平安貴族が騎乗してた「シマウマ」(島馬)とは何か?古代日本の馬は島などの低湿地で飼育され、島伝いに沖縄まで「島の牧」が伝わってたことが分かった

島・河口などの低湿地で飼われていた古代日本の馬の歴史!当時の馬はどんな草を食べていたのか?
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ちょっとした話題【1】
平安~江戸時代まで、京都を中心とした美の感覚では「渡来系弥生人」の顔付きが優雅で好ましいとされたが、鎌倉武士にはちょっと違った特徴があった。欧米文化が流入した近現代になると彫(ほ)りが深い「縄文顔」が「格好良い顔」として見直された話も興味深い。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

人類史の本に、鎌倉時代の人骨だけは、何故か頭が前後に長いとされてるんだけど、衝撃に耐える頭蓋骨と正面からの被弾(矢)面積の現象を狙って、少しの淘汰圧でもかかってたのでしょうか?室町時代になると弓射騎兵から打物騎兵に代わるので、矢への依存が下がるのかも。 twitter.com/sim_kyrm/statu…

2021-05-01 00:25:51
ナニワのモッチー @sim_kyrm

この絵は誇張して描いてますが、アジア人が欧米の白人さんを間近で見ると、顔の造形のあまりの違いに衝撃を受けます。単に鼻が高いとかではなくて根本的な土台から違う感じ。アジア人が角材の平面に顔があるとすれば、白人さんは峰の稜線に沿って、そびえる様に顔がある印象を受けます、 pic.twitter.com/3YsFZuWOtR

2021-04-30 07:19:01

ちょっとした話題【2】
世界中のすべての「馬」は、紀元前3500年の前後にユーラシア西方の草原地帯で飼育された、たった1頭のオス馬の子孫だとされ、4世紀以前の日本に伝わった馬もモンゴル高原を経由して遠い世界との交流でもたらされたものでした。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

英語で書かれた印欧祖語時代の宗教についての記事。天の神や天候神について説明した後、印欧語族の白馬信仰について説明し、匈奴がその影響を受けたこと、驚くべきことにその信仰は日本まで届いていたと記されているreddit.com/r/IndoEuropean…

2021-01-16 04:03:17

ちょっとした話題【3】
壬申の乱を起こした天武天皇は関ヶ原付近に集結し、主力は近江国を根拠地とする近江朝廷軍と対峙しつつ、伊賀を経由して騎兵一千を急行させ、大倭(やまと)国の倭京(飛鳥京)で蜂起した友軍(孤立してる)を救おうとしてました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

関ヶ原から急行した増援の騎兵一千が、敗走するヤマト方面軍と合流した「東山・東海道」の要害「墨坂」。 この騎兵集団は「箸墓古墳の戦い」で活躍、大倭国を奪還。西国に敗走する大友皇子を「大山崎」で捕捉したことで、天武天皇が即位する #歴史好きを陶酔させずにはいられない魅せらせし空間 pic.twitter.com/UyiNMkBT3D

2017-10-24 02:46:48
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本題

巫俊(ふしゅん) @fushunia

「縞模様」(しまもよう)という言葉は、16世紀南蛮貿易で海外から輸入された織物に「ストライプ柄」が多く、それが戦国時代の日本で流行して「南蛮の島の模様」と呼ばれたことに由来してました。なので古代の日本には「しまもよう」という言葉は無かった訳です。

2021-08-27 13:32:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

2色のストライブ柄といえばアメリカの「星条旗」がありますが、ストライプを意味する漢字の言葉は「条」でした。一条、二条と線で区画された空間を指してるので、京都や奈良に「一条通り」「二条通り」があるのも関係してます。

2021-08-27 13:44:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国ではストライプ柄に使う言葉として「」「」「」があるとのことです。班や紋には他の意味もあるので、日本では班や紋にストライプを意識したことは無い気がしますが、それ故に「島の模様」という言葉が分かりやすくて一気に定着したのでしょうか。

2021-08-27 13:50:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

漢字の「縞」(こう)は「しろぎぬ」の意味でした。平安時代の文献には、「夜の雪のように白い麻布」を説明する場面で「縞苧」(こうちょ)と書いた例がありまして、「縞」(こう)は白い織物を指してたので、全然意味が違ってました。

