- blueface80cm
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2020/01
今日は冬晴れで朝から明るかったので、庭の枯れ草や枯れ枝を踏みしだいて川砂とウッドチップで慣らし、防草シートで一面を覆い、その上に人工芝を敷き詰めるというよくわからん作業に没頭していたんだが、なんか頭上がガサガサうるさいと思ったら悪ネコさあ…… pic.twitter.com/o8Uz3Rxdaw
2020-01-02 23:31:25茶トラの方は予想した通り活発でしなやかなバカ猫に成長いるような気がするんだが、縞三毛の方は仔猫の頃のたれ目でコロッとした愛らしい感じとは全然違い、いつも真顔で瞬きをしない変な太ったフクロウみたいになってきたので少し将来を心配している。
2020-01-02 23:40:57毎年この時期になると「寺と神社の役割ごっちゃになってるけど昔は実際似たような扱いだったしべつにいいのでは?」という感想と「いや昔いうても延喜式の頃くらいまでは明確に分けられてたやろ」という感想と「そもそも神社自体が単なる土着の神域に後付けで建ったのでは?」という感想と…
2020-01-03 12:21:13俺の個人的な感覚では神社と寺は明らかにべつのものだが、それは単に寺というのが比較的新しい舶来の宗教(文明)関連施設であるからであって、神社は神社でその起源というのはどんな大社であろうと怪しい、というところに落ち着く。
2020-01-03 12:29:27神社(神道)の方が寺(仏教)より古いから、より日本列島や島嶼に土着の死生観や信仰に近い、すなわち権威があるというのも個人的には眉唾で、少なくとも体系化された神道などというものは俺の経験や感覚の中には存在しないし、かまどの神様も山の神威も一緒くたに「神社」なのは不自然だろ。
2020-01-03 12:37:54俺も今の日本人のベースは江戸時代に作られたのでは?となんとなく考えていた時期もあったんだが、たぶんもっと古いんだよな。逆にここ200年くらいをバッサリ切り落とせば、5000年くらい地形や植生もたいして変わらず、ずっと同じ景色だったところなんていくらでもあるでしょ。
2020-01-03 12:48:17まるで京都みたいな重く湿った冷気だなと思ったら、雨か。この冬はまだ冬らしい寒さに出会っていない。摂津はもちろん、北近江や伊吹ですら、ストーブ不要の生ぬるさで驚く。十数年前までは北近江なんて雪国みたいだと思ったんだけどな。
2020-01-04 22:50:36関西の人間でないとピンとこないと思うが、北近江から越前への境というのは案外に峻険で山深く、紀伊とはまた違った趣と気配がある。有名な一乗谷の史跡を抜け、豪雪で知られる大野へ東の山に沿って走っていると、平泉寺白山社というのがあり、この森の静寂と静謐はなかなかのものだ。
2020-01-04 23:12:33これは延暦寺の系列に数えられがちだが、その創建より歴とした禅定馬場で、白山信仰の大中心地であり、これまた関西の人間でないとわかりにくいが、ようするに寺や神社とは名ばかりで、その実際は修験道、山岳信仰の山伏たちの聖地だ。寺や神社は後付けの設定に過ぎない。
2020-01-04 23:22:53ご存知かどうか知らないが、俺は修験道という謎の信仰、宗教が好きで、その気配の残る地へと用もないのに一人で車を走らせ、実際にその場に立って地勢を眺め、呼吸をし、中途半端に未開のまま時代に取り残された原始宗教の欠片に想いを馳せるという趣味がある。
2020-01-04 23:28:37俺は学者じゃないので、べつに論文を読んだり歴史の勉強をしたりしない。ただ空海による密教の伝来以前に、なぜか古来の山岳信仰と合体した、未熟で不正確な密教の欠片とその様々な解釈をもって体系化されぬまま、それでも実践され続けたその不思議で不気味な“雰囲気”が好きなだけだ。
2020-01-04 23:34:42もちろん修験だって体系化されているという意見もあるだろうが、それは真言密のような精緻で膨大なものではないだろうし、俺の感覚ではそもそも修験道は仏教の一派ではない。にも関わらずなぜか古くから密教の要素が微妙に土着の信仰とミックスされ、独特で奇妙な進化と変化を遂げた。
