諸国珍談奇談 第七集

明治大正昭和の新聞記事等を漁りながら見つけた日本各地の珍談奇談を集めてみました。2020.12-2021.6分の虫干し。
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松崎貴之 @gelcyz

結局頓挫したのだろうか。大正12年7月4日付『河北新報』夕刊。大阪ゆかりの仁徳天皇を祀り、明治神宮や平安神宮と並ぶ社格の浪速神宮・浪速神社を造営しようという計画があったらしい。 pic.twitter.com/2wF98YVNLh

2021-01-16 13:37:39
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松崎貴之 @gelcyz

政府に睨まれた衛生風紀上の問題を改良した盆踊りとはいかなるものか。大正12年7月4日付『河北新報』夕刊。兵庫県竹田村の例として「会場は…学校の講堂」「音頭歌は…村の歴史や現代人の心得べき事柄を歌ひ込んだもの」「撒水して塵埃が立たぬ様にし」(続) pic.twitter.com/qoPH0BB1So

2021-01-16 22:16:10
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松崎貴之 @gelcyz

大正12年8月当時の台湾バナナ事情。8月14日付『河北新報』朝刊。国内の窓口は神戸で、最大の需要地である東京へは特急列車が設けられ、輸送停滞による腐敗問題などを一掃できたという。仙台のバナナ需要は不十分でこうした特別待遇を引き出せておらず、品質や価格に課題があると認識されていたようだ。 pic.twitter.com/LqVlcVSEbz

2021-01-16 22:34:31
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松崎貴之 @gelcyz

美術展覧会の裸体作品を撮影した絵葉書が一種のエロ画像として出回ることを警察は理解し、それをもしっかりと出元の段階で取り締まっていた。大正12年9月2日付『河北新報』朝刊。この二科展でも二作品が絵葉書にして販売することを警視庁から禁止されたとある。 pic.twitter.com/LWjv3Qvczo

2021-01-17 13:44:37
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松崎貴之 @gelcyz

どこのフランスだと見たら東京だった。大正12年9月28日付『河北新報』夕刊。仏英和(高等)女学校という校名だった時代の白百合にはジャンヌ・ダルクの銅像が立っていた。関東大震災を乗り越えたこの像はその後どうなったのだろう。 pic.twitter.com/NdkW0TBaGv

2021-01-17 19:32:35
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松崎貴之 @gelcyz

「復興の東京に出来た新らしい職業」マスク売り。大正12年10月1日付『河北新報』朝刊。 pic.twitter.com/ndgNq5wqGx

2021-01-17 19:37:14
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松崎貴之 @gelcyz

どういう言葉遊びなのだろう。大正12年10月5日付『河北新報』夕刊。関東大震災を受けて京浜を離れ仙台へ避難してきた芸妓衆について、いわゆる「玄米芸妓」と書かれている。玄米とは。 pic.twitter.com/bS9gEpCjxq

2021-01-17 19:44:05
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松崎貴之 @gelcyz

仙台から上京し関東大震災の焼跡の整理にあたっていた工兵隊の兵士たちが神田川のことを誰が言い始めたか「万歳川」と呼んでいた。大正12年10月9日付『河北新報』夕刊。何故かと読むと、これは…。南無… pic.twitter.com/fc99fL5E1n

2021-01-17 20:04:31
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松崎貴之 @gelcyz

この話にも関東大震災が顔を出していた。大正12年12月1日付『河北新報』朝刊。駅売り茶の容器をガラス瓶に切り替えたことへの不評が相次いでいるところへ、地震での「硝子瓶創作の本家本元東京のビール会社の焼失」が加わり、土瓶復活説が勢いを増してきたことを報じている。ガラス瓶の命運やいかに。 pic.twitter.com/bcOKtkby2W

2021-01-17 13:37:29
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松崎貴之 @gelcyz

可燃性のセルロイドで掌サイズの達磨型の容器を作り消火薬液を入れたアイディア商品「火消だるま」の広告を見つけた。女性や子供でも投げ込めば猛火を消し止められる。大正12年12月6日付『河北新報』朝刊。この年の4月に発表され、9月の関東大震災で実際の鎮火に役立ったとアピールしている。例えば、 pic.twitter.com/MtCSVZPKvx

2021-01-17 21:00:23
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松崎貴之 @gelcyz

大正12年仙台の歳の市での興行物はこのような感じであった。12月26日付『河北新報』朝刊。伊勢川の軽業、菅野女剣舞、押絵人形、娘の足芸、釜鳴り、地獄極楽の因果人形、高玉女角力、小男の演芸、石橋、曲馬、蟹娘の手芸、動物、紀の国歌舞伎。 pic.twitter.com/72GlbTXady

2021-01-17 21:30:12
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松崎貴之 @gelcyz

同じ釜だろうか、大正13年の新聞記事に拠れば「石川五右衛門が…煮殺された大釜」は巣鴨刑務所にあるという。1月23日付『河北新報』夕刊。こうした歴史的な拷問器具や所蔵が散在する「島田一郎の調書や高橋おでんの犯罪事実や八百屋お七の調書」等の歴史的な取調記録を刑務協会が蒐集するとしている。 pic.twitter.com/4JKaQabtgz

2021-01-23 12:47:12
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松崎貴之 @gelcyz

たびたび「生不動」「生不動」と話題にしているのは例えばこういう記事である。大正13年1月29日付『河北新報』朝刊。今まで見たのは基本的に明治時代の新聞記事だったが、大正時代にも使われていたようだ。南無。 pic.twitter.com/NdWOSKbYkd

