菊池先生( @kikumaco )と渡邊先生( @ynabe39 )のやりとりが面白かったのでまとめ
- shunkuriyama
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時間的前後関係があって相関がある場合には因果と考えてもほぼ実害がない。 RT @Ichy_Numa: @daihiko おそらく、一般には、時系列的な相関を因果(因縁、縁起)と捉えるのではないでしょうか? そして、相関そのものをもたらす「究極の原因」を神なり何なりに求める。
2011-08-12 13:49:00その相関が思い込みに過ぎない場合は、実害をおよぼすこともある RT @ynabe39: 時間的前後関係があって相関がある場合には因果と考えてもほぼ実害がない
2011-08-12 13:50:38それは「相関がないのに相関があるということ」の直接の結果で,因果関係との混同の問題ではないように思います。 RT @kikumaco: その相関が思い込みに過ぎない場合は、実害をおよぼすこともある
2011-08-12 13:54:25その違いは個人が感知できるものでしょうか? RT @ynabe39: それは「相関がないのに相関があるということ」の直接の結果で,因果関係との混同の問題ではないように思います。 RT @kikumaco: その相関が思い込みに過ぎない場合は、実害をおよぼすこともある
2011-08-12 14:03:12「実際に相関があるかどうかを個人が感知できない」ならどちらでも同じ,相関の有無を感知できるなら2つの違いも感知可能だと思います。 RT @kikumaco: その違いは個人が感知できるものでしょうか?
2011-08-12 14:04:49「実際に相関があるかどうかを個人が感知できない」ならどちらでも同じ,相関の有無を感知できるなら2つの違いも感知可能だと思います。 RT @kikumaco: その違いは個人が感知できるものでしょうか?
2011-08-12 14:04:49相関はないのに相関があると思い込む場合について言っています RT @ynabe39 「実際に相関があるかどうかを個人が感知できない」ならどちらでも同じ,相関の有無を感知できるなら2つの違いも感知可能だと思います RT @kikumaco その違いは個人が感知できるものでしょうか?
2011-08-12 14:06:09「自分が相関はないのに相関があると思い込んでいるかどうかを感知できるか」という問いですか? 感知できるなら最初から思い込まないし,思い込んでいるなら感知できないと思います。 RT @kikumaco: 相関はないのに相関があると思い込む場合について言っています
2011-08-12 14:07:59けっきょく指摘できるのは「リテラシーがない例」だけで,自分にリテラシーがあるとはいえない。そしてそこでやはり「正しく怖がる」がでてくる。どうしてみんなこんなによく似ているのか。
2011-08-12 14:09:21けっきょく指摘できるのは「リテラシーがない例」だけで,自分にリテラシーがあるとはいえない。そしてそこでやはり「正しく怖がる」がでてくる。どうしてみんなこんなによく似ているのか。
2011-08-12 14:09:21@n_soda もちろん「因果関係の正しい推定」には実害ありますが,実生活でそれが実害につながる例は限られると思います。そういった(限られた)実害の代表的なものが「ニセ科学に引っかかる」です。@kikumaco
2011-08-12 14:11:19ジンクスとか。個人の問題なら、「相関がある」と「相関があると思う」の違いは重要 RT @ynabe39 「自分が相関はないのに相関があると思い込んでいるかどうかを感知できるか」という問いですか? 感知できるなら最初から思い込まないし,思い込んでいるなら感知できないと思います
2011-08-12 14:12:59@n_soda @kikumaco 私が言ってることは「人間の認識が持っているバイアスは多くの場合それで実害がない(時には利益がある)から維持されている,しかしニセ科学問題のような限られた例では,それが深刻な誤謬につながることがある」という話の「前段」です。
2011-08-12 14:13:01で,相関があるかどうかは「実際にデータをとってみる」ことでしか確認できないですよね。データをとる以外に「相関を正しく感知する方法」がある? RT @kikumaco: ジンクスとか。個人の問題なら、「相関がある」と「相関があると思う」の違いは重要
2011-08-12 14:14:10@ynabe39 方法はありませんね。しかし、普通の人は、多くの場合、データを取らずに「相関がある」と思うのではないですか?
2011-08-12 14:15:25.@ynabe39 相関と因果に関する認知バイアスは進化的に構築されたものですから、少なくとも過去においてそのほうがよかったことは間違いないのですが、さて、これだけ文明化した社会でも「そのほうがよい」は成立するか
2011-08-12 14:17:00ああなるほど論点がわかりました。相関を因果と混同する以前に「相関の認識自体があてにならない」と。 RT @kikumaco: 方法はありませんね。しかし、普通の人は、多くの場合、データを取らずに「相関がある」と思うのではないですか?
2011-08-12 14:17:21まさにそこがさっき書いたことです。社会が「科学化」して「人を騙すものも科学化した」ときに古来からのバイアスが適応的かということですね。RT @kikumaco: …さて、これだけ文明化した社会でも「そのほうがよい」は成立するか
2011-08-12 14:19:20相関がなくても相関を感じやすいように認識が進化したのではないか。つまり、過去には実在の相関を見逃すよりは、ない相関を感じるほうが淘汰されにくかったのかなと RT @ynabe39: ああなるほど論点がわかりました。相関を因果と混同する以前に「相関の認識自体があてにならない」と
2011-08-12 14:19:29そうそう。まさにそこですね RT @ynabe39: まさにそこがさっき書いたことです。社会が「科学化」して「人を騙すものも科学化した」ときに古来からのバイアスが適応的かということですね。RT @kikumaco: …さて、これだけ文明化した社会でも「そのほうがよい」は成立するか
2011-08-12 14:19:57それはまったくそうだと思います。第1種の過誤と第2種の過誤のどちらに敏感であるかという問題はニセ科学や迷信について考えるときにとても重要。 RT @kikumaco: 相関がなくても相関を感じやすいように認識が進化したのではないか。つまり、過去には実在の相関を見逃すよりは…
2011-08-12 14:21:30ああ、そうそう。それだ! 自然の中で生きるか文明社会で生きるかで違うのはそこ! RT @ynabe39: それはまったくそうだと思います。第1種の過誤と第2種の過誤のどちらに敏感であるかという問題はニセ科学や迷信について考えるときにとても重要
2011-08-12 14:23:05点が三つあると顔に見えてしまうというのは、敵を察知する能力か味方を察知する能力か、いずれにしても過去には生存に有利に働いたのだろうけど、今はせいぜい心霊写真ができるくらい
2011-08-12 14:24:54一般に科学では第1種の過誤に敏感で第2種の過誤は無視されやすいけど,進化の過程における人間では逆だったということですね。RT @kikumaco: ああ、そうそう。それだ! 自然の中で生きるか文明社会で生きるかで違うのはそこ!
2011-08-12 14:25:22