内心を取り締まる方法がないから渋々認めているだけで、可能なら取り締まりたがっているように見える

「内心の自由はあるけど、それを少しでも口にしたり表に出したらアウト」と言っている人たちについて。
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すずもと @aruto250

表現の自由が話題になると、よく「内心の自由はあるけど、それを少しでも口にしたり表に出したらアウト」と言う人が現れるけれど、そうした人は本当に内心の自由を認めているのだろうか。単に内心を取り締まる方法がないから渋々認めているだけで、可能なら取り締まりたがっているように見えるのだが。

2021-07-15 09:15:59
すずもと @aruto250

彼らの言動は明らかに、社会から本当に締め出したがっているのは「不快な表現」のみならず「不快な人間」であるように見えるし、「自由はそれに値する人のためのもの」という態度でありながら「私は自由に最も価値を置いているので自由主義者すなわち正しい側の人間である」と自認があるように見える。

2021-07-15 14:53:55
すずもと @aruto250

「自由とは最も重要なものであるが/からこそ、それに値する人間にのみ与えられるべきものである」などという態度の人間が「自由を最も重要な物として信奉する私はリベラリストである」と自認する・そのように振る舞うというのは、「リベラリズムはならず者の最後の拠り所」になってしまった感がある。

2021-07-15 15:06:53
すずもと @aruto250

そうした人々の作り出す「自由な社会」とは、「行動経済学」や「ナッジ」で固められた社会になりそうだ。中国の信用システムはいい例だろう。見かけ上は自由があっても「正解」の選択肢以外には制裁がある。排除アートなんかもそうだ。「あなたはどこでも寝る自由がある。寝られるものならね」という。

2021-07-15 15:30:15