非-芸術的演劇(/「真実」への接近としての)
- kenken_1987
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う~ん、色々と考えたけれど、とりあえずまだ僕には実力不足ということで、カントやらヘーゲルやら「古典」を読む時間を増やしたいなあ。どうにも僕は、同時代の文藝・文化について語る気概がない。まだまだ、慎重になっているところがある。
2011-08-19 00:14:11同時に、どっぷり浸かっているはずの演劇界に対するコミットメントが最近減って来ているのは、岡田利規登場以降の現代演劇の動向に対して、どうしても当事者意識を持てないところにある。
2011-08-19 00:15:45僕が考えている「演劇」は、生活様式をダイレクトに反映させる場なのだけれど、「ダイレクト」と言った時に、それが自然主義的に提出することではない、というところが、何だか平田オリザ以降の「静かな演劇」一群を見ない理由かもしれない。
2011-08-19 00:17:38なんだろなー。なんか。多分、俳優の問題だと思うんだけど、思っているんだけど。やっぱり、スタニスラフスキーじゃなきゃダメなんだろうなー。俺は。だから、どうしても面白くない。面白いと思えない。だからむしろ「オタク文化」に逃げているのかもしれない。
2011-08-19 00:18:38むしろ、倉さんとかと芝居やってる方が楽しいとか思うのは、なんかそういうところにあるかもしれない。ホリホリは、そこらへんのところ、あまり好ましくないのかもしれないけれど、やっぱ演劇って集団創作するもんだし、別に芸術的価値なんかいらないと思うわけだよね。
2011-08-19 00:20:00ここはきっぱりと、立場を決めておいた方がいいのか。「演劇は、芸術じゃないです」とかって。演劇は、芸術でもないし、思弁の道具でもない。むしろ娯楽だし、ショーだし、芸能でいい。その素朴さが、逆説的に崇高さになる瞬間だけを僕は望んでいて、というか、それしか崇高というあり方はありえない。
2011-08-19 00:21:50いやきっと、岡田さんだってそう考えているはずなんだけど、でもそうならない。それがもどかしいから、なんだか、演劇に未来を感じない。だからむしろ、古典に逃げてるのかもしれない。だって、映画登場以前は、演劇は最も素朴だったものね。
2011-08-19 00:23:45ひと昔前だったら「労働者のための演劇」とか、僕の場合は言ってしまっていたと思う。「無政府共産!」と叫んでいたかもしれない。しかし今、それは不可能だし、それがいいとは思わない。そうではないけれど、やっぱり素朴な人による素朴な人のための演劇をやりたい。
2011-08-19 00:22:49究極を言えば(それは不可能だが)納涼花火大会や阿波踊りが、演劇の目指すべきところであって、常に納涼花火大会や阿波踊りが再生産される形でしか形式は復興されない。しかし、それはやっぱり、不可能に思えてならない。
2011-08-19 00:25:20そもそも「劇場」というあり方が、縁日的なあり方ではありえないのだから、「劇場」は近代社会の産物でしかありえない。だから日本の演劇界はそのような状況に向かっているし、これをとりあえずは「成熟」と呼ぶだろう。ただ、それはあまりに皮肉だから、なんだか、辛くなってくる。辛いだけ。
2011-08-19 00:26:32@yokotatakao 芸術、のあり方が「作品」に回収されないという事でしょうやはり。よこたさんが「娯楽で良い」と言う時にも、作品としての娯楽はあまり意図されていない様に思います。つまり、単に皆で楽しく活動が出来れば良い。とすると、演劇じゃなくて良い訳ですよね
2011-08-19 00:27:06しかし残念ながら「見えないもの」は、やはり「見えない」のであり、その「見えない」ものを「見える」ようにするために批評が必要ならば、演劇はいらない。演劇が本当に「見えないものを見えるようにする」ためには、一体何が必要なの?教えて、偉い人。
2011-08-19 00:27:48@kenken_sebatex もちろん、ここの議論は精緻にしたいところで、ようやくケンケンが返信をしてくれたというわけなのですが(笑)、対話という演劇的形式の中で対話者がお互いにいかに真実を見いだせるか、という問題になるのではないかと思います。
