五胡十六国時代に匈奴の皇帝赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が巨大な城を築くのに使った「謎のコンクリート」の正体

石灰に水をかけて蒸気を発生させ、砂と粘土を結合させたセメント類似の工法が、漢籍に「蒸土」という名前で記録されていた。五胡十六国のひとつ夏を建国した匈奴出身の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が築いた「統万城」の歴史
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Yu_Yamaguchi_ 前漢が長安(関中)なのは、秦からの続きで、秦は考古学的に西方世界との交渉があったことが知られてます。隋・唐については、前身の北周が長安に都を置いたからですね。

2020-10-30 05:06:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国の皇帝の中には、五帝の帝舜や西周の文王が蛮夷の出身だと史書に記されてると指摘し、胡人の皇帝が中国を統治することについて、「何の問題も無い」と説明してた人がいたはず。

2019-06-21 23:15:59
今日が終わりの始まりの日 @__blind_side

今、五胡時代に関する本を読んでいるところだったんだけど、まとめ内でのその時代も中国史におけるある種のリバイバルだったという見解は興味深い。「中国」最古の鉄器が出土! 鉄の民「狄」が中原諸国を圧倒した歴史togetter.com/li/913898 @togetter_jpさん

2015-12-18 00:44:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@__blind_side @togetter_jp 五胡の皇帝たちのこんなセリフにこんなのがあります。「夏王朝の始祖の禹王は西戎出身だったし、その前の帝舜は東夷の人だったじゃないか。君たち漢人たちは何の根拠があって、中国を支配する権利があると言ってるんだ?」

2015-12-19 12:08:55
今日が終わりの始まりの日 @__blind_side

@fushunia こういう発言(意識)を踏まえたら、南蛮校尉の設置目的に東晋の統御を含んでいた五胡の国があったという件も、単純な力のアピールというレベルじゃなくて、彼らなりの歴史観というかベースがあっての政策だったのかな思いました。

2015-12-19 18:21:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@__blind_side 古典は儒家のフィルターで偏向してますが、五胡の前の西晋時代には、戦国の墓から竹簡の文献が出土するなどして史料整理が進みました。 「(西晋の学者)皇甫謐、『孟子』に曰く、禹は石紐に生まれ、西夷の人」など、現在の『孟子』から排除された記述が当時はありました

2015-12-20 00:38:04
今日が終わりの始まりの日 @__blind_side

@fushunia  『晋書』では五胡時代の支配者たちに対して漢文化への造詣が深い、博学、学問を好む、天文に明るいといった評価が下されていた点も面白いと。

2015-12-20 01:11:01
巫俊(ふしゅん) @fushunia

『太平御覧』 「蜀王本紀に曰く、秦の襄王の時、宕渠郡長人二十五丈六尺を献ず」 背の長い野蛮人を捕らえた記述がここにもありますね。

2017-06-22 23:04:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国古代の巨人伝説といえば、「龍伯国」がありまして、『博物志』には「龍類」だとあります。『河図玉版』では大秦国などと結び付けられており、ローマ人も巨人だったと考えられていました。 辞書によると、凶悪な大英帝国のことを中国語で「龍伯国」と読んだ例があるそうです。

2017-06-22 23:07:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この手の巨人伝説のうち、古いものだと、『左伝』に出てくる長狄の巨人伝説があります。後世の五胡十六国時代だと、その中に白人の集団がいて、「鼻の高い奴らを皆殺しにしろ」という漢人側による胡族虐殺事件も起こっていますが、この長狄も西北系の異民族だったようです。

2017-06-22 23:15:50
あさしん @ssassincreedo

@fushunia 巨人伝説といえば、周の建国神話に出てくる后稷が誕生する際、帝嚳の妃だった姜原が”巨人の足跡を踏んで身ごもった”とする話が史記(だったか)に出てきますが、これも周の設立過程における周辺民族との関係を暗示させるものでしょうか。

2017-06-22 23:20:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@assassin__p 姜は、羌族出自の女性を示す言葉ですので、はっきりしない感じもしますが、気になるところですね

2017-06-23 00:25:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

昔の講談社現代新書だと、『征服王朝の時代』は、漢帝国などの中国王朝を「自明のもの」とした上で遼・金・元の征服王朝があったというその当時の新事実を語ってますが、その本来あるべき「中国王朝」すら、自明のものでは無かったってことが、見落とされてると思います

2021-05-16 20:51:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国時代や征服王朝(遼・金・元など)の本を読むと「固有の存在の漢族」が想定されてる印象がありまして何千年と続いてきた「農耕民族」の漢族がいたところに、征服・浸透(五胡は征服王朝とは区別され、浸透王朝と評価されている)が起こったと評価されてきたのではないかと思います。

2021-05-16 20:59:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

最近の中国古代史では、「民族」という言葉が避けられているのですが、中国中世史では事情が異なるのか、「五胡」に民族と言う言葉を今でも使用するようですそれだけ漢代までに成立した「漢人」との「違い」が明確だったからだと思いますが、「漢人」の起源も周代までに複数の集団が融合したものです

2021-05-16 21:03:19
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