ゲームセンターの成り立ちと、薄暗かったわけ

70年代〜80年代のアーケードゲーム開発者へのインタビュー本を執筆されている「ぜくう」氏によるゲームセンターの成立過程の解説。
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ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

私は人生で2度カツアゲを喰らった。町田一小の傍にあったアニメイト前、2回目が『いこい』(タイトー系)2Fで中学の時にダダンダーンを友人とプレイしている最中だった。顔とか軽くパンチされた。94年ぐらいの話でもまだそういう輩は居た。西友の屋上、トポスの屋上がカツアゲのメッカとされていた。👊 twitter.com/Pologoccha/sta…

2021-06-03 21:12:48
ごろりン @Pologoccha

昔のゲーセンって不良がウロウロしてたみたいな都市伝説をよく聞くけれど、少なくとも自分が子供の頃(チョー大昔)には見た事なくて、学校の先生がゲーセンに近付けさせない為の方便だと思ってる 真面目にさ、プリクラやUFOキャッチャーやりたさに子供から金を脅し取る不良だなんて想像できないじゃん

2021-06-02 20:29:54
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

そもそもアミューズメント業界の構成として、当初は反社会勢力などとの繋がりも深かった。これは興行と芸能もそう。メーカーの出自も様々で、任天堂は花札/トランプだけど、ナムコの木馬と金魚すくいは的屋に近い。車輌や重機といった所もあったし、セガとタイトーは2大外資として業界に君臨していた。

2021-06-03 21:19:28
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

タイトーはウォッカの醸造と卓上ピーナッツ自販機から初めて、セガはジュークボックスで大きくなった。両社が水商売と深く関わったのは因縁を超えた必然。今から50年以上前は“機械屋”と呼ばれた娯楽産業の銀行の貸付信用度は丙種でこれは水商売と同じ。故にお金を借りるのに苦労したと伝えられます。🤔

2021-06-03 21:32:01
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

1970年代まではバーやスナック。店内のカウンター、店の隅には多くの場合ロタミントがあった。ロタミントは西ドイツの賭博機で、摘発されるなどして逮捕者が出ても水商売文化の一部として連綿と設置され、当局のスルーも多かったようです。子供用に見えるメダル機も設置場所によっては賭博機でした。🪙

2021-06-03 21:35:52
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

スペースインベーダーが登場し、ブームが巻き興ります。この震源地が当時10万店あった喫茶店やスナックであったことと連動します。インベーダーの出現がゲーム業界というものが形成される第一歩となりますが、良からぬ輩も多く居た界隈にあって何が起こったかというと、機械の奪い合いが始まりました。

2021-06-03 21:39:56
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

インベーダー以前はそれでもディストリビューターである問屋と、小売店のオペレーターという境界線がハッキリしていました。ブームが始まって一斉に機械が欲しいという状況になると、他業種から参入してきた業者が流通を無視したり、黙ってコピーするメーカー、許諾を取って複製するメーカーと様々。👾

2021-06-03 21:44:19
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

前段のブロック崩しもあったけど、インベーダーによって喫茶店やロケにテーブル型の導入が増えていく。以前は立ってプレイしていたものがうつむくようになる。そうすると蛍光灯の反射によって天板が光るので照明の光量を落とすことになる。ゲーム場は必然的に暗くなる。暗くなると何が起こるのか?🤔

2021-06-03 21:50:27
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

暗くなったゲーセンで学生服の若者たちが人だかりを作ってプレイしていると、それはまるで店中がカラスの溜り場のようであったといいます。非行の温床的イメージが造成されていったし、実際に暗く如何わしい雰囲気、不良少年たちの遊び場になったのは間違いないでしょう。当時は24時間営業が主でした。

2021-06-03 21:55:35
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

スペースインベーダーは1978年6月の発表を経て、自社ロケ&大手ロケを通じ7月からアップライト型、8月からテーブル型を発売。夏休みの終わりから秋口に掛け人気に火が点き、タイトーも急遽、米国版スペースインベーダーMを逆輸入するなどの措置を講じ、申し出のあったメーカーに製造許諾を与えました。

2021-06-03 22:00:49
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

インベーダーブームのピークは1979年3月~5月とされ、金銭の盗み、恐喝、台の窃盗、モラルなき業者の跋扈、未成年の深夜の遊興。社会問題化してきたので警察庁が業界団体に働きかけ、6月2日に自粛宣言が発令されます。突然のブーム終焉は高値掴みした業者を倒産させ、当のタイトーも痛手を負いました。

2021-06-03 22:05:42
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

インベーダーブームの終了は1979年6月~7月とされます。みんな大儲け出来たのか? と言えば、オペレーターもそれ迄は大した売上にはならないし、収支もおざなりに付けていたものが、ブームにより各地の税務署で厳正な調査が行われ、遥かに増えた納税額で殆ど利益が残らなかった業者も出たそうです。😢

2021-06-03 22:09:06
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

スペースインベーダーの終局により、タイトー自身も暫くはそのハードウェアでの開発を余儀なくされました。市場にはテーブルがたくさん残ります。1970年代のエレメカ式ゲーミング機について前述しましたが、その潮流に取って変わったのがポーカー賭博機です。これは裏のブームを巻き起こしました。🃏

2021-06-03 22:12:12
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

ポーカー機も当初はロタミントと共に場末の遊興に過ぎませんでしたが、硬貨投入式であったものに紙幣識別機を付けたところ爆発的な人気を呼び、これは1981年に裏のムーブメントになりました。それに対してパチンコ遊技組合が警察に摘発を請願する程です。ポーカーゲーセンには暴力団の関与も太かった。

2021-06-03 22:16:39
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

青少年の溜り場、ポーカー賭博機の流行という要素は、ゲーム場の風営規制対象化の大綱の根幹になりました。ポーカーや花札に使われるギャンブルマシンも、パッと見は同じ普通のテーブル筐体ですから。コンパネと基板を代えるだけですぐに賭博に転用できると法改正に向けて台は利用されてしまいました。

2021-06-03 22:21:19
ぜくう@誰がパックマンを描いたのか 山下正 伝(委託) @Area51_zek

1984年8月14日「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」が公布され、翌1985年2月13日に施行。かようにしてゲームセンター界隈周辺にはアウトサイダーは多く居たし彼らを惹き付けた。法改正はメーカーにひらかれたアミューズメントを創造する為の努力を促すことになり今日に至っています。🙇‍♂️

2021-06-03 22:27:13

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