2021-01-23 12:54:00
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松崎貴之 @gelcyz

自殺を企てるもどうせ死ぬなら「死神、待った!」と思い切ったことをやってみたら二度も人生が好転した!大正13年3月27日付『河北新報』夕刊。その経験から「煩悶治療院長ドクトル柳亭燕三郎」を名乗る落語家が、悩める男女を救う無償治療を始めるから宣伝してほしいと仙台の警察署にやってきた(笑) pic.twitter.com/LmgWf5UnBB

2021-01-16 13:30:17
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松崎貴之 @gelcyz

甘粕事件に乗じていっちょ噛みしようとする有田音松を発見した。大正13年3月30日付『河北新報』朝刊。もっとも甘粕からはすげなく扱われたようだ。世間の注目する話題に札束を持ってさらに乗っかって耳目を集めようとする有田の姿に色々と重なって見える。 pic.twitter.com/2JkiMSlFfZ

2021-01-16 21:57:35
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松崎貴之 @gelcyz

飲んでみたいと思いませんか。大正13年8月3日&20日付『河北新報』朝刊。「文化滋養飲料界の新寵児」エスペラントクーコは全国販売、緑茶使用飲料だったようで、仙台では宮城商店という茶舗が扱っていた。飲めば「人生向上」「人生強精」と謳う。日本のエスペランティストたちはどう見ていたのだろう。 pic.twitter.com/o6Ya1eL4IR

2021-01-23 13:09:17
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松崎貴之 @gelcyz

大正13年8月24日付『河北新報』朝刊の広告にも「エスペラント・クーコ」が登場する。これを見る限り「エスペラント・クーコ」が宮城商店のオリジナル商品で、これとは別に「エスペラント・緑茶」が存在し宮城商店が総代理店になっていたと読める。 pic.twitter.com/NWB9knYVEL

2021-01-23 16:32:25
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松崎貴之 @gelcyz

菊花紋章の不適切使用の取締事件は色々とあったのだろう。大正13年10月12日付『河北新報』朝刊。最後の事例が面白い。自動車屋で問題視された自動車に敷いていた菊花紋章入りの絨毯の出所を調べたら、宮内省払下げの馬車の絨毯を裂いて使っていた。宮内省も「十分注意して」と警視庁に怒られたらしい。 pic.twitter.com/KLmw73yWLz

2021-01-11 00:36:42
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松崎貴之 @gelcyz

「人体の黒焼が難病の薬になる」という根強い迷信は関東大震災と結びついた詐欺事件も起こした。大正13年11月13日付『河北新報』夕刊。炭粉にただの薬を混ぜ「震災死者の脳味噌を黒焼きにした花柳病の特効薬」だとして高値で売る香具師たちの活動が仙台を中心に警察に捕捉されていた。#人体霊薬事件簿 pic.twitter.com/KWa8zcjsDh

2021-01-11 16:19:34
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松崎貴之 @gelcyz

大正13年当時の仙台における台湾バナナ事情。11月13日付『河北新報』朝刊。ここでは「内地へは神戸の問屋から分配される」とあるので東北の元締は途中で横浜に変わったということだろうか。「4貫で3円〜3円50銭」の梨と「5貫で7円50銭〜8円」の台湾バナナで単純比較すると、3倍弱の価格の開きがある。 pic.twitter.com/Vi0HvbulMq

2021-01-11 16:04:30
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松崎貴之 @gelcyz

こちらは大正13年11月15日付『河北新報』朝刊。 pic.twitter.com/HhFiwNn9Oe

2021-01-11 16:26:34
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松崎貴之 @gelcyz

宮城石巻の渡波町にあった水産試験場から水産県の新名物を目指し「蠣羊羹」が誕生した。大正13年11月19日付『河北新報』朝刊。「石巻名産」と銘打ち販売展開することになったようだ(11月29日付朝刊)。牡蠣と甘味と言うとグリコが頭によぎる。グリコの存在は影響したのだろうか。そしてその後は一体。 pic.twitter.com/lk2mRwk3no

2021-01-11 17:28:01
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松崎貴之 @gelcyz

大正13年の仙台の歳の市での見世物のラインナップを見つけた。12月26日付『河北新報』朝刊。軽業、剣舞、パノラマ、「ルナパーの器械人形」「動物会」と続く(「動物会」で一演目と考えてよいのか悩む)。「ルナパー」はおそらく「ルナパーク」なのだろうが、例によって続報がなく委細が追えなかった。 pic.twitter.com/AtF7Tu9Vi1

2021-01-11 17:04:35
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松崎貴之 @gelcyz

失われた職業図鑑といった本に「蛭取り」はそう載らないと思う。とはいえ「時代の推移に伴はれて滅び行く稼業」の一つと言うからには往時は人数がいたのだろう。大正14年2月20日付『河北新報』朝刊。記事当時でも仙台市内で蛭を扱う店は9つもあり、凡そ15匹10銭。子供を十分に養える仕事だったらしい。 pic.twitter.com/01iv99MTq5

2021-01-10 23:53:13
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松崎貴之 @gelcyz

「芝公園芝園橋に古びた三階建の洋館」「これは浄土宗務所である」大正14年3月14日付『河北新報』朝刊。「明治初年当時ハイカラ坊主が初めて東京に洋館を建た」「落成の日に先帝陛下が特に行幸になつた」 pic.twitter.com/LitSdCktOh

2021-01-09 13:42:17
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