「反出生主義」を論破してみる(再掲・追記あり)

反証できないのは「反出生主義が正しい」からではなく、そもそも「反証可能性が無い」だけ。
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よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

近ごろ、「反出生主義」なるものが盛んに唱えられているようだ。 簡単に言うと、「生きることは必ず苦痛を伴うので、子供を産むことは本人の同意なく苦痛を与えることになり、すなわち悪である」という考え方だ。

2020-06-14 20:35:55
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

これは「暴論だ」とか「カルトだ」などと一言で片づけられるようなものではなく、実際に英国で2016年1月に「反出生主義党」という政党が正式に誕生するほどだ。

2020-06-14 20:36:16
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

近年の反出生主義についてはデイヴィッド・ベネターの著書『生まれてこないほうが良かった 存在してしまうことの害悪(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)』が大きく影響しているらしい。

2020-06-14 20:36:25
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

今回はベネターを含めた反出生主義者たちの主な主張について反証していこうと思う。

2020-06-14 20:36:31
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

まず、ベネターら反出生主義者たちは「(たとえ本人が幸福だと感じていても)実際には生きることは幸福よりも苦痛の方が多い」と主張する。 その理由として、ポリアンナ効果(人は一般に肯定的な評価を好んだり、ネガティブな経験は思い出しにくい)を挙げている。

2020-06-14 20:36:37
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

それを踏まえた上で、現実に世界の人々の幸福度は高いのか低いのか。 国連が毎年発表している、「世界幸福度報告(World Happiness Report)」を見てみよう。

2020-06-14 20:36:43
リンク Wikipedia 世界幸福度報告 世界幸福度報告(せかいこうふくどほうこく、英語: World Happiness Report)は、国際連合の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する、幸福度調査のレポートである。この調査における幸福度とは、自分の幸福度が0から10のどの段階にあるかを答える世論調査によって得られた数値の平均値であり、主観的な値である(データはギャラップ社によるもの)。報告においては、この幸福度を、GDPや健康寿命を含む6つの説明変数を用いて回帰分析し、各説明変数の寄与を求めて分析している。 初回の報告書は、201 6 users 119
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

これを見ると、調査対象の156ヵ国のうち半分以上の国で人々の幸福度(「自分の今現在の主観的な幸福度は0~10の数値で表すといくつか」を答えたもの)は真ん中の5よりも高くなっており、幸福度の世界平均は5.45であると分かる。 先進国では7前後から8に近かったりと世界平均よりも高い数値だ。

2020-06-14 20:36:50
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

その世界平均値は年によって大きな差は無いことを考慮すると、今後生まれてくる子供についても、平均的にはそれと同程度の幸福度を得ることが期待される。

2020-06-14 20:36:55
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

その5.45という数字のうち、幾分か(「0.45を超える」と主張することになるだろうが)は「ポリアンナ効果によるもので、ただの思い込みに過ぎない」と反出生主義者たちは主張しているわけだが、本人が主観的に「幸福だ」と感じているのなら、(たとえ思い込みであっても)それでいいのではと思う。

2020-06-14 20:37:00
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

「本人が幸せを感じているのはただの思い込みに過ぎず、実際は不幸なのだ」という主張は、一部の(「女性の自立」を標榜する)フェミニストが専業主婦に対しておこなっているものと重なる。

2020-06-14 20:37:05
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

だがそういった主観的幸福度の否定行為を認めると、「幸福」の定義を第三者が都合よく決定できることになってしまい、反証可能性を喪失させ議論の価値そのものを失墜させることになるので、意味は無い。

2020-06-14 20:37:10
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

ただ、世界の平均的幸福度に対する反論として「世界の人々のうち大抵の人は幸せになれるとしても、不幸な人生を送る人も必ず生まれるので、出産をしないことにより不幸な人が生まれることを回避すべきだ」と主張する反出生主義者もいる。

2021-06-01 01:43:36
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

それについても、人の価値観というものはそういう風にはできていないと言える。 例えば、家から出て買い物に行くと交通事故に遭う可能性があるが、それを理由に買い物に全く行かない人が多数派かというとそうではない。

2021-06-01 01:43:41
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

つまり買い物に行くために家から出ても、交通事故に遭う確率は低い、と判断されているわけである。 そういう、ある事象が起きる確からしさのことを法律の世界では「蓋然性」と呼ぶ。

2021-06-01 01:43:47
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

人を傷つけるなど、他人の権利を直接的に侵害する行為以外にも「違法」と規定されている行為が世の中にはある。 例えば、車の運転時にスピード違反をしても、ただそれだけでは誰かを傷つけたりしたわけではないが、事故を起こす蓋然性が高いと判断されているため違法とされている。

2021-06-01 01:43:51
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

通貨を偽造しただけで実際に使ってはいなかったり、薬物や武器を隠し持っていたりしただけでも逮捕されるのも、犯罪につながる蓋然性が相当程度に高いと判断されているからである(危険犯)。

2021-06-01 01:43:57
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

一方、ただ単に「子供を産んだ」というだけでは、その子が不幸な人生を歩むことになるという蓋然性が高いとまでは言えない。 反出生主義者の言う「不幸な結果になる蓋然性が高くなくても、その確率がゼロでない限り避けるべきだ」という価値観は、少なくとも世界で一般的なものではない。

2021-06-01 01:44:01
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

そもそも反出生主義者自身が、蓋然性の高低を考えず自分に不幸が降りかかる恐れがゼロか否かで行動を決定しているかというとそうではない。反出生主義者だって交通事故に遭う可能性がゼロでなくても買い物に出かけるのだ。

2021-06-01 01:44:06
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

ではなぜ反出生主義者は出産だけを蓋然性の考慮対象から外しているのか聞いてみても、論理的な回答は返って来たためしが無い。 「反出生主義とはそういうものだから」と言うのがせいぜいのようだ。

2021-06-01 01:44:12
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

(念のため言っておくと、「例えば金持ちなど、子を産んでもその子が不幸になる蓋然性の低い人なら子供を産んでもいい」と主張するのは反出生主義ではなく優生主義であり、全く別のものである)

2021-06-01 01:44:18
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

反出生主義者の「出産は産まれてくる子どもの許可も無しに強制的に産まれさせるという意味で人権侵害だ」という主張についても同様である。 反出生主義者は自身が書いた文を読んだ人に「あなたに私の書いた文を読ませてもいいでしょうか」と許可を事前に得てから書いたことは無いはずだ。

2021-06-01 01:46:44
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

そのような事例はこの世に無数に存在する。 私が登山をすると、道行く人が私に「こんにちは」と声をかけてくれる。だがその人たちは私に「挨拶をしてもいいでしょうか?」といちいち許可を取ってはいない。 私が「できれば挨拶はしたくない」と思っているかも知れないのにである。

2021-06-01 01:46:56
よっしー758(=元ナンパ師) @yosshi758

街のエレベーターで他の人と同乗した時、私はエレベーターのボタンを押してあげることもあれば、押してもらうこともある。 だがその時にいちいち「ボタンを押してもいいですか?」と許可を取ることはない。 相手が「ボタンを押されたくない」と思っているかもしれないのに、である。

2021-06-01 01:47:44