2021-08-27 13:54:45

マンガ「へうげもの」で「縞模様の布はフィリピンの呂宋(ルソン)島から輸入したもの、という記述があった」そうです。

ねずみいろZ @84start84

@fushunia 三越三井家を生んだ松阪商人は木綿で財を成しましたが、商品は「松坂縞」と呼ばれ、江戸で大流行しました「シマ模様」は、南蛮交易をしていた伊勢の回船問屋ゆかりのデザインのようです。ちなみに、松阪は古代に大陸から機織りが伝わり、伊勢神宮に織物を納めた土地で「縞」は文化の融合だな、と。 pic.twitter.com/Rrony5AEy5

2021-03-07 13:59:05
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「シマ(島)」がストライプ柄を表すことになったので、ストライプ柄の商品で商売してくときに。「高級だったり上品質な織物を指す言葉」として「縞」(こう)という漢字が選ばれ、「縞(しま)」という言葉が定着したことになりそうです。

鬼塚健太郎 @KentaroOnizuka

@fushunia ってことだと、逆に、ストライプを表す「シマ」という言葉に、「縞」という漢字を当てた経緯が結構気になりますね。 グーグル翻訳で、「シマウマ」を中国語にしたら、「斑馬」でした。 つまり、「縞」をストライプの意味で使うのは日本で生まれた、ということですね。

2021-08-27 14:24:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

平安時代の公卿・藤原実資の日記『小右記』には、「島馬」(しまうま)と言う言葉が出てきます。平安京の内裏の仁寿殿に騎士などが集められ、左右十列に並び、「島馬」が云々とありまして、名前はアフリカのシマウマに似てるけど全然関係が無くて、「島の馬」という意味の言葉でした。

2021-08-27 14:09:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

東京大学史料編纂所のデータベースで検索すると、「嶋馬」(島馬)はこの『小右記』に2例があるだけでした。 「嶋馬に乗って馳(は)せる」 描写が出てきます。当時は良い馬の名前として「島の馬」という言葉があった訳ですが、実は古代の西日本では馬は「島」や「河口」などの低湿地で飼われてました。

2021-08-27 14:13:04
巫俊(ふしゅん) @fushunia

なので、この「島馬」というのはどこかの島で育てられた当時の名産地の馬を指してたはずですが、文化や環境が変化して「島に馬の牧を作る」風習が廃れてしまったのか、「シマウマ」という言葉は日本語から消え、ある日全く別の意味の「シマウマ」がアフリカからやってきたってことだったんですね。

2021-08-27 14:16:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そういえば、日本古代の馬の牧の論文を読んだら、古代の西国の牧は、主に「低湿地帯」に配置されててその理由は、馬に食べさせる草を確保できるのが、川が氾濫するような流路上の低湿地でマコモなどを食べさせてたとあり、目から鱗だったことがあります。馬の身体は高原の環境が最適らしいですが twitter.com/fushunia/statu…

2020-08-31 23:10:09
巫俊(ふしゅん) @fushunia

最近の研究だと、平将門の本拠地とかも、「水運の拠点」と考えられてるそうで、「馬の産地」という印象が深い東国、その中の中心の関東が、実は川が網の目状に流れる大平原だということは、これも世間一般のイメージでは「馬」のイメージと合わないので、見逃されてたのかもしれないですね。

2020-08-31 23:06:10
巫俊(ふしゅん) @fushunia

馬の牧は、浅い湖の中の「難波の八十島」にあった 論文「古代馬牧一 河内, 信濃 16 牧の立地と馬産供用限定地への発展」(1995年) 「河内湖周辺の古牧 (中略)湖といっても大和川の運積土で浅くなり難波の八十島と呼ばれ密生する難岐草(ヨシ)などの湿性野草が利用された」 jstage.jst.go.jp/article/grass/…

2021-03-07 03:11:44
ちっく🐾さんせりふ @chick_a_dreamer

古代の牧と言うと大阪府の長原古墳群、南口古墳 馬に絡んだ葬送儀礼をしていた場所では、と言う珍しい話を思い出す 仁徳帝の治水事業以前は河内湖の南端あたりに牧があったそうだ

2021-08-27 17:11:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

河内国・信濃国では、湖の跡を中心として低湿地に古代の官営牧場が設置されていて、それ以降は丘陵地に牧が新設されるようになったとあります。平安時代までは、低湿地の湿原で馬が飼われていて、おそらく「島馬」とはそうした湿地の草を食べた名馬の名前なのでは?と推測しました。

2021-03-07 03:14:45
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