2021年6月6日

巖谷國士★瀧口修造をめぐるツイート

巖谷國士さんの瀧口修造をめぐるツイート集です。適宜リプライも追加します。巖谷さんのツイートの書籍化、『ナジャ論』復刊、ランボー『イリュミナシオン』の翻訳・註解の刊行を切望しています。
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巖谷國士 @papi188920

泉の側にいる勇気。そうかもしれません。★の場合は20歳で瀧口修造と出会ったとき、勇気が出たのだと思います。泉の側にいる誰かと出会うことが、人生を変えます。それ以来、泉のそばにいる人をすぐ判るようになり、出会いが出会いを生みました。肩書や専門や身分などと関係のない、自由な人間同士。★ twitter.com/antjegummels/s…

2022-08-27 03:10:51
巖谷國士 @papi188920

旅先で訃報を聞き、葬儀や追悼会に出られなかった友人といえば、瀧口修造、澁澤龍彦、堀内誠一、武満徹、武田百合子、木葉井悦子、扇田昭彦、など。あまりに旅の多かった人生のせいかもしれません。★ twitter.com/OchiMikiko/sta…

2022-08-15 00:38:12
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 そういうことでしたか。さっきツイートしたけれど、ランボーにも、瀧口修造にも、写真的本能はあった。本来はだれにでもあるはずです。★

2022-07-30 15:38:20
巖谷國士 @papi188920

@AntjeGummels ご存じだと思いますが、瀧口修造にも信頼されていて、生涯オブジェをつくりつづけたアーティストでした。★

2022-07-24 00:10:46
巖谷國士 @papi188920

瀧口修造は「種まき」というよりも、もっと自然な感じで、出会いを出会いにしてくれたようです。「出会いに気づく」ことがないと、出会いにはならず、友人は生まれませんね。アンティエさんとも、★は出会いました。★ twitter.com/AntjeGummels/s…

2022-07-09 13:40:52
巖谷國士 @papi188920

当り前のことですが、友人を友人として重んじる、という生き方をしてきただけです。年齢差も、上下関係も、職業別なども、関係ありません。1963年、瀧口修造はもう60歳でしたが、20歳の★を友人として遇してくれました。あのときの解放感、自由の実感を忘れません。要は「出会い」の感覚でしょう。★ twitter.com/AntjeGummels/s…

2022-07-09 13:13:21
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 オブジェと美術品は、できれば囲まれていたいので、あちこちに雑然と置いてある。1000点単位であるかもしれない。蒐集志向はまるでないので、買った物はほとんどなく、贈られた物、縁のあった物、拾った物ばかり。瀧口修造の書斎にちょっと似ているが、瀧口さんほど物を大切にしない。数も多い。★

2022-06-21 13:15:30
巖谷國士 @papi188920

森の仕事場に看板はないけれど、玄関から入って最初の扉にはこんなポスターがあります。瀧口修造の覗いているフィラデルフィア美術館の「デュシャンの扉」はカタルーニャから運ばれたもの。森では扉の向うに、デュシャンの《遺作》があるとはかぎりませんね。★ twitter.com/antjegummels/s… pic.twitter.com/0Vrcg4N9jr

2022-06-18 22:02:36
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巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 若いときだけです。富山の眼科医だった瀧口修造の父の書斎には、「白樺」がそろっていたので、少年期によく読んでいた。その後はシュルレアリスムに目ざめたが、ブレイクへの関心だけは生涯つづいた。「白樺」の柳宗悦を通じて知ったのでしょう。★

2022-06-16 21:32:29
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 白樺派の作品はともあれ、善意と理想主義は社会に必要なものでした。瀧口修造も影響をうけている。東京の大学に入った年に関東大震災。退学してブレイクやモリスの書をもって北海道、小樽にのがれ、開拓地の代用教員になろうとしたのも、それですね。小樽に近いニセコには有島武郎の農場があった。★

2022-06-16 11:23:21
巖谷國士 @papi188920

菊地信義のすばらしい装幀アート。古井由吉の小著『往来』をこのように装本して、中央の紙には火で点々と孔をあけ、自作の平面オブジェとした。瀧口修造の前例を意識していたのではないか。菊地に没後をまかされた「一の弟子」水戸部功氏に見せてもらった。追悼エッセーではこの特装本にも触れたい。★ twitter.com/papi188920/sta… pic.twitter.com/BHzRRwkKWz

2022-04-24 17:49:49
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巖谷國士 @papi188920

