清浄野菜について

29
まとめ 野菜の清浄化の歴史 野菜の清浄化の歴史 寄生虫から農薬へ?まとめました。 18799 pv 210 46 users 9
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

・清浄野菜の記憶 東京と神奈川の境、多摩丘陵。のどかな農村と、開発住宅地が共存する土地の片隅に「清浄蔬菜」なる単語を掲げた廃屋が残っている。「清浄蔬菜(野菜)」とは、単に「きれいに洗った野菜」ではなく「化学肥料で栽培した野菜」をさす。なぜそんなことを明記する必要があったのか(続) pic.twitter.com/e4h3UqXw60

2021-06-05 21:01:02
拡大
拡大
拡大
拡大
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

ご存じの方も多いと思うが、日本ではつい最近まで野菜の栽培に「下肥」という人の糞尿を発酵させて作った肥料を長い間用いていた。一昔前まではトイレの桶や槽に溜めたし尿を農家や専門の業者が買い取ったり、畑の近くに肥溜めがあって香ばしい臭いを漂わせているなんて光景がよく見られたものだった。

2021-06-05 21:04:04
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

江戸時代はこれがうまくかみ合い、世界有数の大都市だった江戸が下水処理施設がなくとも衛生事情が非常によかったのは有名な話。し尿を畑に使うと言ってもそのまま畑にそそぐわけではない。肥溜めで寝かし、発酵作用と熱によって始めて肥料となるわけだが、むろん衛生であることに違いはなかった。

2021-06-05 21:08:32
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

また、当時の日本人の多くは蟯虫や廻虫などの寄生虫に罹患しており、その原因は寄生虫の卵を含む便から作られた下肥を使って野菜を栽培し、そしてそれを食べて、さらに感染を広げ…という堂々巡りだった。この状況が変わったのが、第二次世界大戦が終わって日本に進駐軍が来た昭和20年代だった。

2021-06-05 21:10:51
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

それまで日本人は日常的食生活で生野菜を食べる文化がほぼなかった。一方で欧米圏ではサラダなど生野菜を食べることが普通であり、当然進駐軍の人々は生野菜を食べたがった。しかし、日本にある野菜のほとんど下肥が使用され寄生虫に汚染された野菜。いくら洗ってあるからと言って食べたくはない…。

2021-06-05 21:14:42
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

接収したホテルや国鉄食堂車では「日本産野菜は出すな」と使用品目から外され、はじめは海外から輸入していたという。だが、手間がかかるし、第一生野菜は傷みやすい。一番困ったのはレタスだった。当時は冷凍技術がまだ未熟で、冷凍船でレタスを運んでもとても生で食べられる状態ではなかったそうだ。

2021-06-05 21:17:40
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

進駐軍は「下肥を使わず、化学肥料によってのみ栽培された野菜」を育てることを奨励した。これが「清浄野菜(蔬菜)」だった。日本で野菜の生食文化が浸透したのはこの清浄野菜の栽培が進んだ昭和20~30年代のことであり、地方にまで根付くのはもっと時代が下った昭和後期まで待たねばならなかった。

2021-06-05 21:19:31
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

昭和24年に東京で清浄野菜販売店が登場し、昭和30年代にはドレッシングが販売され始めた。昭和29年の『栄養と料理』では厚生省により下肥を使った野菜を生食する危険性を訴える記事が掲載され、翌年には国が各都道府県に「清浄野菜普及要綱」を通知した(画像:栄養と料理 デジタルアーカイブズより) pic.twitter.com/xpWVH58m1z

2021-06-05 21:25:25
拡大
拡大
拡大
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

昭和中~後期頃、八百屋さんやスーパーに行くと「清浄野菜」などと印字されたポリ袋に入った野菜がよく販売されていた。時代が下り、下肥を使った野菜の栽培そのものが消えていった頃、「清浄野菜」という言葉は自然消滅した。分ける必要がなくなったからである。

2021-06-05 21:31:30
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

多摩丘陵に残る「平清浄蔬菜共同集荷場」は、そんな戦後の野菜農家さんの事情が垣間見える遺構だ。建物の中には4つの水槽が残っている。近所の人によれば、かつてはここに大根やキャベツ類の野菜を並べて土を洗い出荷したとのことだった。水槽には今も裏山から湧水が流れ続けている(訪問2019年10月) pic.twitter.com/AKEEmiE5fK

2021-06-05 21:37:00
拡大
道民の人(廃墟・ひなびた風景) 名古屋コミティア(3/24)E-48 @North_ern2

(時間差攻撃) 自然消滅した清浄野菜と下肥。しかし、時を経て彼らは帰ってきたのだ。「有機野菜」「無農薬野菜」などと名前を変えて…。時代と共に要求されるもの、問題となるもの、注目されるものは変わる。そしてそれらに翻弄され続けるのは人たるものの運命なのかもしれない。深夜の追記でした。

2021-06-06 00:43:11