渡邊教授(ynabe39)の「心」についての議論

帯広畜産大学・渡邊教授の8月22日昼ごろ~夕方のやりとり。 心はどこにあるのかなど
心理 ynabe39 渡邊芳之 行動主義 存在 自我 意識
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渡邊芳之 @ynabe39
「出る」ってことは「中にある」のか,「中」ってどこか,というのが私の基本的研究テーマです。 RT @ceno_sougou: 性格は行動に出る。
セノにゃん @ceno_sougou
これは私のまったく心理学から外れた見解ですが、「中」というのは頭の中ということではないでしょうか。 RT @ynabe39 「出る」ってことは「中にある」のか,「中」ってどこか,というのが私の基本的研究テーマです。 RT @ceno_sougou: 性格は行動に出る。
渡邊芳之 @ynabe39
「心」もそうですが,みんな「中にある」とだけは思っているけど「中のどこにある」とは言えないものです。 RT @ceno_sougou: これは私のまったく心理学から外れた見解ですが、「中」というのは頭の中ということではないでしょうか。
渡邊芳之 @ynabe39
「あなたの心は体の中のどこにありますか」と聞くと,人によってけっこう違いがあります。頭の中,目の後ろ,胸,腹,などなど。
沙子 @sunako_2
@ynabe39 脳波とか神経の中とか電気信号とか夢のないこという人はあまりいませんよね。心臓か頭と答えると思います。
渡邊芳之 @ynabe39
脳や脳波や神経の働きは「こころの存在を支えているもの」で「こころそのもの」ではないですからね。 RT @sunako_k: 脳波とか神経の中とか電気信号とか夢のないこという人はあまりいませんよね。心臓か頭と答えると思います。
渡邊芳之 @ynabe39
人の心や行動が生じるのに脳や神経がが不可欠で重要な働きをしていることと「心は脳にある」「心とは脳である」ということとの間にはずいぶん距離がある。
芦田宏直 @jai_an
心が脳に「ある」わけがない。RT @ynabe39: 人の心や行動が生じるのに脳や神経がが不可欠で重要な働きをしていることと「心は脳にある」「心とは脳である」ということとの間にはずいぶん距離がある。
渡邊芳之 @ynabe39
私が字を書くには脳が不可欠だし重要な働きをしているが,書いた字は私の体の外側にある。
渡邊芳之 @ynabe39
それは「脳以外の場所にある」ということか,それとも「心がどこかにあるということ自体ない」ということか。 RT @jai_an: 心が脳に「ある」わけがない。
芦田宏直 @jai_an
それは「ある」とは何かが答えられていなければ、答えられない。RT @ynabe39: それは「脳以外の場所にある」ということか,それとも「心がどこかにあるということ自体ない」ということか。 RT @jai_an: 心が脳に「ある」わけがない。
渡邊芳之 @ynabe39
「心がある」ということのレファレントは自分の心についてと他者の心についてで大きく違いますよね。 RT @jai_an: それは「ある」とは何かが答えられていなければ、答えられない。
芦田宏直 @jai_an
その意味でなら、どちらも近いし、どちらも遠いと答えるのが穏当。RT @ynabe39: 「心がある」ということのレファレントは自分の心についてと他者の心についてで大きく違いますよね。 RT @jai_an: それは「ある」とは何かが答えられていなければ、答えられない。
芦田宏直 @jai_an
自己にも他者にも近いし、遠い。RT @jai_an: その意味でなら、どちらも近いし、どちらも遠いと答えるのが穏当。RT @ynabe39: 「心がある」ということのレファレントは自分の心についてと他者の心についてで大きく違いますよね。 RT @jai_an: それは「ある」…
渡邊芳之 @ynabe39
「心は中にある」というのは「外にあるとは言えないから中にある」程度の話なのではないか。
セノにゃん @ceno_sougou
人間にはどうやら「心のバックアップ」昨日があるらしい。そうでないと気絶しちゃった時に、気絶する前と気絶した後でまったく別の人間になってしまうのではないかい?
渡邊芳之 @ynabe39
そのバックアップは「中にある」のか? RT @ceno_sougou: 人間にはどうやら「心のバックアップ」昨日があるらしい。そうでないと気絶しちゃった時に、気絶する前と気絶した後でまったく別の人間になってしまうのではないかい?
