潮木守一『キャンパスの生態誌』読書メモ

「われわれはとかく「大学」という名前にまどわされ、昔から今日までずっと同じだったと思い込みがちであるが、それは間違いである。」
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かんた @0sak1_m1d0r1

大学ってなんなんだろう、と思って読んだ。「もともと大学は研究するところ」とばかり思っていたけど、歴史を振り返ると様々なかたちの「大学」があったのだと知る。 時を超え場所を変え大学の歴史を追う四章までが特に興味深かったけど、五、六章でも重要な問題提起がされていたし、 pic.twitter.com/zeBY2keCrS

2021-05-30 02:37:26
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かんた @0sak1_m1d0r1

不思議と筒井康隆『文学部唯野教授』を思い出した。1年の頃『文学部唯野教授』を読んで、あぁ大学教授だからという理由で敬わなくてもいいんだなぁ、とおもった思い出。

2021-05-30 02:39:42
かんた @0sak1_m1d0r1

あり余るエネルギーの持主を何の義務もなく責任もなく、ただ遊ばせておくほど危険なことはない。それではどうしたらよいのか。その解決方法は学校にやることである。働くかわりに、学校で勉強するという義務を課することである。 (潮木守一『キャンパスの生態学』23)

2021-05-26 13:51:30
かんた @0sak1_m1d0r1

要するに教師の命令を学生がどれほど忠実に守ったか、それが問題なのである。大学が定める通り、規則正しく勉強しているかどうか、怠けていないかどうか、教師の支持をしっかり守っているかどうか、それをチェックするとしたら「復唱という方法は一番かなっていた。 潮木守一「キャンパスの生態誌」26

2021-05-26 14:02:46
かんた @0sak1_m1d0r1

ゆたぼん的な、余りにゆたぼん的な

2021-05-26 14:03:57
かんた @0sak1_m1d0r1

教師の朗読を一字一句ことごとくノートに書きとめるばかりか教師が気まぐれに発するダジャレまでノートにとることがいかに無意味に思えようとも、そのことが、いやそのことだけがエリートにつながる細い道だとしたら、「おとなしく」それに耐えるほか道はなかった。 潮木守一「キャンパスの生態誌」52

2021-05-26 16:31:44
かんた @0sak1_m1d0r1

東京帝大と京都帝大の卒業名簿の記載法が違ったのは面白いな。東大は成績順。京大はいろは順。

2021-05-26 16:35:09
かんた @0sak1_m1d0r1

よく「大学とは研究の場」ということが言われるが、少なくとも近代日本にとっては、この「大学は研究の場」という定義のしかたは、初めから自明のことだった訳ではない。現に先に引用した菊池大麗は「人格育成と学問の教授の間」を目指すといっていたではないか。 潮木守一『キャンパスの生態誌』61

2021-05-26 16:51:35
かんた @0sak1_m1d0r1

しばしば明治期日本は欧米諸国の大学を参考にしながら、日本独自の大学を作りあげていったとされているが、もっと重要なことは、その参考とすべき欧米の大学がまさに大きく変わろうとしていたという事実である。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』64)

2021-05-29 00:53:47
かんた @0sak1_m1d0r1

ホールは研究を一種の宗教だといっている。さらには研究は人間最高の使命だともいっている。先ほどのインタービューの中でも彼はいっているが、ごく小さな新事実でも発見することを通じて、そこに「論理的、心理的覚醒」がおこるとも彼はいっている。さらには

2021-05-29 01:03:15
かんた @0sak1_m1d0r1

「研究こそわれわれがもって生まれた呼吸であり、生きた空気」だとも主張する。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』70)

2021-05-29 01:04:41
かんた @0sak1_m1d0r1

一九世紀のドイツの大学に起きた一大変革とは、こうした形での「研究と教育の統一」、「研究を通じての教育」であった。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』75)

2021-05-29 01:15:37
かんた @0sak1_m1d0r1

これはまるで化学を教える時、実験装置、実験器具を学生に実際に使わせ、さまざまな化学物質の性質を、学生自身の手で確認させていったのと、全く同じことである。つまり歴史学も自然科学と同じスタイルで教育され、訓練され、研究されるようになった。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』78)

2021-05-29 01:22:01
かんた @0sak1_m1d0r1

理系の研究室(システム)を元に文系のゼミナールのスタイルが出来たというのは面白いな。

2021-05-29 01:25:57
かんた @0sak1_m1d0r1

講義に熱中する彼には時計の針さえみえなかった。だから彼の講義は時間をオーバーして、延々と続くことがあった。それでも聴講生は席を立とうともしなかった。さらにはまた彼は講義の最中でもかまわず、感激のあまり涙を流した。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』88) お、おう…

2021-05-29 14:26:41
かんた @0sak1_m1d0r1

このようにドイツの大学では、教室、講義室はしばしば教授のイデオロギーの宣伝の場、教授の抱く政治的信条の告白の場となった。さらにいえば「政治的アジテーション」の場となった。こうなれば、学生たちが教授の影響のもとに、さまざまなイデオロギー・セクトを結成し、

2021-05-29 15:01:39
かんた @0sak1_m1d0r1

それを拠点として活動するようになるのは当然のことである。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』101)

2021-05-29 15:02:25
かんた @0sak1_m1d0r1

トリビア スタンフォード大はもともと資産家のスタンフォード夫妻が15歳で亡くなった息子さんのモニュメントとして設立したらしい。だから正式名称は「リーランド・スタンフォード・ジュニア大学」。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』より)

2021-05-29 15:16:31
かんた @0sak1_m1d0r1

つまり分かりやすくいえば、ドイツ流の考え方でいけば、「教室の外では制約があるが、教室の中こそ自由」。これに対しアメリカ流の考え方からすれば、「教室内でこそ制約があるが、教室外では自由」。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』119)

2021-05-29 15:44:48
かんた @0sak1_m1d0r1

大学といい、教育といいながら、教える者と学ぶ者とは、まったく異なった価値の中に住んでいる。それぞれまったく異なったライフスタイルを求めようとしている者同士が、教室の中で出会わなければならないところに、現代の大学の悲劇があるのであろう。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』128)

2021-05-29 16:18:24
かんた @0sak1_m1d0r1

「弟子」である以上、その教師の方法とかアプローチを踏襲するのが当たり前ということになる。あるいは逆に院生の方が指導教官の不得意な方法論を使い出すと、指導教官が指導できないから、やりっぱなしになる。 (潮木守一『キャンパスの生態誌』178)

2021-05-30 02:19:59
かんた @0sak1_m1d0r1

「自動車学校」→徹底的な知識の詰め込みによって学生のエネルギーを勉強にとじこめようとする。 「知的コミューン」→教師と肩を並べ、未知の世界、未知の知識を求め、勉強・研究をする。 「予言共同体」→青年の内面に眠っている情念に、熱っぽい講義、演説で呼びかける。学生運動などにつながる。

2021-05-30 02:32:21