- cornelius0321
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①私が住んでいた頃の松山には、商業用の高層ビルがほとんどなかった。1971年開店の「いよてつそごう」は当初5階建てだった(その後1983年に7階に増築、現在の伊予鉄高島屋になってからは一部9階)。ライバルの「松山三越」でも8階建てで、東京大阪のような大都市と比べていかにも寂しい。
2011-08-04 23:26:37②その三越の8階に昔、「特別食堂ルイ」というレストランがあった。私はこのレストランで生まれて初めて「ビーフストロガノフ」を食べ、あまりの美味しさに病みつきになった。今でも大好物で、東京下北沢にある日本唯一の専門店「ストロガノフ亭」にも食べに行ったほどだ。
2011-08-04 23:26:25③「特別食堂ルイ」には、小さなシュークリームにチョコレートをかけた「温かいデザート」があった。ビーフストロガノフを食べた後は、必ずこのデザートを注文した。残念ながらこのデザートの名前は忘れてしまったけど…。
2011-08-04 23:26:13④とにかく当時の三越の特別食堂には、大変珍しいメニューが揃っていた。接客も大変丁寧で、特にチーフマネージャー格の方の接客が素晴らしかった。
2011-08-04 23:26:03⑤大人になってから東京日本橋三越本店7階の「特別食堂」を訪れて、そこのビーフストロガノフ(3600円)が松山と全く同じ味なのがわかった時には、少し感動した。松山のような地方都市でも「三越は手抜きをしなかった」からである。さすが老舗である。
2011-08-04 23:25:53⑦ビルの話に戻るが、私の記憶が確かなら、それまで一番高い商業ビルが「シャトーテル松山」というホテルだったと思う。12階建てだ(現存しない)。
2011-08-04 23:25:30⑧そんな松山に14階建ての「全日空ホテル」がオープンしたのは、1979年のことだ。http://t.co/CaetlJm三越西隣の駐車場跡地に建設された。全日空系列で、洗練された都会のサービス、広くて明るいロビーとショッピングモール。当時の松山の人たちの度肝を抜いた。
2011-08-04 23:25:14⑨「全日空ホテル」の1階には高級レストランとファミリーレストランの中間くらいのカフェレストランがあった(現存しない)。ここの「ビーフカレー」がとても美味しかった。確か1200円で、牛肉がたっぷり入っている欧風カレーだった。
2011-08-04 23:25:01⑩このカフェレストランも接客が素晴らしかった。実は、隣の三越の「特別食堂ルイ」のチーフマネージャーさんが、全日空ホテルのレストラン部門の担当として転職したからである。ということで、私の中では三越特別食堂ルイと全日空ホテルカフェレストランは、1つにつながるのだ。
2011-08-04 23:24:42⑪全日空ホテルの西隣には、「四国電業」という家電量販店があった(現存しない)。ここの2階にマイコンコーナーがあって、小学生のたまり場になっていた。当時はようやく家庭用コンピュータが実用化された時期で、シャープのMZ-2000という機種が大人気だった。
2011-08-04 23:24:28⑫現在のパソコンとは比べ物にならないほど小さなメモリ容量なので、今から見るとほとんど「おもちゃ」に等しい。それでも20万円くらいの価格だった。パソコンではなくマイコンと呼ばれていた。
2011-08-04 23:24:17⑬このMZ-2000には、何と「カセットテープデッキ」が付いていた。フロッピーディスクやCDのように、カセットテープに記録されたデータを読み込むためのものだ。小学校の友達がこのMZ-2000を購入した。このマイコンでゲームをするのが、小学生たちのあいだで流行していた。
2011-08-04 23:23:59⑭四国電業のマイコンで遊んだ後、私が向かったのは三越新館の「電電公社(現在のNTT)のサービスセンター」だった。ここに、「キャプテンシステム」というのがあった。http://t.co/YZmIzO5
2011-08-04 23:23:31⑮電話回線と専用機材を使って、テレビ画面に様々な情報を提供するサービスだ。利用料金や専用機材の使用料などから実際にはあまり普及しなかったようだが、テレビ画面に映し出される情報が面白くて、夢中になった。原理は違うが現在の「インターネット」の原型に近いものだったと思う。
2011-08-04 23:23:20⑯MZ-2000も、キャプテンシステムも、1980年代初めのことだ。松山での私の乏しい個人的経験から言うと、1981年から1985年くらいにかけての頃が、通信機器が飛躍的にどんどん変わっていく基礎固めの時期だったように思う。<この話題終わり>
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