なぜ中国があの大きさでまとまり続けようとするのか
中国もあるタイミングで五代十国のように、ヨーロッパ式の相互依存中小国家群として安定する可能性はあったんだよね。でもそうはならなかった。
2021-05-28 07:28:59軍閥割拠の時代が定期的に訪れても、だいたい100年もすれば再統一されるのは「バラバラなままだと諸外国(草原の民含め)に蹂躙される」と理解してるからで、そのへんは中華の民は賢いですよね
2021-05-28 07:31:11その上で、ヨーロッパでローマ崩壊後に大統一が起きなかったのは、7世紀のアラブイスラム帝国や11世紀の十字軍、オスマントルコやソ連といった脅威が持続しなかったからなんだろなと。
2021-05-28 07:43:36@Tamejirou キリスト教という宗教面で統一された感 イスラームと言う外敵に晒されてたのを東ローマ帝国と言う防壁があったからこそ西欧はお互いに闘ってたのかもしれない
2021-05-28 07:46:47@babanred 対比して儒教圏を置くと、ベトナムや朝鮮半島まで緩やかな同教連合体とも言えるし、防壁のおかげで内輪もめと言えば遼や金が健在なうちの北宋がそうですかね。
2021-05-28 07:49:13@Tamejirou ですよね 中国は長く北部との戦いでしたし南部や西部(地形的にも)や東部は心配いらなかったですしね 驚異があるからこそまとまる部分もあるのかも 薄れると内輪もめはご愛嬌
2021-05-28 07:55:00@babanred 東部や南部に対する同化・征服は周代に始まって、皮肉にも中原を逐われた六朝期に完成したというべきですかね。
2021-05-28 08:01:16@Tamejirou チワン族ぐらいですかね清王朝になっても独自の文化的な側面を持ちどの王朝でも扱いに苦戦してたのは そういう意味では?始皇帝の統一的な政策はやはり大きかったのかな?無かったら爆裂してたのかも知れない
2021-05-28 08:03:06@babanred 董卓や馬超なんかはある意味、西北部からきた征服王朝的な側面はあったと思いますね。純然たる漢民族内の内輪もめと見るのはどうか。
2021-05-28 08:03:28@Tamejirou 皇帝自体は変わってないですし内輪もめの範疇かな 董卓を入れると安禄山の乱は征服王朝的なものになりますし 王朝によっては外国人を積極的に採用したりしてますしね
2021-05-28 08:08:55@babanred 董卓には簒奪の意図はなかったんですかねえ。 あと、安史の乱は個人的には「本来が異民族王朝である唐の中で、別の異民族が王朝を立てようとして失敗した」とも解釈できると思っています。
2021-05-28 08:12:22@Tamejirou 簒奪の意図があれば少帝を暗殺する前に王莽みたいに露骨にやってる気もする 乗っ取るのならわざわざ少帝を暗殺する意味がないですからね まぁ、暴君になってしまいましたが時代が時代なら宰相的な地位で私腹を肥やすのに精を出してたのかもしれない よくあるチャイナの歴史
2021-05-28 08:18:32なぜ脅威が持続しないかというと、近代以前のヨーロッパが物産に乏しく、征服欲がわかなかったのではと。穀倉地帯エジプトや黒海沿岸を押さえていたら、わざわざヨーロッパの痩せ地を征服する意味は薄かったからではないか。
2021-05-28 07:57:5770年で崩壊したとはいえソ連はガチの脅威だったから、「千年帝国」やNATO、EUといった組織が生まれる下地になった、と解釈している。
2021-05-28 07:59:11大本に立ち返ると、中国が曲がりなりにもあの領域での統一体を指向する理由は、肥沃さと物産の豊かさ故に北方民族や西欧諸外国からの侵略圧が桁違いだからではないかという話です。
2021-05-28 08:17:28実際に北宋末も明末・清末~近代も分裂するたびに諸外国に付け込まれてるので、外国人に蹂躙されるくらいなら多少弾圧があろうと自国内で完結した政体を維持したいと考えるのは尤もかな、と思った次第です。
2021-05-28 08:21:04@Tamejirou ローマ教皇という宗教的権威が別にいたのと、神聖ローマ帝国という疑似統一帝国が存続していたこと、各国の王家が血縁関係を結びすぎていたことも原因だったのではないかとも思いますね。
2021-05-28 08:38:20