正義と悪を語るのは簡単だが

東日本大震災に於ける被災者と非被災者、『五百体不満足』に関する意識の相違から
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如月綾香 @trim_from_ak

敢えて述べる。『五百体不満足』で批判しているのは、東日本大震災の被災者に対しても同じ態度を採っている。意図していようとしていまいと。逆も然り。否定する余裕があるなら顧みろ。重複する点が膿の如く出てくるはずだ。

2011-08-21 09:42:34
如月綾香 @trim_from_ak

そもそも人はいつの世も、逆境の中に投身し、解放や乗り越えることで英雄主義と美徳に見做すのが性。しかしそれは、特撮にありがちな見え透いた『万人共通の勧善懲悪』だけではなく、いわゆる『免罪符欲しさの勧善懲悪』というのも含まれる。その典型が、秋葉原通り魔事件。

2011-08-21 10:04:11
如月綾香 @trim_from_ak

犯行動機が「不遇のまま何も対策に講じなかったことへの逆恨み」ということは世に知られているが、被害者の救助にあたった民間人の主張もまた「仲間の危機を放っておけない」「苦しんでいる者を助けるのが人間」という。気持ちは判る。故に切り返した――そこへいたる根拠は何なのか

2011-08-21 10:19:47
如月綾香 @trim_from_ak

『仲間』とは何か。何を基準としているのか。面識すらない相手に斯様な事を決め付けられる根拠は何か。返ってきたのは「対象は違えど、同じ場所にいるのは目的も同じだから」「それが正しいこと」という文言だけ。確証すらない自分の妄想だけで行動していた。

2011-08-21 10:29:53
如月綾香 @trim_from_ak

警察から交付される感謝状についても同じで、「あんな紙切れなど免罪符にすらならない」と一蹴した私に対して「みんな見返りがほしくて行動しているんじゃない」と反論があった。残念だが、人間というのは物事を本能で損得勘定を経て判断するもので、言葉を返せばそれ抜きでは思考は働かない。

2011-08-21 10:37:08
如月綾香 @trim_from_ak

一般的には『善行を重ねれば、万一罪を問われても軽くなる』と信じられているが、現実は逆。いくら徳を重ねようと、過失で誰かの足を踏んでしまえば全て水泡に帰す。程度にかかわらず、罪を犯せば免罪のお膳立てなど通用せず、回数を重ねて賠償せねば罪は軽くならない。

2011-08-21 10:54:06
如月綾香 @trim_from_ak

いくら貯蓄があろうと、器物破損や人身事故、事業の失敗などを招けば、自分の所業の不始末で莫大な請求が生じ、借金や負債により元金と利子分の返済を迫られる。尻込みすれば、その分負債額も上乗せされる。負債を抱えずとも貯蓄は著しく減り、況して自分の徳を露呈して放免されるほど好都合ではない

2011-08-21 11:21:57
如月綾香 @trim_from_ak

贖罪や免罪とはそういうもので、この例え話も内容は違えど、心理学に於いて実際に用いられている。既成事実を前にして、風化や時効を待てば咎められないと思ったら大間違い。善行も悪行への転用や意識変更することは容易で、悪行もまた『必要悪』と銘打った善行で片付けることもできる

2011-08-21 11:31:48
如月綾香 @trim_from_ak

回りくどかったが、要約すれば『自身にとって、利害の一致から利益に結びつくことと導き出された結果は正義、損になることは悪』というのが動物の性。冒頭の件にしても、自分にとって都合が悪ければ幾らでも罵倒はでき、逆に好都合であれば利潤を維持しようと保守的になる。私とて同じ。

2011-08-21 11:55:17