@ihatov_cc そこにもうひとりだれかいればと思うのは天界の夢でしょうか?「ゴッホのそばにボクがいればあんな死に方はさせなかった」といつかガハクが言ってましたっけ。
2011-08-18 15:14:29ゴッホみたいな悲惨なことはもうあり得ないんだから、あれ以上の迫害も無視もないんだから、怖がることはないんだよ、勇気を出しなさいよ、ってガハク。
2011-08-18 15:19:21その人への愛が深いほど、喪失も他の誰も届かぬほど深いのでしょうか。ところでゴッホも賢治も37年の生涯。RT @kyo_marble そこにもうひとりだれかいればと思うのは天界の夢でしょうか?「ゴッホのそばにボクがいればあんな死に方はさせなかった」といつかガハクが言ってましたっけ。
2011-08-18 16:18:57@ihatov_cc しかもどちらも弟が献身的。@kyo_marble QTところでゴッホも賢治も37年の生涯。
2011-08-18 16:23:17@mishimahiroshi ゴッホの弟のテオは、後を追うように病死したそうで。テオの奥さんもいい人。義兄の絵の真価を理解していて、大事な思い出だからとぎりぎりまで手放さなかったそうですね。悲しさを包む美♪
2011-08-18 17:15:08@kyo_marble 名古屋でもこの春ゴッホ展があり、テオが後を追うように亡くなったと知って驚いたんです。清六さんは80歳過ぎてもヨーロッパ旅行をするほどお元気でした。QTゴッホの弟のテオは、後を追うように病死したそうで。テオの奥さんもいい人。
2011-08-18 17:21:17@kyo_marble ゴッホ展とカンディンスキー展が相次いであったのですが、カンディンスキーは若い人が圧倒的でした。ゴッホは年齢層が高かったですね。絵の好みも時代と共に変わっていくのでしょうか。確かゴッホは僕より100歳年上。
2011-08-18 17:23:00@kyo_marble @mishimahiroshi ところが「ゴッホの遺言」(新潮文庫)という本があるのです…。全く違うゴッホ像で、何と言うか…。
2011-08-18 17:32:07だいたい今でもゴッホをヘタだと思っている人は多いのです。ダリが好きだという人にがっくり。それが美術家の連れ合いだったりして。創造の源泉を見てご覧よ、ぜんぜん違うんだから♪
2011-08-18 17:37:15@kyo_marble @show3418 ゴッホ展は彼に影響を与えた同時代作家の作品も多数出品されていていました。「ゴッホはいかにしてゴッホになったか」というタイトル。あの狂気とも思える熱量は他の追随を許さないのでしょうね。何が彼をしてあの絵を描かせたか。また聞かせてください。
2011-08-18 17:48:51@kyo_marble ちょっと今名前を思い出せません。ゴッホ像はより素晴らしく描かれています。テオも…。でもテオの奥さんは…。この本はゴッホの「狂気」について再検討しています。自殺の原因は狂気ではない!それでは?
2011-08-18 18:03:41@show3418 意外と早い時期にゴッホの絵が注目されたのがナゾ。その辺の利権に画商と奥さんとのやり取りや絡みが当然あるのでしょうね。暗い世界。ゴッホにも賢治にも触れる事が出来ない人達にもご慈悲を♪
2011-08-18 18:25:07,@ihatov_cc @mishimahiroshi @show3418 (ゴッホが死んだ時出さずに持っていた弟テオ宛の手紙最後の段)「そうだ、自分の仕事の為に僕は命を投げ出し理性を半ば失ってしまい、そうだ、でも僕の知る限り君は画商らしくないし君は仲間だ(続く)
2011-08-18 18:50:34@ihatov_cc @mishimahiroshi @show3418 (続き)…僕はそう思う、社会で実際活動したのだ、だがいったいどうすればいい」ここから読み取れるのは、弟への罪責感、事業の失敗感や社会的地位の不安さ。ゴッホは最後まで自尊心との葛藤にも苦しんでいたのでは?
2011-08-18 18:56:55,@ihatov_cc @mishimahiroshi @show3418 ゴッホの手紙の中にあるスケッチ。粗い線で描かれた中に色の説明が書いてある。それ見ただけで間違いなくいい絵になりそう。そういうビジョンが次々と目の前に見えてれば誰でも夢中で描きたくなると思うんです。
2011-08-18 19:13:47どんどん思い通りの絵ができていく、どこを直せばもっとよくなると分ってる、そんな状態で画布に向かってれば時間も忘れてしまう。でもふと我に返ると、絵は売れず結婚したばかりの画商の弟には負債をかけてばかり。兄としての面目も立たない。画家としての地位は?鬱病になっても不思議ないような。
2011-08-18 19:22:44@k_ghk @ihatov_cc @show3418 中学の教科書で観たアルルの麦畑の絵が好きでした。あのころのゴッホは本当に楽しそうに描いていたような気がします。晩年の絵は観ていて息苦しくなるのですが。彼は内在する潜在力を絵に昇華することでかろうじて生きていたのでしょうか。
2011-08-18 19:45:21,@mishimahiroshi @ihatov_cc @show3418 短い期間(5年?)であれだけの作品量を描けば誰でもおかしくなって不思議ないと思うのは凡人の想像でしょうかね?初動→洗練→豊穣→老成を一気に駆け抜けたようにも思えてしまいます。
2011-08-18 19:58:42@k_ghk 天才は駆け抜けますね。そのエネルギーを身体も精神も支えきれないのか。本人だけでなく周囲も支えきれないかもしれない。 @ihatov_cc @show3418 QT初動→洗練→豊穣→老成を一気に駆け抜けたようにも思えてしまいます。
2011-08-18 20:25:39私がゴッホの絵で感じるのは、対象の実在感が「あり過ぎる」ほどの、ありありとした感覚です。外界への(物理的距離でなく)心理的距離が異常に近いような。この逆の「遠くなる」感覚は、普通人も非常に疲れた時等にある奴ですが。 @k_ghk @mishimahiroshi @show3418
2011-08-18 21:50:4820世紀以降の美術では、こういう感じを意図的に作りだし表現するということも行われるんでしょうが、ゴッホのあの素朴な人柄を思うと、あの表現は彼がそのまま体験していたことかと想像してしまうんですが、どうなんでしょう。 @k_ghk @mishimahiroshi @show3418
2011-08-18 21:58:32で、(また何でも賢治がらみにするいつもの癖ですがw)、賢治の詩からもこの「強過ぎる実在感」「心理的距離の異様な近さ」を感じるんですね。「七つ森のこつちのひとつが/水の中よりもつと明るく/そしてたいへん巨きいのに…」 @k_ghk @mishimahiroshi @show3418
2011-08-18 22:22:42@ihatov_cc @k_ghk @show3418 そうそう、賢治の『春と修羅』の「ZYPRESSEN 春のいちれつ/くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ」はゴッホの「糸杉」を想起させます。
2011-08-18 22:30:22