2011-08-19 00:29:44@kenken_sebatex 少しケンケンの問題圏からはズレますが、例えば「ソクラテスの弁明」において、ソクラテスの正義はいかにして認められるのか、また認められる必要はあるのか、ということが僕の目下の議論の対象です。
2011-08-19 00:31:19@yokotatakao 携帯で打ってる間にまつりごとに関する云々がつぶやかれていた。うむ、まさしくそういう事でしょうね、その究極形態は僕は一人での踊りで良い(かもしれない)、と言っている訳ですが、…上演、と踊り、の差異を考えればいくつかの問題が解決すると思いたいすね
2011-08-19 00:31:20@kenken_sebatex (議論からは離れますが)ひどく感情的なことを言えば、今の演劇よりも、アニメの方が断然面白く見えるというのが、すごく悲しいし、演劇がアニメのように面白くなるための処方箋ってなんだろう、というのがKTG辺りで述べたいところです。まあ、現実的過ぎる話ね。
2011-08-19 00:35:45@yokotatakao よこたさんが一時期「ミメーシス」と連呼していましたが、まさしく今改めてミメーシス、と言うべきだろうと考えています。それはつまり、西洋文明の文脈であれば「'未だ実現していない'ギリシアという理念の模倣」等。
2011-08-19 00:36:18@yokotatakao この場合、「真実」とは確固たるものとして実在する訳ではなく、勿論誰かに認められる訳でもなく、絶えず刷新されるべきものである。この様な真実は、現前に存しているのか、過去、あるいは…等と少し前まで問題を時間に回収しようとしていたのですが、それだけでは流石に。
2011-08-19 00:40:39@kenken_sebatex いやあ、まさにそういうことです!さすがに、色々と見抜かれてしまっていますが(笑)、「絶えず刷新される(…)真実」を「模倣」するということの様態をいかに切り出すか、が問題なわけです。
2011-08-19 00:43:45@yokotatakao (サルトル流に)魔術的な問題です、本当に。見えないものを無、潜勢力、差異、等と呼んだところで何も解決しない(現代で改めて「過去の」タームを用いたところで面白くない)。
2011-08-19 00:45:37@kenken_sebatex 「魔術的な問題」ですか、恐ろしい表現ですなあ。しかし、演劇人がこの問題に取り組まず、一体どのような「問題」があるというのだろうか、と思う。(アレントによれば)演劇とはまさに、触知ことのできないものを表象できる唯一の芸術ジャンルなのだから。
2011-08-19 00:49:36@yokotatakao 「僕らは(あるいは現存在は!)」何を望んでいるのか。それをここでは端的に、便宜的に戦略的に演劇的に、イメージの拡張である、と言いましょう。それは感情の拡張と言い換え得るでしょう。この言説に問題は多いとは思いますが、これを言わずして何が人間か!と言いたい。
2011-08-19 00:51:05@kenken_sebatex そうやねー。もう、そうとしか言えないねー。なんか、辛いよ。劇場がそのように機能していない、という現実が。なんかねー、究極のところ、お客さんが(エンタメにせよ、高級芸術にせよ)演劇に求めているのって、こういうことじゃん?
2011-08-19 00:54:05@yokotatakao 何が魔術的かと(端的に)言えば、何が感情を引き起こすのかという事です。受動的な知覚と、情動の関係が魔術的であると。アレントは「表象」と言いましたか?表象されたらそれは既に見えないものではない。表象されるのではなく、魔術的に感得されるとしか言いようがない。
2011-08-19 00:57:35@yokotatakao 求めている、と言ってもこれは表層のレベルではなく、現存在の存在様態が超越論的に有している構造だと言いうるでしょう。(この論証は「タナトス」でも何でも使ってどうとでもなるでしょう(今かなり暴論モードですが))
2011-08-19 01:01:39