羽幌炭礦鉄道は名羽線にどのような形で乗入れたのか

羽幌炭礦鉄道による名羽線の利用はどのような形態を取られ乗入れが行われたのか、行政文書等の資料を用い、実像に迫ります。
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とも@好事家 @keyanohana

羽幌炭礦鉄道、曙ー三毛別の許認可関係で昭24.3.17付構外側線許可を使って名羽線内の営業運転してるとしたら辻褄合うよな

2020-08-12 19:22:19

公文書等の調査と考察

とも@好事家 @keyanohana

名羽線乗り入れに関する考察 名羽線は鉄道敷設法別表143号「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」のうち一般的には朱鞠内-羽幌間をさしていう路線。その中で曙-三毛別間に関して羽幌炭鉄側の列車にて同砿の石炭輸送のために使用されたという歴史がある。 pic.twitter.com/micTooPDgj

2021-07-07 13:43:19
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とも@好事家 @keyanohana

この未成線を利用した運転を非営業線での貨物輸送や貨物側線的な特例といった記述がみられている。今回はこういった記述と同区間の運用に関し考察していきたい。まず建設背景としては1951年に日本炭鉱労働組合関係の大規模ストライキにより国内の備蓄石炭がほぼ枯渇する事態に陥った。

2021-07-07 13:44:11
とも@好事家 @keyanohana

国鉄もその影響で各地に買い付け回る中、非加盟の羽幌炭砿が国鉄救済に名乗りを上げ、フル生産体制で国鉄へ石炭供給することとなった。そのため国鉄は恩返しの形で同線を1957年に調査線昇格、1962年着工した。

2021-07-07 13:44:40
とも@好事家 @keyanohana

工事線のうち曙 - 三毛別間については、羽幌炭鉄の当初の免許申請路線(1939年9月追申により削除)で、輸送効率化のために熱望した路線であった。先行して1962年12月24日に開業した。これ以降曙-三毛別間に運炭貨車が走ることとなった。 pic.twitter.com/D6FZh5lQyC

2021-07-07 13:45:27
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とも@好事家 @keyanohana

この時の措置として廃止申請時の陸運局概要によれば同日付で札陸鉄認第192号により車扱石炭のみに限り運転業務の管理委託を受け、対価として使用料を払うという形。つまりは国鉄線として開業し、羽幌炭鉄の直通運転として運用したのだろうと考えれる。 twitter.com/AKAIWA8095D/st… pic.twitter.com/68erBezWSL

2021-07-07 13:49:42
いたや @AKAIWA8095D

家の中を整理していたら『鉄道使用料後払調書(三毛別〜曙間)』ってやつがでてきた。これ、北海道にあった国鉄名羽線(羽幌〜朱鞠内)の先行開業区間が羽幌炭礦鉄道に貸出されていた時に石炭のトン数によって国鉄に使用料を払っていたという決定的証拠なのよね。国鉄名羽線の数少ない記録と記憶… pic.twitter.com/cvD881gR6I

2017-11-15 21:38:00
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いたや @AKAIWA8095D

家の中を整理していたら『鉄道使用料後払調書(三毛別〜曙間)』ってやつがでてきた。これ、北海道にあった国鉄名羽線(羽幌〜朱鞠内)の先行開業区間が羽幌炭礦鉄道に貸出されていた時に石炭のトン数によって国鉄に使用料を払っていたという決定的証拠なのよね。国鉄名羽線の数少ない記録と記憶… pic.twitter.com/cvD881gR6I

2017-11-15 21:38:00
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とも@好事家 @keyanohana

この中で管理番号に注目したい。「札陸鉄認」とは札幌陸運局鉄道部監理課所管を示し、特に”認”は以前に直通運転認可の際用いたものであった。 pic.twitter.com/tLIQFKYdxl

2021-07-07 14:19:44
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とも@好事家 @keyanohana

