「万人に対して開かれていない表現」の意味とは何か?
エロ漫画の影響力を問題視する言明として、エロ漫画を見ている人たちは、いずれきっと誰かが実行するのだ、みたいな言い回しがあるが、そんなものは「飛行機が空を飛ぶのはおかしい、いつか必ず落ちる」に似たようなもので、大した意味はない。エロ漫画読んでなくても性犯罪はする人はいるわけだし。
2011-08-15 19:47:52それを考えると、「エロ漫画を見ている人たちは、いずれきっと誰かが実行する」というのは無意味だと否定するのではなく(それは規制の直接の根拠としては無意味だと思う)、一種の恐怖感の表現としては考えなければいけないと思う。
2011-08-15 19:52:11しかし、それに配慮して何ができるか、何をすべきかが難しい。何もする必要がないという立場だってありそうだ。また受け手のリテラシーを向上させるべしという立場もありそうだが、こんな表現が!という人がそれを受け入れるのだろうか?
2011-08-15 19:58:00@wagu108 基本的に表現とは特定の為にする行為でしょう。その『特定』の範囲が広ければ受け入れられる人も多いし、狭ければピンポイントの人しか受け入れられない。ただ単に「こんな表現が!」という人は、その『特定』の範囲に入ってないだけのことで。それはただただ不運・不幸なこと。
2011-08-15 20:08:33@wagu108 その『特定』の範囲に定まった人だけが見れる・手に入れる環境を手にすることが配慮の一つの手(これがゾーニングにあたる)だが、それをしてもわざわざ入ってきて「こんな表現が!」とか叫ぶ人がいるから困ったものだ。
2011-08-15 20:12:25@astray000 確かに「見たくない権利」への配慮は必要だし、効果もあるのだろうと思います。ただ、なぜわざわざ入ってくるのかといえば、やはり理由はあるのだろうと。そこに「搾取」「差別」を感じる人にとっては、「知らぬが仏」は困るということでしょうね。
2011-08-15 20:30:41@astray000 まあ、どこまで考えるべきなのか、配慮すべきなのか、配慮するとしてどういう方法が良いのか、ぼくにはよくわからんですが。
2011-08-15 20:32:03その人にとっては存在してはならぬものなんでしょうね。ゼロトレランスでしたっけ? 『容認ゼロ』とは上手く言ったものだ。@wagu108 そこに「搾取」「差別」を感じる人にとっては、「知らぬが仏」は困るということでしょうね。
2011-08-15 20:36:19それが断固規制すべしと言っているかというとそうではない。規制そのものには反対という人は結構いるようです。規制反対しかし批判はすべきという立場がある QT @astray000 その人にとっては存在してはならぬものなんでしょうね。
2011-08-15 21:16:07RT @hibari_to_sora: それは違う。表現は「己の妄想を堪能する場所」でいい。でも、それで開き直ってしまったら人との関わりや社会とコミットしていくことを捨ててしまうことになる。表現とは己の妄想を肯定するものでもあるけど、社会とコミットする唯一の方法でもあるから。 http://ow.ly/63jSw
2011-08-16 06:15:43個人の生活や内心が常に社会に公表できるわけではないし、その必要もないのだから、それに応じて「日陰」でしかありえないような表現も出てくると思われる。それが単に理想の欠如なのか、別の理想を実現しているのかわからないけれども。
2011-08-16 06:25:30「表現が万人に開かれていること」は一つの理想ではあるが、ぼくの感覚では「万人に対して開かれていない表現」が存在することは別の理想を実現しているような気がする。
2011-08-16 06:29:31ただ「万人に対して開かれていない表現」はつきつめれば表現ですらなくなってしまうのだから、「万人に対して開かれていること」との間での中庸がもとめられるのだろうか。そうかもしれないよくわからない。
2011-08-16 06:33:37「万人に対して開かれていない表現」の存在が実現する理想は、多様性とか寛容とかそういう価値相対的なものだけではなくて、もう少し積極的な性質があるような気がする。
2011-08-16 06:58:46「万人に対して開かれた表現しか認められない世界」というのはディストピアなのだと思うし、それを目指すのはニヒリズムなんじゃないか。もしそうだとした場合、「万人に対して開かれていない表現」の存在が示す意味とはなんじゃらほい。
2011-08-16 07:03:33@wagu108 内輪向けの表現というのも表現ではあると思います。恋人への愛の語りから「敵」への罵詈雑言ヘイト・スピーチまで。理想とおっしゃる意味がよくわかりませんが、表現の自由(公共性)が問題になることはないという意味でしょうか。
2011-08-16 07:32:31@moffji 表現にとって公共性、誰にも受け入れられること、は一つの理想です。しかし、一部の人にしか受け入れられない表現も存在します。それはたしかに公共性の理想を欠いていますが、そこには別の意味があるんじゃないかなあ、という話ですが、明快な答えを持ってるわけじゃありません。
2011-08-16 07:47:03「万人に対して開かれていない表現」の存在に積極的な意味があるとしたら何か?と最近言ったが、栗本薫さんの言葉はその答えなのかな>「どうして、自分ひとりの病気のはずだったのがこんなに同じ関心をもつ女性が多いのか、だとしたらもしかしてこれは社会的な原因があるのではないか」
2011-08-17 23:43:40自分自身の切実な悩みや傾向があるが、それは社会に認められそうにないと思っている。ここで、それについての表現を世間に発見したら、その人にとって救いとなるだろう。社会の多数派ではないとしても、少なくとも共感できる仲間がいるということを意味するのだから。
2011-08-17 23:48:16「万人に対して開かれていない表現」の存在に積極的な意味があるとしたら何か? ということの答えは、個人としてしか存在することができない人間の存在の意味だということになるだろう。
2011-08-17 23:55:06個人的には、「万人に対して開かれていない表現」の意味は、この歌に近い。まあ、最初から個人的な問題かもしれないが>「白鳥はかなしからずや空の青 海のあをにも染まずただよふ」
2011-08-17 23:58:51