【国語教育】「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語に関する議論
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2021-07-10 21:19:29中学校の文法問題について、KAMMERA先生(@mera85326 )と清田先生(@Akihiro_KIYOTA )による見解をお伺いしました。 色々あって一旦非公開にしていたのですがようやく再公開。ご心配をおかけしました|国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 kimilab.hateblo.jp/entry/kokugo1
2021-07-13 09:39:10『国語1』(光村図書)では、森山卓郎氏は国語学者(p.76)、石黒圭氏は日本語学者(p.143)と紹介されている。
2021-07-06 19:49:45『伝え合う言葉中学国語1』(教育出版)では、「ばらが 咲いている」という補助の関係をもつ連文節(「咲いている」)を含む文を、主・述の関係を示す「例」に挙げている(p.276)。学校文法の説明としては、画期的な例文。
2021-07-06 21:31:39教科書において主・述の関係を表す例は、一文節の述語の例ばかりであり、その点の確認が曖昧になっている。2つ隣に「私が 今日の 当番です。」という同様の例も挙げられている。なお、実際の例には、傍線、二重傍線が引かれているので、その関係も明確に示されている。
2021-07-06 21:36:15「述部」というまとまりが文の成分を構成する、ということは、実はよく読むと書いてあるといえる。ただ、狭い範囲ながらも、調べた教科書の例文では示されていなかったので、現場は混乱している(た)と思う。
2021-07-06 21:41:25]このような状況なのに「文法は正解があるから教えやすい」という意見を一定数見聞する。そして、「正しく教えること」が強調されやすいのは、入試での出題や古典文法との接続のこともあり、なかなか根深い。 / “国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述…” htn.to/2wziibe9cp
2021-07-10 19:01:42正解知りたいわー.文意としては「私たちは誰だって」だろうから主語が省略されているか「誰だって」に内包されているって思うけどどうだろう. / “国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 - kimilab journal” htn.to/3q3SniaGk7
2021-07-11 00:20:21お問い合わせをいただいたので、自分なりに調べてお答えしてみました。といっても十分に研究を追えていないので、なんだこれは、ということもあると思うのですが……ご批正いただければ幸いです。 / “国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 - kimila…” htn.to/34wWU38nbq
2021-07-12 20:29:30「落ち込むことはある」を大きな述部とみていいかどうかは迷ったんですが、「象は鼻が長い」で主部・述部を見るとしたら「象は」(主部)「鼻が長い」(述部)と見るしかないだろう、ということで記事中のような解釈をしました。これも学校文法的には無理があるんですけど。
2021-07-12 20:31:32@mera85326 基本的に皆様のご説明でいいのではないかと思いました。単純化して「僕でも落ち込むことがある」だと「僕が落ち込むことがある」の二重主語の最初の「が」の主題化(「も」ですが)。
2021-07-12 21:49:46@mera85326 「落ち込むことがある」は、「ことがある」が、やはり複合辞ですね。経験や真理や可能性などアスペクトからモダリティまで意味は多彩です。元の文に戻ると「誰だって(一種の主題)落ち込む+ことがある(複合辞)」と見ます。
2021-07-12 22:01:48@mera85326 あくまで言葉の運用面から見ると、 1 誰にだって+落ち込むことは+ある 2 落ち込むことは+誰にだって+ある どちらも自然な日本語です。理論を優先してそれに当てはめようとすればかえって自然な日本語理解を妨げることにもなりかねないような気がします。ここではっきりしているのは述語が「ある」だと
2021-07-12 22:10:21@yhkondo レスポンスありがとうございます! 「ことがある」の議論を十分追えないまま書いていたので、コメントいただけてありがたいです。こうやってみると、本当にややこしい文が問題に出たものだな、と思います。笑
2021-07-12 22:10:36@mera85326 学校文法的には「誰だって」は「誰+だっ(助動詞)+て(接続助詞)」となって、次の「落ち込む(連体修飾)+ことが(主語)ある(述語)」を連用修飾している、という説明も可能でしょうけど、「誰」が浮いてしまいそうですね。
2021-07-12 22:10:37面白いですね。ルールベースですべて決まるかのような説明を学校ではされるのですが、実際は母国語話者だからの暗黙の了解を少しだけ言葉にしたものが学校文法ですよね。 国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 - kimilab journal kimilab.hateblo.jp/entry/kokugo1
2021-07-12 22:12:02@yhkondo ああ、連用修飾と処理するのは考えていませんでした。それが学校文法的にはまだ自然かもしれないですね(言語分析として自然かは不明)。
2021-07-12 22:12:09@mera85326 ですね。ここで伺って思ったのですが、おそらく「ことがある」の全貌をきちんと捉えた学術論文はまだないのではないかと思います。どこにも研究の芽はあるものだと思います。
2021-07-12 22:13:30@mera85326 いうことでしょう。主語の定義が前提として必要ですが定義というのは状況によって変わります。何を重視するかによって変わると言ってもいあかもしれません。主語という語を主題と言ってみればわかりやすいのではないでしょうか?当然主題は状況によってかわります。
2021-07-12 22:13:55@mera85326 はい。この方法はおっしゃるように「言語分析としては」やや無理筋だと思います(連用修飾の「て」(「花を持って歩く」等)の「て」の特性と違うので。)
2021-07-12 22:16:34@mera85326 学校文法といっても日本語のひとつの理論にすぎませんから学校でも学校文法を絶対のものとして教えることが適当だとは思えません。それは最初から無理でしょう。したがだてここでの主語は、「誰にとっても」でも、いいし「落ち込むことは」でもいいと言うべきなのではないかと思います。
2021-07-12 22:17:23@mera85326 日本語は主語が構造として特定される言語ではありませんので一文だけ取り上げてその中で構造的に主語は何かと問うことは教育上も適切だとは思えません。答えは決してでませんので混乱させて日本語は難しいという結論だけを与えてしまうことになるのではないかということを懸念します。
2021-07-12 22:20:08@mera85326 横から入って申し訳ありませんが、日本語はそうやって自由に考えることができる言葉だよ!面白いね!の方がいいのではないかと思ったしだいです。「誰だって」も「落ち込むことは」はどちらも特権的地位にはなく「ある」だけが他の文節の係りを受ける述語という特別な地位にあるということを教えること
2021-07-12 22:24:01@yhkondo @mera85326 「だって」は、私の思い違いでなければ、現行の中学校国語教科書の助詞一覧では副助詞扱いされていたように思いますので、「助動詞+接続助詞」とは取らないように思います。学校文法は、分析させたいのか、まとめて把握させたいのか、その当たりの一貫性が問題になってくるのだろうと思っております。
2021-07-12 22:24:01