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NHK( #nhk ) 「コクリコ坂・父と子の300日戦争」 ◆駿 vs 吾朗

駿 vs 吾朗 (途中まで) 再放送のときの感想(番組前半の感想も取得できています) http://togetter.com/li/176916 番組HP: http://cgi2.nhk.or.jp/navi/futari/index.cgi ---------------------------------------------------- 2chの感想 続きを読む
NHK コクリコ坂 ジブリ
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arupaka @komakusaryama
駿「少しはおびやかせよ。こっちを。それだけです」 吾朗「死ぬなよ」 #nhk
arupaka @komakusaryama
試されているのは必ず締切を守るという監督しての覚悟。 駿「先頭をきってやるしかないんです。…。どんな方法でも、やるしかないんです。自分の人生のためにやるしかない。選んできたんだから。そういうふうに。」 #nhk
arupaka @komakusaryama
RT @ooyachin 生産点は放棄しちゃ行けない。締め切りは守らなくてはならない。大震災の時の宮崎駿談。こういう自治体に陥ったときに日本が耐えられる映画を作れるかどうかだから。戦争を経験した世代の言うことは骨太。 #nhk
arupaka @komakusaryama
休業に駿さんは反対した。「生産現場ははずれちゃだめだよ」◆スタッフ「それで混乱をきたす」駿「なにが混乱を招く。締切まもらなきゃ。こういうときに神話をつくるんだよ。多少揺れれても作画してたと」→出社に。差し入れ配る駿。 PC作業は夜間に。 #nhk
arupaka @komakusaryama
3月すべての絵コンテを書いた吾朗さん。9月の公開にむけて追い込みにはいった。そして、3月11日。東日本大震災。 3月14日、余震の恐れがあるためスタッフは自宅待機に。スタッフは緊急ミーティング。計画停電が不安視されていた。PC作業のため。混乱さけるため3日間休業に #nhk
arupaka @komakusaryama
ごろうさんは歯を食いしばるため歯を抜いてからの作業となった。 #nhk
arupaka @komakusaryama
キャラクターを動かすでなく寄り添う。 そのころ駿さんは悲しい別れを経験していた。後輩の飯田さんだ。そして駿さんの自身の身にも老いがおしよせてた。「来年70歳になる。僕の経験によると70は違いますよと先輩たちがいてきた。体調面とか状況はもう許さないとこきてる。難しいよ」 #nhk
arupaka @komakusaryama
ごろうさんは3年間企画を出し続けた。そのとき駿さんからでてきた企画がココリコ坂だった。はやおさんが脚本、ごろうさんが監督。 駿さんは鈴木さんの依頼をことわらなかった。主人公が悩みながら自分をみつけいく自立のドラマだった。 #nhk
arupaka @komakusaryama
はやおさんは動揺していた。 自分の作品を息子がどうみていたか、があらわれていたからだ。 はやお「真正直に真正面に描いているのはわかるが…」 #nhk
arupaka @komakusaryama
はやおさんは一切口出ししなかった。 監督に、冷ややかな目も。素人に絵コンテをきれるのか?やれるものならやってみろ。公園設計は空間能力はいかせた。しかし、それだけでは十分でなかった。試写会へ。はやおは試写の途中で席をたった。映画は駿さん作品を思い起こさせるもの多かった #nhk
arupaka @komakusaryama
ごろう庭の仕事をいかしたジブリ美術館からゲド戦機へ。 ゲド戦記「一回だけ」 駿さんは猛烈に反対した。監督は半端な作業でない。おまえにできるのか?吾朗さんは駿さんに一枚の絵を渡した。駿さんはだまりこんだ。 #nhk
arupaka @komakusaryama
鈴木さんに9がつにゴーをだす。 駿「きちんとふとんをたたんであげおろしを毎日するだけで、全然違う。はつらつがでる。 鈴木さんごろうに伝えてくださいよ」 鈴木「ふとんのあげおろし…」 ごろう「あげおろしは隣で妹がいるのでしない…」→あげおろしすることになった。 #nhk
arupaka @komakusaryama
手掛かりをつかんだ吾朗さんは発想が次々にでるようになった。 #nhk
arupaka @komakusaryama
会話のスピードをあげたり、主人公のキャラクターづくりにごろうさんは奔走する。 翌朝、はやおさんから一枚の絵が届いた。「大股でまえのめりに歩く海ちゃん。」はつらつさとは何か?キャラクターに命を服こむとはなにか?作業が一気に動き始めた。スタッフ「海ちゃんが違う。明るい…」 #nhk
arupaka @komakusaryama
ごろうさんは高校生のころ母にアニメーションやりたいといった。しかし、答えは「才能がいる厳しい世界だから…」だけだった。 ごろうさんは父とできる限り離れた世界に進むしかないと思い始めた。 #nhk
arupaka @komakusaryama
高校生ころ吾朗は父と同じアニメーションの世界で働いてみたいと思った。42歳駿。転機。カリオストロの城が興行的に失敗。オリジナル作のナウシカにとりくんみはじめた。その後、駿は時代の人監督へ。しかしそれが吾朗に「何々さんの息子さんなのねぇ」が枕詞に。「本人でなく父見てる」 #nhk
arupaka @komakusaryama
吾朗は駿が仕事で忙しくなった時期から事実上母子家庭に。 #nhk
arupaka @komakusaryama
駿→RT @nowshika: 「やりたいのと、やれるのとは違う。」 そのとおりなんだよな・・・・。 #nhk
arupaka @komakusaryama
駿「むいてないんだって。 演出に。 鼻血がでるまでやる。 それでも、芽が出ないややつのが多い。」みたいな。 駿「ここにあった近藤君の絵、吾朗の絵を元に書いたの。最低だ。」 #nhk
arupaka @komakusaryama
RT @ine419 吾朗は、主人公のキャラクター設定に迷いが。絵コンテを見た駿は「世界が固まってないんだよ。あんなフヌケた絵を描いてちゃダメだ」と。見抜かれてる。 #nhk
arupaka @komakusaryama
鈴木プロジューサー「(吾朗さんに)このままでは公開できない」 #nhk
arupaka @komakusaryama
駿「はずせ。これは死んだ人を思ってる顔だよ。もっとはつらつとした顔だろ」 #nhk
arupaka @komakusaryama
駿「わたしは長嶋監督や野村監督のようになりたくない」 #nhk
arupaka @komakusaryama
吾朗「ここで失敗したら後がないんですよ。」 #nhk
arupaka @komakusaryama
場面の設定は登場人物のせりふは駿さんが書いている。 #nhk 吾朗さんは、絵コンテを作る。 #nhk
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コメント

eggs @eggs14 2011年8月10日
スタジオジブリは宮崎駿(たまに高畑勲)の作品を作る為に生まれ、二人が居なくなれば一度終わる。 息子であろうと、ドキュメンタリーがいかに感動的だろうと「後を継ぐ」事など不可能。
いけたく @iketa93 2011年8月21日
重複分がけっこうあったので削除しました。