@RUmoto0808 オリーヴにも、個性ゆたかな古老がいますね。瀧口修造の庭のオリーヴも、あるじとよく対話をしていました。地中海世界を想います。★

2022-04-24 17:27:20
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 いや、これは紙箱で、黒。表紙は白の端正なフランス装。櫻井久さんの装幀で、世界書物展に出て評価されたというが、あまりにシックなせいか、初版で終りました。瀧口修造生誕100年出版だったのに、書評はあまり出ず、インターネットに乗らなかった。★

2022-04-17 18:30:23
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 瀧口修造は土方巽や唐十郎の公演や、加納光於や野中ユリなどの個展のあとに、安い飲み屋に集まって、朝まで。そんな折でも★は一対一で話しこんだ。若い集団のなかで瀧口さんはひっそりしていた。カフェは待ちあわせに使うくらいでした。★

2022-04-17 18:01:34
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 Wikipedia 巖谷國士に、ある時期までの著書リストはあるでしょう。最近のならMont Analogueのサイトに。封印された星』は20年前の本で、装幀があまりに美しすぎたせいか売れずに絶版になりましたが、箱の貼り絵は★に贈られた瀧口修造の作品(デカルコマニー)です。★ pic.twitter.com/sT5VJxCEi3

2022-04-17 17:51:42
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巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 瀧口家には1人で呼ばれることが多かったが、はじめは野中ユリと、★が結婚してからは妻とのことも。そういう個人・個人の関係の集合が、瀧口修造の晩年の「シュルレアリスム運動」に見えた。その間の経緯は『封印された星』だけでなく、ご存じの絵本『扉の国のチコ』にも書きました。★

2022-04-17 17:38:18
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 あ、トキワ荘などと違うのは、瀧口修造のアトリエは椅子が少なく、せいぜい3人くらいまでの客だったこと。★はたいてい1人だけ招ばれていた。瀧口さんは person to person が基本の人でした。だから集団の回想は少ない。『封印された星』などに書いているけれど、伝わっていないのかなあ。★

2022-04-17 16:48:30
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 60年代までは、こんな人たちのつどう世界があった。瀧口修造の西落合のアトリエもそうでした。妖精世界めいていた。★

2022-04-17 16:31:29
巖谷國士 @papi188920

これも展示作品から、北代省三の撮った写真らしい。茫漠とした浦安の風景は瀧口修造の「戦後」に対応しているかもしれない。この人に初めて会ったとき、口もとにちょっと志村喬に通じるものを感じたが、二度目からはその印象が消えた。比類のない風貌の人物だった。(作品撮影の許可を得ています。)★ twitter.com/gamayauber01/s… pic.twitter.com/MxqhXNPXPY

2022-04-17 12:48:33
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巖谷國士 @papi188920

@flaneur_fleur 瀧口さんはいつもタバコ。それも安い「ゴールデンバット」や「しんせい」などでした。オートスライドもよかったでしょう。★

2022-04-13 20:10:06
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 右から左へ、右から左への「転向」というのは不可解な現象ですが、どちらも体制の基盤上だからだろう、と思っていました。「反体制」はむしろ個人の気質・資質にもとづくところもあるので、転向不可能。瀧口修造もそうでした。★も。★

2022-04-12 13:32:30
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 べつに「焦燥」はない。ずっとそうだったから。瀧口修造にも「焦燥」はなかった。★は瀧口修造の明るい憂愁を受けついでいるかもしれません。★

2022-04-03 17:54:17
巖谷國士 @papi188920

「いろいろある」ことについては、これまでにずいぶん書いたけれど、読まれているかどうかは判らない。「記憶のギャラリー」連載での瀧口修造、瀧口綾子、ケイト・ミレット、池田満寿夫の回とか、『澁澤龍彦論コレクション5』の池田満寿夫との対談とか。いま手に入るのはそのくらいで、あとは絶版。★ twitter.com/gamayauber01/s…

2022-04-03 15:45:17
巖谷國士 @papi188920

話は長くなるが、吉村二三生の家にいたケイト・ミレットを介して、★が瀧口修造との「出会い」を体験したのが1963年。ケイト帰国のあと、吉村の家を富岡・池田が借りた。二人はシュルレアリスムとあまり関係がない。むしろ西脇順三郎が遊びに来ていた。いろいろあります。★ twitter.com/gamayauber01/s…

2022-04-03 15:32:31
巖谷國士 @papi188920

@gamayauber01 瀧口修造は東京大空襲で高円寺の家を焼かれ、金沢へ逃れてから成城で間借り生活になったが、焼跡だらけの東京をさまよい、さまざまな活動をしている。そのひとつが「出会い」だ。若い山口勝弘や武満徹と出会って「実験工房」を援護した。岡上淑子や草間弥生とも出会って「タケミヤ画廊」で紹介した。★

2022-04-03 14:50:10
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