2021.06.13 青天を衝け(18)「一橋の懐」放送後の桐野作人先生による解説ツイート

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桐野作人 @kirinosakujin

本日の大河ドラマ「青天を衝け」。本日はあまり時間なく少しだけ。渋沢篤大夫は天狗党の潰滅後、慶応元年(1865)2月、小十人組の番士待遇となり、17石5人扶持ながら御目見以上の格式となった。小十人組は幕府の職制のうち、番方(軍事担当)に属している。#青天を衝け

2021-06-13 21:15:42
桐野作人 @kirinosakujin

小十人組は大番・書院番・小性組番・新番と合わせて五番方と称され、将軍外出時は前駆として供奉する幕府直轄軍事力のひとつだが、他の四番方が騎乗なのに対し、小十人組は徒士で格式は下だった。それでも、短期間に御目見にまで昇進したのは異例。ドラマであったように駕籠に乗れる。#青天を衝け

2021-06-13 21:15:43
桐野作人 @kirinosakujin

ドラマであったように、渋沢は慶喜の禁裏守衛総督にふさわしい兵員を揃えるべきで、とくに歩兵隊の編制を意見具申した。禁門の変で慶喜の率いた軍勢は700人だったが、借用が多く、直属の兵は床几隊100人で、あくまで警固任務。そのほか講武所小筒組(銃隊)などもいたが、わずかだった。#青天を衝け

2021-06-13 21:15:43
桐野作人 @kirinosakujin

前年初め、栄一と喜作は関東の一橋領2万石へ兵の徴募に出向いたが、一橋領は合計10万石で、西に多かった。次のような内訳。 摂津1万5000石 和泉7000~8000石 播磨2万石 備中3万石2000~3000石 栄一は歩兵取立御用掛に任命されて、もっとも石高の多い備中後月郡の井原村に向かう。#青天を衝け

2021-06-13 21:15:44
桐野作人 @kirinosakujin

ドラマでの代官とのやりとりや百姓たちとの交流は『雨夜譚』の記述をほぼ忠実に踏まえている。わずか数日の徴募活動で、栄一は井原村で200名、播磨・摂津・和泉と合わせて450名以上の徴募に成功している。ちなみに上京した彼らは紫野の大徳寺に止宿して歩兵隊としての調練を受けた。#青天を衝け

2021-06-13 21:15:44