偽嘘氏との会話

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@lie_____

@Taroupho 東氏の本を拝読していないので乱暴なのですが、なんで郵便的という、可能性、他者性をとりあげた人間が理論的援助したカスウ・が中学生みたいな「ネット」と「アート」の分断を克服する(=定義しようとする志向)とかいいだしたんでしょう、素朴に。

2011-08-07 08:58:18
@lie_____

という郵便はとどかないかもしれない(!)。:P

2011-08-07 09:02:45
@lie_____

@Taroupho うーん、なんか考え始めたらモヤモヤモヤモヤしてきたので、増田に、すいませんモヤモヤモヤしたままなんですがバババっとかきました。僕はデリダの郵便がぬけてるのがイタタなんですが。 http://anond.hatelabo.jp/20110807101715

2011-08-07 10:33:00
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ 増田読みましたけど、うみゅー、当方は狭義のアート畑の人間では無いですからねぇ。郵便的とか、特に全然関係ないと思うのですが……。仰ること自体は尤もかと、当方も思います。言い方は悪いですが、彼らのしていることはネットのネット性を率先して殺しているようにしか……。

2011-08-07 23:48:48
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ 個人的には、カオスラの面々がコンスタティヴに何を主張し、何を創作しているかと関わりなく、現に二次創作やネットのコミュニティーを攪乱しえているという効用の面を評価したいです。このことは確かに、一般的意味における文化発展に寄与する点があるでしょう。

2011-08-07 23:53:59
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ 皮肉なことに、それはアートの文脈における効果というよりは、ただネット上のコミュニティーに作用し、彼らの基盤を問いかけ、また燃料を投下するという、普通の意味での「攪乱の効用」としての役割しか果たしていないと、門外漢のぼくには見えるのですが……。

2011-08-07 23:57:50
@lie_____

@Taroupho や、ありがとうございます。郵便については宿題で、今度かえったとき本かってみます。(関係ないですがYouTUbeにあるデリダのビデオで彼がsitcomを見るのを止めて宿題と本を読みなさいというところが…いいですね)。

2011-08-07 23:58:47
@lie_____

@Taroupho そうですね、その点では村上隆より面白みがありましたよね。

2011-08-07 23:59:28
@lie_____

@Taroupho 少なくとも初期のころにはそうしたコミュニティと共闘していく感じだったのでしょう。

2011-08-08 00:00:35
@lie_____

@Taroupho 結局カオスラウンジ宣言が全部ころしちゃったわけですね。一般的な文化の発展に寄与ということはもっともですね。ネットは芸術より文化という言葉で説明するほうがしっくりきますね。

2011-08-08 00:04:29
@lie_____

@Taroupho アートの文脈での彼らの価値はもう全くないですね。結局ネット性のところに執着して、自分たち自身がネット性のもとに(思想的にも)発展していければ、単純な切り絵作業から脱していけたのかれません。例えば徹底して匿名でやればよかったのかも。

2011-08-08 00:09:33
@lie_____

@Taroupho でも彼らはそういうところに気付いてないでしょうね。あたたかい言葉でご説明いただきありがとうございました。

2011-08-08 00:11:45
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ アーキテクチャと言うなら、不完全なものであれ、何かネットの枠組みの中で成立するマッシュアップ的なサーヴィスを作って、アートだと言い張ればよかった気がするのですがねぇ。彼らの内にプログラマーが居なかったのは、かなり致命的だったのかも知れません。

2011-08-08 00:14:04
@lie_____

@Taroupho 全くその通りです。メディア・アーティストを取りこめなかったのは決定的失敗です。IAMAS(日本のメディア・アート教育のある意味本丸)の学生とか、まきこめればよかったのですが。

2011-08-08 00:18:40
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ 結局、彼らの文脈はどこにも求められないですね。アートの文脈の中にも、ネットの文脈の中にも、彼らの居場所は無いわけでしょう。最近はもう説明放棄しちゃってる感がありますし、このままでは成るようにしか成らないのではないですかね。とても残念なことですが。

2011-08-08 00:22:06
@lie_____

@Taroupho 一応、私は芸術畑のほうなので、ひとことだけ。コンテンポラリー・アートの社会的役割は批評性に集約されると思います。どんなに下手くそな絵だろうがなんだろうが、全体主義に対峙できる(可能性を持つ)アートの力はすごいなと思います。

2011-08-08 00:23:10
@lie_____

@Taroupho そうですね。その両者の文脈はもうないですね。あるとすれば、先ほどおっしゃってた文化の話になるでしょう。

2011-08-08 00:24:04
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ 普通に素人質問なのですが、その「批評性」というのは、作者ないし批評家が言説において作品を意味付けすることを指すのでしょうか?

2011-08-08 00:30:00
@lie_____

@Taroupho そうではないです。作品そのものが批評になります。哲学における言説と同じですが、アートはもっと広い平面で仕事をします。いや、空間的(spatial)にといったほうが適切かもしれません。

2011-08-08 00:34:18
@lie_____

@Taroupho アートはエクリチュールとして仕事できますから。

2011-08-08 00:35:34
TANI_Röhei@赭埴庵 @Taroupho

@lie_____ なるほど、イメージは分かります。その辺りは結構難しい問題を孕んでいる気もしますが、まあ言葉としての批評のみを特別視する必要は別段ないのかな、とも。その水準において、カオスラの方々は失敗したのでしょうねえ。そのことを批判できる身分ではないですが、悲しいことです。

2011-08-08 00:44:11
@lie_____

@Taroupho 私たちは野次馬としてある一つの社会的事象を理解しようとしているわけですから、別に批判する必要はないと思います。今回もお話させて頂いて本当に助かりました。

2011-08-08 00:49:19
@lie_____

@Taroupho アートの批評性については私の身体感覚で。私はメルロ・ポンティとか、デリダのforgivenessの話とか好きなのですが、言葉で説明しきれないところまでグググッとつっこんでみようという哲学の先鋭的姿勢は、アートにもありえると思います。「説明」ではなくて。

2011-08-08 00:54:45
@lie_____

@Taroupho 哲学をやっておられるかたには失礼なものいいかたかもしれないのですが…。すいません。

2011-08-08 00:55:25
@lie_____

@Taroupho 「別な仕方で」あるもので、だから両方のディスクールが交錯することが互いに刺激を与えているのだと思います。

2011-08-08 00:59:10
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