【理系は優秀?】 着目点の違いから発生する齟齬と善意に根ざした侮蔑 【文系は愚昧?】

理系的思考をする人(理詰めと効率の人)と文系的思考をする人(情念と理想の人)の対話が食い違うのはなぜか。 そして、相手が理解していないことが何なのかについて、既に理解している側はなぜ理解できないのか。 自分の正義と違う正義を信仰する人を侮蔑することを何故快感と感じるか。 救済するフリをしつつ、憐憫と優越感を抱いている点で、「可哀想な人を救ってあげよう」という善意は「おまえらはバカだ」という侮蔑と本質的には大差ないのではないか。 続きを読む
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2011年版、理系(的な)と文系(的な)

加藤AZUKI @azukiglg

理系にとっては「サンプリングした数値」が重要で、政治系にとっては「サンプリングした事実」が重要で、文系にとっては「サンプリングの事実を自分が知っているかどうか」が重要な意味を持つ。理系以外にとって数値そのものは深い意味を持たず、「サンプリングが行われた」時点で結論が固定される。

2011-08-17 01:50:11
加藤AZUKI @azukiglg

「もし問題がないなら、サンプリング/分析/調査は不要なはずだ」「それが行われた時点で、問題が潜在している」「そして自分は専門家ではないから数値の妥当性は評価できないが、検査/サンプリング/分析という行為が、数値の検出を目的としていることだけは知っている」そこらへんが理系と文系の溝

2011-08-17 01:51:51
加藤AZUKI @azukiglg

つまり理系にとっては「それが100なのか、99なのか。或いは50なのか1なのか」が重要だが、文系にとっては「0か、それ以上の全てか」しか判断できない。故に、0でなければ1でも10兆でも同じ。その理解の温度差を、「分かっている人は、なぜ分からないのかが分からない」という。

2011-08-17 01:53:22
加藤AZUKI @azukiglg

0でないのだから1でも100でも同じだ」という【信仰】を、「1ではあるが100ではないから大丈夫だ」と説得するのは、理系には不可能。それができるのは政治家だろうけど、政治家の多くはそれを信仰する側であることが、第二の不幸。

2011-08-17 01:54:45
加藤AZUKI @azukiglg

そして、理系が正しい数値の意味を政治家に教えることができたとしても、政治系は「己の主張のために好都合であればそれを採用し、政治的主張に不都合であればそれは採用しない」というものであって、理系はそこに「数値の損得」を注入した説明ができなければ、多分意図は通じない。

2011-08-17 01:56:06
加藤AZUKI @azukiglg

ところが、そこまで面倒見が良くて根気強くて人付き合いが良くて、というような性質だったら、多分理系に進んだりしないw

2011-08-17 01:56:47
加藤AZUKI @azukiglg

別に「理系は気が短い」とか言ってるわけではなくてw、説得に時間を割くのはそもそも理系の性質ではなく政治系の性質だろ、と。ただ、信仰心が強い輩というのは、とにかく自分の得た【悟り】を滅多なことでは手放さない=聞く耳を持たないので、理詰めの説得は多くの場合効を為さない。

2011-08-17 01:59:56
加藤AZUKI @azukiglg

@uyamt ところが、こういう視点で考える人は実際に多いわけです。そういう人が大勢をしめた結果が「今の日本」なわけですが、それを「馬鹿だから切り捨てろ、バカにしてよい」ではダメなわけで。「その人達は今後も変わらない」を前提にしつつ最善を考えるしかない。

2011-08-17 08:13:06
加藤AZUKI @azukiglg

「自分から見て愚かしく見える行動を取る人がいる」ときに、自分は愚かではないという自覚がある場合。A「愚かだから侮蔑しておく」B「愚かではなくなるように説得・説明し理解を促す」多くの人はAかBのどちらかの対応を取る。Aは諦めと優越感、Bは善意でそれをする。 @uyamt

2011-08-17 08:15:19
加藤AZUKI @azukiglg

A「愚かな人を侮蔑する」これは社会正義の名の下に溜飲を下げるという快楽を得るためだけにしばしば行われている。「あいつらバカだ」と指さす行為はそれが正義に根ざしているが故に、優越感と正義感を双方満たす。 @uyamt

2011-08-17 08:17:09
加藤AZUKI @azukiglg

B「愚かではなくなるように諭す」これはAよりマシな行動に見える。もちろん、その行為行動は「無知や暗愚に基づく間違いを、善意で正してやろう」というものであるわけで、本人の中では「自分は正しく相手は間違っていて自分は善行をしている」という自覚があるから快楽が得られる @uyamt