2020-01-04 23:39:18先日ふと呟いた寺か神社か問題とも関係があるのだが、修験は第三の勢力だといえるだろう。土着の山岳信仰が中国からパラパラと輸入されてきた密教の欠片と習合するその過程もなかなか謎だが、その明かに不完全でその全貌が理解も解釈もテキトーなままひたすら実践されるところが特に興味深い。
2020-01-04 23:49:25俺の個人的イメージでは修験道というのは古来土着の山岳信仰が八割、よくわからん渡来の密教的要素が二割という感じで理解しているが、これはどう考えても仏教ではないし、密教の一分派ともいえない。やはり山岳信仰がメインなんだとは思う。そこに寺や神社の名が乗っかるとますます意味がわからん。
2020-01-04 23:54:35で件の平泉寺白山社だが、当然これも創建は6世紀頃となっていて、様々な縁起や古い参道、圧倒的な静謐につい騙されそうになるが、実際にその場に立って森へ潜り山を見上げて思うのは「もっと古いんちゃうか?」ということだ。そこは最初から神聖な拝み場であって、寺や神社は後から乗っかってきた。
2020-01-05 00:01:07俺はこの「後から権威が乗っかってくる以前」の神聖とされた場所やその理由を考えるのが好きだ。修験は純粋な原始宗教とはいえないし、ヘンテコでいびつなものだと思うが「以前」の数少ない生き残りでもある。さらに謎の密教的エッセンスが権威のためではなく実践のために習合したのもおもしろい。
2020-01-05 00:09:45修験道があくまでも仏教や密教の一派ではなく、日本独自の山岳信仰が僅かな密教的要素と習合し発展、体系化されたもの、という一般的解釈にはなんの異論もないが、やはり俺にとって修験道が興味深く魅力的なのは、エッセンスに過ぎないはずの雑な密教要素なんだよな。
2020-01-05 00:24:13だからまあ、蔵王権現みたいのは正直どうでもいいんだよな。修験道のオリジナル仏にしてインド由来でもないのになぜか真言などもあって修験の本尊ということになっているが、これも後付けの設定に過ぎんと思うわ。やっぱ体系化しなきゃアカンのでは?みたいな理由で生まれた気がする。
2020-01-05 00:38:25やはり修験道の凄みというのは、個人が山深く分け入り、霊山と共に呼吸し、その験力を我がものとして天地一体となり、奇跡を起こし人知を超越するために行動し実践することにあり、個人的にはその最後のアウトプットに体系化される以前の密教の欠片が使われている点もなにやら怪しさ満載で素晴らしい。
2020-01-05 00:49:17というわけで正月につき仕事(金策)のことをすっかり忘れていたが、相変わらずゴミみたいなモンばかり大量に残っていて、処分しても金にならないが、処分しないと次に進めないので、金にならなくてもそっちから先にやらなきゃならんというクソのような状況でけっこうピンチやな。
2020-01-05 01:13:05昭和のガラクタ、ブリキ、ソフビなんかの玩具系は苦手なんだよ。わかりやすい高値のモンだけさっさと処分していくと、半端なカスだけ残るから、そいつらがどんどん後回しになってひどい有様になる。どこかで覚悟を決めてまとめて処分しないとデカい箱に埋れて他の作業がなにもできんくなる。
2020-01-05 01:24:14例のアメリカvsイランの件、朝起きると妻に軽く質問されたんだが、イランとイラクの区別すらついていないようだったのでまずは世界地図と年表からだな…と煙に巻いておいたが、いくら専門外とはいえ大学を出てそのあとさらに2年も高等教育を受けたくせに世界史について俺に質問するとは結構アレやぞ。
2020-01-06 10:53:00俺は特に学歴に劣等感を覚えるような生き方をしてこなかったが、学校に通ったことがないのは事実なので、実情はよくわからん。ただ漠然と高校から修士まで10年近く俺より余計に学校行って、さらに専門職で働いてたんだから少なくとも中学1年の算数すら解けない俺よりは賢くないとヘンじゃねえか?
2020-01-06 11:04:57