とある地方の夢の跡のおはなし

@tsuchie88氏が語るある一地方を翻弄した時代の流れ、あるいは「データセンター今昔物語」。
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(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

さて、ちくわぶの地元をDisる作業に戻る

2011-08-08 19:52:48
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

80年代に大企業が、印旛沼とか日鋼町みたいなクソがつくド田舎に、むやみやたらに巨大なデータセンターを建設したのかというと、単純に金が余っていただけというわけではない。特に金融では、80年代には金融商品の大衆化が進行し、リテールビジネスのために巨大な基幹系システムが必要になった

2011-08-08 19:58:48
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

例えば、土地開発で突然巨額のあぶく銭が転がり込んできた個人も多かったわけだが、こういった個人をいち早く把握して、壷を売りつけるには、口座の金の出入りを把握しておく必要がある。しかも個人単位ではなく、家族単位となると従来の基幹系システムの仕組みだけでは足りない

2011-08-08 20:00:14
もするさ§( •̀ᴗ•́) @mosurusa_0806

@tsuchie88 それでもリクルート事件で日本の情報化は10年~20年遅れてしまったとされている。

2011-08-08 20:00:16
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

CIFの話でもちょっとしたけど、こういった情報系システムの拡充や、増大する個人取引に対応するために80年代には大手銀行は第三次オンラインシステムの構築を一斉に行う。銀行だけでなく、証券、保険も同じ話で、電算化が遅れていた協同系や郵貯も本格的なオンライン時代に突入する

2011-08-08 20:02:34
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

ところが、当時のコンピューターというのは現在からは考えられないくらい貧弱なものだった。80年代初頭には、高速なマイクロプロセッサを搭載したUNIXが登場していたが、まだまだ用途はサイエンスやエンジニアリングに限定されていて、一般用途ではせいぜい周辺制御系に使われる程度だった

2011-08-08 20:04:15
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

では、商用計算機の実情はどうだったか、というと圧倒的にメインフレームとミニコン(オフコン)の時代だった。ミニコンは、70年代からメインフレームの穴を埋める形で成長していったが、80年代にはメインフレーム級の構成も登場するようになって、コンピューター市場全体の成長を支えた

2011-08-08 20:07:10
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

一方で、メインフレーム市場はというと、今から考えると見る影もないが、IBMと国産三メーカーが国際市場でも互角に戦っていた。特に、富士通と日立は、IBM互換のアムダールをベースにシステムを開発していたので、海外市場でも一定の顧客を持っており、gcosベースのNECも高速だった

2011-08-08 20:13:15
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

なぜ、国産メーカーが勢力が強かったかというと、半導体技術とコストの問題である。当時は、半導体のテクノロジドライバはDRAMに代表されるメモリーであり、メモリーで償却した生産設備で、ロジック回路を作っていた。低価格で、高品質なLSIを使って、メインフレームを安く売っていたわけ

2011-08-08 20:15:40
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

話が脱線したが、メインフレームに限らず、当時のCPUみたいな高速なロジック回路に使われるデバイスは、ほとんどがバイポーラトランジスタを使用したECLだった。メインフレームCPUのアーキテクチャは、現代的なマイクロプロセッサと異なり商用的に必要とされる命令群をハードウェアで実装する

2011-08-08 20:18:29
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

そうすると、必然的にプロセッサの回路規模は巨大なものとなるし、ECLで高いクロックで駆動させるようになると、プロセッサには大量のLSIが必要となるし、消費電力も膨大となる

2011-08-08 20:19:28
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

問題になるのは、冷却能力と電源供給能力である。発熱量の大きいLSIが大量に存在すると、これを効率よく冷却するために巨大な冷却装置が必要となる。HPCでは、70年代末に登場したCray-1がフロンガス冷却を採用していたが、メインフレームも似たいようなものだたt

2011-08-08 20:22:13
こばんざめ @kz0217

@tsuchie88 水冷式のパソコンを自作したヤツが知り合いにいましたな・・・

2011-08-08 20:23:16
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

フッ化炭素系触媒や水冷まで幅があったが、この頃のメインフレームの大半は巨大な液冷式冷却システムを備えたもので、システム自体が巨大というだけでなく、冷却システムを駆動するためのユーティリティが必要不可欠だった

2011-08-08 20:23:59
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

さらに、電源という観点だと、大量の電力を消費するLSIの安定稼動には、大量の電源装置が必要となり、それらも凄まじい熱を発する。80年代のメインフレームは、こういった理由で今から考えられないほど、とてつもなく巨大だった

2011-08-08 20:26:31
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

ところが、70年代までは企業の情報システムというのは、本社の適当なフロアに置かれるか、別館と称した普通のビルに置かれることが多く、最初からコンピューターを設置することを前提に設計された建物にあったわけではない

2011-08-08 20:28:21
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

一方で、コンピューターは処理装置だけでなく、テープライブラリと言った記憶媒体やレポーティングに大量のプリント出力が必要で、とにかく設置面積が大きい。当時は、HDDの容量が低い上にデータ通信回線は貧弱だったので、テープ媒体でデータ交換やデータ保存の必要があったので尚更である

2011-08-08 20:32:14
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

80年代に、大企業が情報システムに対して投資を行う際には、メインフレームを設置するだけのデータセンターを確保する、というのが至上命題だった。それには、広大なフロアが必要だったが、土地狂乱の時代にはバックオフィスはいざ知らず、本社の土地を確保するにも苦労する時代だった

2011-08-08 20:36:39
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

一方で、物理媒体に依存していた時代だから、どうしても本社や支社との情報のやり取りには都心との交通アクセスが重要になる。ちょうど、産業構造の変化で都市周辺部のニュータウン開発や、大規模工場の地方への移転が発生して、広大な土地が確保できるようになった

2011-08-08 20:38:57
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

ここに巨大なデータセンターを建設しはじめたのは、無限に上昇し続けると思われた土地を、安価なうちに確保しておくと言う恐怖心からといってもいい

2011-08-08 20:39:40
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

バブル期の土地狂乱の説明で、単純に住宅用地や再開発による本社オフィス用地の確保という理由付けが不十分なのは、こういったバックオフィス用地の確保のために、都市周辺部の土地も合わせて上昇した、という実情の分析が欠けているからだと思っている

2011-08-08 20:41:27
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

その後の状況に関して言うと、土地狂乱はバブル崩壊によって収束していったが、バックオフィスに必要な土地面積も、技術革新で実は減っていった。昨日の番組でも、準メガとはいえども、データセンターのフロアがスカスカだったことに気づかれただろうか?

2011-08-08 20:43:01
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

90年代には、メインフレームの処理能力が飛躍的に上昇し、従来よりも少ない台数で基幹業務を補えるようになっただけでなく、デバイス技術の発展でメインフレームプロセッサはワンチップ化され、素子もECLからCMOS化されて消費電力が劇的に減っていった

2011-08-08 20:45:02
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

典型的な例でいえば、メインフレームではなくHPCだが、NECのSX-4はある種のターニングポイントになった機種だ。SX-4は、CMOS化されたCPUを持つスーパーコンピューターで、本格的なマルチCPU時代の先鞭を付けたシステムだった。初めて空冷かされて、ユーティリティも削減できた

2011-08-08 20:47:12
(๑╹◡╹๑) @tsuchie88

そして、システム全体の設計もモジュール構造となり、発熱が減ったことにより、メインボードも高価なセラミック基盤が必要なくなった。モジュール化されたことで、専用のセンターなら巨大な開合部、商用ビルなら隔壁を破壊して搬入する必要がなくなり、貨物用エレベーターで輸送可能な大きさになった

2011-08-08 20:49:28