話は戻り、そういったことから開業式典の際には三毛別から曙までの列車が形ばかりに走ったのではないだろうか、また類似例として大糸線の建設過程において信濃鉄道の信濃大町から大糸南線が建設された事例があり、将来的には買収等の方法で羽幌炭鉄線を確保し開通させたのではないかと予想される。 pic.twitter.com/MLxdbCH6b3

2021-07-07 14:21:21
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とも@好事家 @keyanohana

その後、同線は築別炭鉱の閉山により1970年に廃止されることとなるが、そういった背景から羽幌町が廃線敷(曙-築別間)を確保しようとしたのだろう。同町は何らかの措置をとったと思われるが、最終的には建設自体が凍結され未成に終わってしまった。 pic.twitter.com/lPLQt0ihmt

2021-07-07 14:22:28
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国鉄からの恩返し話はどこから?

とも@好事家 @keyanohana

国鉄もその影響で各地に買い付け回る中、非加盟の羽幌炭砿が国鉄救済に名乗りを上げ、フル生産体制で国鉄へ石炭供給することとなった。そのため国鉄は恩返しの形で同線を1957年に調査線昇格、1962年着工した。

2021-07-07 13:44:40
まるてん @ckbthbr

羽幌炭鉱が国鉄から感謝状を送られたのって1953年だっけか。そのお礼で名羽線云々って話は史料見てないから疑わしいと思うけど。

2022-02-21 19:24:45
とも@好事家 @keyanohana

@ckbthbr 名羽線のこの話ってどこで言われてるんですか?

2022-02-21 19:43:16
まるてん @ckbthbr

@keyanohana この辺りの話です。感謝状貰ったのは間違いないのですが、そこから先の話は史料見てないからどうなのかなって思ってます。 pic.twitter.com/uXiaKBtPnK

2022-02-21 19:49:24
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とも@好事家 @keyanohana

@ckbthbr 羽幌炭鉱小史にもそのような記述はなかったように記憶していますが、出所はどこなんでしょうか。 結果からみて様相的にそのように語られたという可能性もありますが

2022-02-21 22:31:29
まるてん @ckbthbr

@keyanohana 私も手元の小史を確認してみましたが、炭労スト時の貢献と名羽線を結びつける記述はないです。少なくとも私が知り得る限り、そんな話は聞いたことがありません。こじつけでないと良いのですが…

2022-02-21 22:46:50
とも@好事家 @keyanohana

@ckbthbr なるほど。 『羽幌炭鉱鉄道 躍進の記録』では明言していましたがそういう状況なのですね。 たしかに同時期の着工線でも開業後の鉱物輸送を目的としたものが多かったようですから全体計画の内の一つととらえた方がいいのかもしれないですね。 kokkai.ndl.go.jp/txt/103803830X…

2022-02-21 23:38:22
まるてん @ckbthbr

@keyanohana 小史の記述の元になった石炭羽幌も再確認しましたが、名羽線の着工が早まったという話は載っていませんでした。(そもそも表に出るような話でもないですが)

2022-02-22 06:59:05
とも@好事家 @keyanohana

@ckbthbr 大前提として“早まった“のかどうかという点ですね。 それまで陳情活動では端にも棒にもの上記ので降って湧いたように着工が決まったのであれば、きっと国鉄からの恩返しだ!っていうストーリーは予想できます。 同時期の他路線との時間軸的な比較で見えてくることもありそうです。

2022-02-22 09:28:03

根拠の一つ『国鉄職員の手記』

いたや @AKAIWA8095D

あれは国鉄札幌支社の塩田課長の手記に書いてあったもので、本来ならば全線開通させてから路盤を使用させるのに対し、羽幌砿の合理化で供出するのに間に合うと曙〜三毛別の路盤のみ8ヶ月という突貫工事で竣工させたものだったはず

2022-02-22 23:33:28
いたや @AKAIWA8095D

その際に立坑巻上塔の屋上から見た写真に英国メトロポリタン製客車が三毛別構内に停車してる姿が写り込んでて、ワヤって話になった。 躍進の記録で使ってる屋上からの写真自体が塩田さんの親族から頂いたものだったけど

2022-02-22 23:35:31