2011-08-17 08:18:44
加藤AZUKI @azukiglg

相手が仮に「正しい自分」の意見を受け入れなかったとしても、自分の正義は揺るがずなおかつ「可哀想な人」と憐憫の情を持って見下すことができる。この点、AとBのコミットの仕方、そこから行為者が得られる精神的充足感の質に大差は無いような気がする @uyamt

2011-08-17 08:20:08
加藤AZUKI @azukiglg

実際のところA「侮蔑しておく」B「救済を試みる(成功せず、相手の愚を可哀想に思いつつ見下す)」はその行為者自身にとって精神的充足感を得る以上の効果はなく、「愚かしい考え」の人は考えを変えないので、事態は一㍉も変化しない。 @uyamt

2011-08-17 08:22:17
加藤AZUKI @azukiglg

なので、取るべき道はC「相手は説得を受け入れず変質もしない、という前提を織り込んだ上で全体が進む方向を見出し、そこから得られる展開や方針が自分に及ぼす影響が最小になるように備える」の一択になるような…… @uyamt

2011-08-17 08:23:42
加藤AZUKI @azukiglg

「自分の力で他人を変えられる」というのは傲慢であって、変わる人は自分がコミットしなくても変わっていく。自分の力で変えられない人は何をしたってどうせ変わらないのだから、その人が変わらない前提で自分の身の振り方のほうを修正すればいいのに、とか @uyamt

2011-08-17 08:25:10
加藤AZUKI @azukiglg

てか、「自分ではない誰かを、自分のほうが正しくて優れているという前提を相手に認めさせた上で、自分の思い通りにさせよう」てのはこの上ない傲慢でもあるわけなんだけど、優越感、正義感、救済者を自負する善意に絡め取られるとそれを忘れがちだなあ、というお話でした @uyamt

2011-08-17 08:26:42
加藤AZUKI @azukiglg

ところが相手の行動を忠告で変えるというのは多くの場合はうまくいかないので、忠告というのは結局のところ自己満足なのではないか、とか思ってしまうのです RT @hilowmix: 「葉隠」で「忠告だけなら言いたいこと言ってるだけと同じ。相手に伝わって、行動を改めるようにまで持っていけ

2011-08-17 08:28:10
加藤AZUKI @azukiglg

仮にそれによって相手が変わることがあるとしたら、それは奇蹟のようにラッキーな話。だから言うだけは言っておくwけど、忠告で相手が変わる可能性は低いし、変わらないことを理由に相手を愚かと決め込んでしまうと、後は忠告者自身の「快楽のための侮蔑」になりかねない @hilowmix

2011-08-17 08:29:42
加藤AZUKI @azukiglg

でも、侮蔑者に容易に変質してしまう忠告者もまた、あくまでも善意でそれをしている。意見を変えない人も「自分が理解できる範囲での情報から善意でその結論を得ている」。ミニマムではあるけどここにもまた善意vs善意の衝突があるわけで、容易に和解したりしねーお>< @hilowmix

2011-08-17 08:33:40
加藤AZUKI @azukiglg

よく言う「間違った側が間違いを受け入れて和解すれば衝突は避けられる」という思考は、やんわりとだけど「悪かった悪かった。でも俺は間違ってないし間違ってるのはお前だから譲歩しろよ」と言ってるようなものなわけで、それぞれの善意に基づいて意見対立している状況でそれ言ってもそりゃ解決しない

2011-08-17 08:35:21
加藤AZUKI @azukiglg

自分で気付いて自分で会得した、と自覚出来ないものは、結局身に成らない。「外部から別の正義を押しつけられた」と思ってるうちは頑なにそれを拒むのが人ですしねえ RT @hilowmix: @azukiglg たしか葉隠では、相手の信頼が得られるようにし、関節的に日日の会話でそれとなく

2011-08-17 08:38:43
加藤AZUKI @azukiglg

自分に理解できるのだから他人にも理解できるはず、自分は特別ではないのに理解できるのにそれができない相手は普通以下だ、という反意を含んでますねー RT @hilowmix: 頭のいい人に限って、「正しい意見なんだから分かって当然」と考えがちなのは不思議というか残念というか。

2011-08-17 08:42:13
加藤AZUKI @azukiglg

アインシュタインは「自分がなぜ理解できたかを説明することすらできなかったので、学校の成績は悪かった」ってなかったっけ RT @reisacker:本当にあたまのいい人は、嫌味でもなんでもなく、「なんで理解できないのかが理解できない」んですよね。だから、説明してあげることもできない

2011-08-17 08:45:16
加藤AZUKI @azukiglg

自分が理解できていて相手は理解できていないことを相手に説明するには、彼我の思考の前提の比較と、理解深度の比較とが必要だろうけど、普通は教師の仕事である上に教師ですらもそこまで細かい「彼我の比較」をいちいちやんないしできない。教えることが専業でない人間には況んや。

2011-08-17 08:47:10