021-05-05 23:10:13形態をとることが多く、それゆえ、特に管理資本制時代には政府が公共投資の増加などによって企業の収益性を下支えしたため、性格が曖昧になるが、こうした危機は決して「流動性」危機ではなく「収益性」危機だ、というのがMMTの議論なわけで、要するに、くだんの記事ではMMTが重視している実際の
2021-05-05 23:10:14生産・消費活動と、負債の発生・償還の間の関係が全く見えていないんではなかろうか、と。それでMMTと言ってはまずいんでなかろうかいな、と。。。。 (´・ω・`)
2021-05-05 23:10:14