渡邊芳之 @ynabe39
芦田先生のいうように「心そのもの」がどこにあるかは単純な答えのない問いだ。ただ心を「脳の機能」だとか「神経を伝わる情報」とかに置き換えると,途端にどこかにあるものになる。むしろそこのところに違和感がある。
セノにゃん @ceno_sougou
何の中かによると思います。少なくとも心の中には無いでしょう。 RT @ynabe39 そのバックアップは「中にある」のか? RT @ceno_sougou: 人間にはどうやら「心のバックアップ」機能があるらしい。
渡邊芳之 @ynabe39
私が言っている「中」はつねに「体の中」という意味です。RT @ceno_sougou: 何の中かによると思います。少なくとも心の中には無いでしょう。 RT @ynabe39 そのバックアップは「中にある」のか?
n.yamamoto @nyama1970
@ynabe39 心がどこかにあるのではなく、神経による情報認識活動を心と名付けているのだと思います。どこにあるのか場所で言えと言われれば、神経の通っている肉体全体で。
渡邊芳之 @ynabe39
それは話が逆で,心を「神経による情報認識活動と名付けている」のだと思います。 RT @nyama1970: 心がどこかにあるのではなく、神経による情報認識活動を心と名付けているのだと思います。どこにあるのか場所で言えと言われれば、神経の通っている肉体全体で。
渡邊芳之 @ynabe39
私は「心は体の中にも外にもある」と考えている。同様に「性格」も体の中にもあり外にもある。
渡邊芳之 @ynabe39
「人の内面」みたいな言葉も考えていくとわからなくなる。人の外側にはたしかに「面」があるが,人の内側にも「面」があるのか。人は中が空洞になった球のようなものか。
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コメント

セルフ執事 @SF_yomi 2011年8月22日
人間の場合心とは生態活動の結果生じているので、頭を割っても胸を切り開いても、心は見えませんの事よ。そういう意味で「心」は体内に有ると思うですよ。まどか☆マギカに感動したからと言って、TVを分解しても、ほむらちゃんはいないんだよね。
セルフ執事 @SF_yomi 2011年8月22日
だから、心とは皮膚の内に有りますですよ。体内に有るんですよ。なんの疑問も無い。体内に腐った牛乳を入れたら、トイレ近くなって、心が折れてしまうのは、心が体の内に有る事の証明なのですよ。
セルフ執事 @SF_yomi 2011年8月22日
次に字や言葉はこれは心というより、情報なのですよ。ヒトは情報の送受信をやって文明・文化を発達させてきた。コミュニケーションって奴ですね。同じ情報を受けても心の動きは人によって違うのは受信器の性能とチューニングが違うって事なので人の心は計れない。
hamp@横浜山中 @32hamp 2011年8月23日
「音」はどこにあるか、と近いのかな……音源はあるけど、音自体は媒体の状態に過ぎない、とか。 SF的には、そもそも人間や世界自体が高次にある心の陰が投影されたものにすぎない、ってのが燃える。
れんちるーと @lenchroot 2011年8月23日
この議論では「ものとして認識する」ことが前提になっているっぽいけど、個人的には心は温度のような「現象」だと思ってる。万物に心を感じ取ることは可能みたいな。でもじゃあ心を感じるって何? と突っ込まれてもわかんない。
ヤマザキ @medium404 2013年1月17日
「今、ここ」の認識の根拠として、既に認識された通りにあるモノ(脳やニューロンの発火もここに含む)を置く世界観を「素朴実在論」と言うのですよ。「認識すること」の根拠に「認識されたもの」が置かれているという矛盾。
ヤマザキ @medium404 2013年1月17日
脳が世界を認識しているとする。ならば世界を認識する以前に脳が「脳」であると知っているのはなぜ?脳というイメージもまた、認識の形式に依拠している。直接触れたことがなくとも、いつか写真で見た大脳皮質のヒダが触覚を刺激する。
ヤマザキ @medium404 2013年1月17日
脳にしろ、神経にしろ、カタチあるものは人の認識の形式に則っている。心を問うことは、カタチあるものの根拠を問うのに等しい。ゆえに心は形而上学的である。
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