『リスクを避けてはいけないのか、あるいは“リスク受忍義務”の問題』
放射能の害は不明な点もありますが概ね解明されています。100mSv以下の危険性も「他の危険と比べそれほどではない」というのが大方の見解です。「正しく怖がり」ましょう。 @pririn_ @buvery @ynabe39
2011-08-06 17:43:02RT @ynabe39: 「実際のリスクの大きさ」がわからないのに誰かを「リスクを大きく見積もりすぎ」「小さく見積もりすぎ」と批判できるだろうか。それも「いくらなんでも大きく見積もりすぎ」と笑われた見積もりのほうが結局事実に近かった、という経験をしてしまったあとで。
2011-08-06 15:17:04放射能の害を心配してる人に「放射能で死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率のほうが高い,交通事故のほうを怖がれ」というのが「正しく怖がれ」ということだとしたら「くそくらえ」でしかないと思う。
2011-08-07 22:52:20「くそくらえ」RT@ynabe39 :放射能の害を心配してる人に「放射能で死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率のほうが高い,交通事故のほうを怖がれ」というのが「正しく怖がれ」ということだとしたら「くそくらえ」でしかないと思う。
2011-08-07 22:53:48ほんとにそう思う。RT @ynabe39: 放射能の害を心配してる人に「放射能で死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率のほうが高い,交通事故のほうを怖がれ」というのが「正しく怖がれ」ということだとしたら「くそくらえ」でしかないと思う。
2011-08-07 22:55:51くそくらえ! QT @ynabe39: 放射能の害を心配してる人に「放射能で死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率のほうが高い,交通事故のほうを怖がれ」というのが「正しく怖がれ」ということだとしたら「くそくらえ」でしかないと思う。
2011-08-07 23:00:59交通事故で死ぬ確率に放射能で死ぬ確率がプラスされるのに、なぜ天秤に掛けるのでしょうね。RT @ynabe39: 放射能の害を心配してる人に「放射能で死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率のほうが高い,交通事故のほうを怖がれ」というのが「正しく怖がれ」ということだとしたら「くそくらえ」
2011-08-11 12:57:59もともと本人が「放射能と交通事故ではどっちが危険?」と問わない限り「比較の問題ではない」のです。 RT @tak_iii: 交通事故で死ぬ確率に放射能で死ぬ確率がプラスされるのに、なぜ天秤に掛けるのでしょうね。
2011-08-11 13:04:07宝くじで当たる確率が「100万分の1」でも買わない場合の「ゼロ」よりは大きい。この「どんな小さな確率でもゼロよりも大きい」という感覚はけっこういろんなところでみられるじゃないですか。「放射能の害」もそうですよね。
2011-08-12 12:43:05「万が一実際に事故に遭ったときの深刻さを考えて確率的には損でも保険に入る」のが合理的なら「放射能の害が心配だから水道の水は飲まない」とかいうのも同程度には合理的なのではないか。
2011-08-12 13:32:31@ynabe39 タバコとの比較も同じですよね。乳幼児にタバコを吸わせる親がいるかっつうの。ほんと「くそくらえ」ですよ。
2011-08-11 13:09:40@NATURAL_de 交通事故に例えるのであれば、それこそ事故を起こした人は危険運転致死傷罪で逮捕&実刑ですしね。交通事故が云々言うなら、まずは事故を起こした犯人(=原発推進派全員)を逮捕していただきたい。
2011-08-11 17:28:23同様に所謂「セロリスク志向」も問い方が関係しているという見方もありますね(中谷内一也さんの心理実験)。RT @ynabe39: もともと本人が「放射能と交通事故ではどっちが危険?」と問わない限り「比較の問題ではない」のです。 RT @tak_iii
2011-08-11 13:36:25(続)つまり、単独で特定のリスクを取り上げて「このリスクをゼロにしたいか」と問えば、誰だってイエスと答える。しかし、他のリスクやリスク削減に要するコスト(手間暇)の情報も併せて尋ねればそうはならないと。@ynabe39 @tak_iii
2011-08-11 13:39:52ゼロリスク云々といえば新潮45の8月号で武田徹さんが、被ばくリスクを避けようとするあまり、小さな子供のいる家庭で水が入手できなくなったことなど風評被害の問題を、ゼロリスク志向の問題と捉え、もっと日本社会はリスクテイクするようになるべきと論じてたんだが、あれはちと違うと思うんだな。
2011-08-11 13:50:11(続)3月30日のニコ生でも話したことだけど、あの問題は、「自分のリスク回避行動が他者(とくに自分よりリスクに対し脆弱な立場にいる他者)に及ぼす悪影響」をどれだけ想像し、他者に配慮できるかという「不運の分配をめぐる自己と他者の連帯」の問題なのではないかと思うわけ。
2011-08-11 13:53:07(続)つまり「風評被害」(あくまでカッコ付)は、過剰なゼロリスク志向云々の問題ではなく、今述べたような意味での他者への配慮、連帯の感覚の不足・欠落という倫理的・政治的問題ではないかと。ゼロリスク志向というのは、そうした欠落の結果・現れでしかないのではないか。
2011-08-11 13:56:08(続)言い換えれば「風評被害」のような問題を減らすために必要なのは「リスクを受け入れること」ではなく、より脆弱な他者に配慮することではないか。
2011-08-11 14:04:26(続)ちなみにこのリスクをめぐる問題を、これまで自分は「社会全体のリスクの最小化、リスクとコストの配分の最適化を配慮・計算する統治者視点」と、一回的なかけがえのない自己ないし親しい者の生を配慮する「当事者視点」の対立の問題として捉えてきたのだが・・・
2011-08-11 14:08:13(続)これに加えて、目の前のリスクを回避しようとする「自己」と、その結果より大きなリスクに直面せざるを得なくなる「より脆弱な他者」という関係でも理解すべきなのかもと思い始めてる。つまり、統治者視点(客観性)/当事者視点(主観性)/自己-他者視点(連帯性)の軸。詳しい検討は今後。
2011-08-11 14:11:09@hirakawah @ynabe39 @tak_iii 排他的では無い選択肢のリスク/ベネフィットを比較させようとする者の「意図」には注意しないと。この場合は、はっきり言ってしまえば、「受忍限度押」押し付け以外の何物でもありませんが。
2011-08-11 13:56:14仰る通り。「受忍義務」の強制は不正義ですから。そのあたりのことも含め、改めてリスク配分問題を体系的に理解しなおしてみたいと最近思い始めてます。RT @discoder: @hirakawah @ynabe39 @tak_… (cont) http://deck.ly/~c6jAr
2011-08-11 14:14:05補足。「リスク受忍義務」の強制問題が発生するのは「統治者視点-当事者視点」の軸。この場合、強制は有形無形の権力行使として問題視せねばならないし、行使の正統性を問い糺さねぱならない。それとは別に「わたしとあなた」の配慮と連帯の問題として考えることも必要ではないかというのが先の論点。
2011-08-11 14:29:27オマケ: 岩波『科学』、800号巻頭言・高木仁三郎さん「市民の不安を共有する」
岩波の『科学』次号の案内がHPに出てた。特集は「科学は誰のためのものか」。知ってる人がたくさん書いている。(自分の駄文も混じってますが。) http://www.iwanami.co.jp/kagaku/yokoku.html
2011-08-11 17:30:10