映画レビュワーのシネマンドレイク氏が語る日本社会と中立論者について
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どこへ行っても、SDGs、SDGs、SDGs…。だからこそこのドキュメンタリー。「持続可能」という言葉は机上の空論に陥りやすく、科学的な立証も困難で、そして開発して利益を得たい側に都合よく悪用される恐れがあるのです。 『Seaspiracy 偽りのサステイナブル漁業』感想 ↓ cinemandrake.com/seaspiracy
2021-05-28 07:05:00そんな中、日本政府が商業捕鯨を再開したというニュースを目にし、居ても立っても居られず、その渦中にある和歌山県の太地町へ飛びます。ここからはさながらスパイ映画のような潜入の緊迫感があります。たぶん私たち日本であればこんな映像は撮れないです。なぜならこれは外国人だからこんなにも不気味に監視されるためです。
太地町ってこんな物々しい空気になっているのかと驚いた人も多いのではないでしょうか。作中ではドルフィン・プロジェクト創設者のリック・オバリーが、日本による反捕鯨勢力の排除を指摘し、暴力団も右翼も政府も漁師も町中が監視していると語ります。
作中ではなぜそこまでしてイルカを殺すのだろうとアリが疑問を抱くシーンがあります。シー・シェパードのタマラ・アレノヴィッチはペストコントロールを関係者は理由にしていると語ります。
とくに欧米人が日本文化を攻撃しているという論調が強まり、ゼノフォビアも相まって地方コミュニティは疑心暗鬼になり、そこに右翼系の人たちも嬉々として参戦し、いつのまにやら愛国心の問題にすり替わってしまいました。
捕鯨問題に関しては、仲良く双方と向き合って議論しましょうみたいなドキュメンタリーが日本でもいくつか作られて公開されてきましたが、私は力の不均衡や権力の介入がある時点で中立な議論なんて紛いものだと思いますし、この問題はもはやそういう次元にはないのだと考えています。

ラスベガスでゾンビ・オリンピックを開催します。何が何でもオリンピックをやりたい人たち(通称:ゾンビ)が集まり、三密状態でひしめき合う一大イベントです。ルールは無用。中止もないし、あとは屍になるだけ! 『アーミー・オブ・ザ・デッド』感想 ↓ cinemandrake.com/army-of-the-de…
2021-05-23 07:05:00ただ、一方でそんなフェミニストたちにもフェミニズムを掲げているがゆえの苦労もあることが、彼女たちの口からこぼれてきます。
その一番の苦難は、フェミニストというだけで嫌悪感を持たれること。
差別主義者の人たちからの攻撃は別にして、なんでもない一般的な人からも距離を置かれることもあり、男女平等を支持する人でもフェミニストを名乗ろうとする人はあまりいないという実情も。
少なくとも言えるのは、“女性への偏見”に挑んでいるフェミニストは、“フェミニズムへの偏見”にも挑まなければいけないということ。バッシング覚悟でリスクを抱えて活動しているのがフェミニストの勇気でもあります。だからこそ称賛されているのですが。
しかし、フェミニストが社会を大きく変えてきたのは紛れもない事実です。なにか文化革新が起こった時、そこにはフェミニズム運動が並行していました。そのムーブメントがなければ、世界は抑圧的で閉鎖的な傾向が強まるばかりだったでしょう。
今の私たちは過去のフェミニストの先人たちの活動を足場にして恩恵を受けて生きています。女性も、男性もです。では今の私たちは未来の世代のために何ができるでしょうか。
「女らしく」でも、「男らしく」でもない、「自分らしさ」を追い求めること。そう考えれば、フェミニズムも身近に思えてきませんか?

BBCが制作したヤクザ物語は、日本の古臭い社会から抜け出そうとする男と女に「それは恥じゃない」と語りかけてくる。 ⇒ ドラマ『Giri/Haji』感想(ネタバレ)…イギリスが作った仁義なきヤクザ物語 cinemandrake.com/giri-haji
2020-09-29 07:01:22『Giri/Haji』を観ていると、日本人以上に日本(もっと言えば日本社会)を的確に風刺している面がチラホラ見えて、さすが日本にも精通しているBBCなだけはあるなと思いました。
そしてもうひとり本作には忘れてはならない女性がいます。健三の娘である16歳の多喜です。彼女は家で同級生の男子に性的に詰め寄られ、反撃ということでハサミで刺し、そのまま退学になってしまいます。本来は多喜の方が被害者のはずなのに、なぜか辱めを受けたうえで追い打ちを社会に加えられる…まさに性犯罪に無頓着な日本社会の犠牲者です。
これが日本なら「まだ裁判中だから推定無罪だし…」などと言う中立論者が湧いてきそうなところ。けれどもそういう問題ではない…裁判の結果がどうであろうと「声をあげた被害者」の苦悩は動かぬ事実。
日本ではアニメや漫画のキャラクターを起用したポスターなどの広告が「セクシュアル・オブジェクティフィケーション」として批判を浴び、炎上することがたびたびあります。無論、これはフェミニストの暴走でもなく、オタク文化が集中的に虐められているわけでもなく、日本特有の現象でもありません。世界中でいろいろな媒体で同様の批判は起こっています。
『キューティーズ!』は観ていて他人事ではいられなかったと思います。日本でも未成年のアイドルを水着姿で踊らせるのが当たり前に行われ、そんなアイドルに憧れる少女たちが生まれています。ネットにアクセスすれば、容易に性的なアピールを肯定するコンテンツにたどり着けます。構造は同じ。
こういう戦争系の作品(実写でもドキュメンタリーでも)に関してよく「中立的かどうか」をやたら気にする意見が目立つことがあります。
全ての国や思想の立場を盛り込むのは、少なくとも限られた時間の制約がある映像作品では無理な話です。そういうのは教科書などに求められることでしょう。
むしろ「中立」という言葉を悪用して両論併記を押し付けることで、さも自分たちが対等であるように見せるという、歴史修正主義者にとって都合のいい言葉になりつつあります。歴史は人それぞれの解釈があっていいなどという、暴論すらも堂々と居座ったりも。
だからこそ今の時代はとくに、映像作品に求められるべきは「中立」ではなく「事実」です。ポスト・トゥルースの現代、事実としての歴史に向き合うことがかつてないほどに私たちの使命になっています。
しかも、本作ではこの性犯罪事件から、日本という社会全体が性犯罪被害者の居場所を奪い、加害者を擁護し、性犯罪を助長していることを浮き彫りにしていきます。そこには日本人が見てみぬふりをしてきた実態があって…。
ひとつ重要なことを言えば、本作は「BBC(英国放送協会)」の作品だということ。イギリスで2018年6月に1時間番組として放映されたのですが、日本国内ではしばらく正規に視聴する手段はなく、やっと2019年になってニコニコ動画等で一部ネット配信されました。日本でこのような作品が作られるどころかすぐに配信もされないという事実がすでに“性犯罪をタブー視する”日本の傾向を物語っています。