シャーロック・ホームズが愛するドイツ音楽と1890年ロンドンのサラサーテ

アーサー・コナン・ドイル著『赤毛連盟 (赤毛同盟) The Red-Headed League』(1891) より。パブロ・デ・サラサーテのプログラムにあるドイツ音楽とはどのようなものだったのか。 赤毛連盟 (青空文庫) https://www.aozora.gr.jp/cards/000009/card8.html The Red-Headed League (Wikisource) https://en.wikisource.org/wiki/The_Red-Headed_League
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高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

超人シャーロック・ホームズは「優れた演奏家であるのみならず非凡な力量を備えた作曲家でもあった」(『赤毛連盟』1891年)とのことだが、「(サラサーテの)プログラムはドイツの曲が多いが、僕はフランスやイタリアものよりもドイツのものが好きだ」(同)とは奇人にしては何とも陳腐な感想だなあ。

2021-09-22 16:08:43
高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

サリヴァン、スタンフォード、エルガー、ドイツ音楽を基盤とする作曲家たちの全盛期だった頃のイギリスでデビューしたホームズなのだから、勝ち馬には乗らず「世間では音楽の本場はドイツだと思われているようだが、僕はフランスものの方を好むね」と言ってくれた方が臍曲がりの性格に合ってると思う。

2021-09-22 16:17:55
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前RT)ホームズのドイツ音楽好き発言、90年代初頭の感覚としてはぎりぎり攻めている側だったかも。まず何よりヴァイオリンのアマチュア弾き手目線なら、オペラ編曲のようなものが主流のところでソナタやワーグナー派を連想させる「ドイツ音楽」に手を出すキャラであれば、曲者に分類されそうな。続 pic.twitter.com/E9AA0Kuys1

2021-09-23 18:34:59
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白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前)あと(要検証ですが)この時点ではまだ「近代フランスもの」という分野が、それを自意識過剰気味に認識していた仏語話者の一部以外には見えていなかったのかも。たとえば ①ドイツ古典 ②ワーグナー派 ③伊仏のオペラ ④バロック以前と教会様式 ⑤新星!ロシア音楽(とその他諸民族の音楽) 続 pic.twitter.com/xyXU74GOBW

2021-09-23 18:56:31
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白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前)ドイルの読者層に通じる範囲で音楽通が認識していた「曲者ジャンル」と言えるのはそのくらいで。 それらに感化された一派がいた、という点で英仏はあまり差がなかったかも。サン=サーンスもフランクも、またスタンフォードもパリーも、「クラシックの新星」という意味では当時みな異端で。続

2021-09-23 18:56:32
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前)ドイルの想定読者を含む多くの英語圏人にとって「フランス音楽を好む」と言えば、それはまだ存在感をあらわしていない青年ドビュッシーやフォーレ等より、むしろオッフェンバックやプランケット、あるいはマイヤベーアやオベールなど「イタリア人ではない歌劇作曲家たちの愛好家」だったのでは。 pic.twitter.com/bBvudGMh4K

2021-09-23 18:56:33
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高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

@t_shirasawa ヴァイオリニストとして多数派なのか少数派なのか確かに微妙ですね。「内省的だ」というのがドイツ好みの決め手だったようですが。当時のオペラのメロディの器楽曲化の状況を把握する必要があるのは確か。《タイースの瞑想曲》はまだ生まれてない。サラサーテの実際のプログラムを検証しないと・・・・

2021-09-23 18:57:16
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

@konijnenhofje なによりサラサーテの選曲ですね… いま大急ぎで調べた限りでは『ジョスラン』(1887初演)の子守唄部分の最初の編曲が1895年頃のようでした。 なんとなくこれを思った遠因として、竹下夢二のセノオ楽譜シリーズにわりと編曲物が多いのを見ていた記憶があるかもしれません👀 yamada-shoten.com/blog/?p=10717

2021-09-23 19:05:10
高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

@t_shirasawa サラサーテ聴いたのより10年後ですが、確かにホームズのマイアーベーアの《ユグノー教徒》の上演に出かけていますね(『バスカーヴィル家の犬』1901年)。

2021-09-23 19:05:11
高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

@t_shirasawa アンコールピースとして既に定着していたフランスの曲、ガヌリエル・マリの《金婚式》くらいですか? あとホームズが軽蔑するかも、という通俗名曲、当時は何が代表的だったのか? オッフェンバック《地獄のオルフェ》のフレンチカンカン?

2021-09-23 19:09:53
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

@konijnenhofje 当時のヴァイオリニスト、プロ界隈でもまだオペラのポプリで腕を見せる的な人は多かったのではと想像します…当時実質上フランス語圏で活躍していたフバイの初期作品にも『カルメン』やマスネー『ラオルの王』などのパラフレーズがあったり…一般向けでは、たとえば 続 imslp.org/wiki/List_of_w…

2021-09-23 19:33:49
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

@konijnenhofje 承前)ここにグノー『ファウスト』の派生曲リストがありますが、そのなかにある多くの腕前披露系パラフレーズにまじって、1890年にロンドンで刊行されたピアノ向け名旋律集の表紙にヴァイオリン譜の存在も知らせる記述があったりで、需要の存在を感じさせます。続 imslp.org/wiki/Category:… pic.twitter.com/cCj8KFEUnV

2021-09-23 19:42:49
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白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

@konijnenhofje 承前)「ここに」はツイートに添えたリンクのことでした、言葉足らずでした💦 この頃のフランスのヴァイオリン音楽というと、あとはおそらくパリ音楽院の教授ダンクラなども多くの小品やエチュードを流布させていて、楽譜屋か劇場に通う愛好家たちにはそうしたものが想定されたかも…とも思いました。 pic.twitter.com/SFfJW7sIA5

2021-09-23 19:46:40
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白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

マリの『金婚式』、あらためて擬古様式の名品と思います✨ このあたりの音楽の多様さを思うにつけ「フランス近代音楽」を一言では語れない悩ましさもありますね… twitter.com/konijnenhofje/…

2021-09-23 19:48:56
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

…このような世界で端的にホームズの奇人ぶりを表現するのに、英国ではバロックものがある意味の陳腐さともとられかねなかった可能性(初学者演目扱いの危険性もあった)やら、ロシア贔屓だと対仏外交牽制上で剣呑になる危うさやら、諸々地雷もあるな…と思ってみた。今カンバーバッチなら何て言うかな twitter.com/t_shirasawa/st…

2021-09-23 20:08:38
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前)今の英語圏(経由のワールドワイド)向けの演出としては「クラシック音楽に詳しそう」が当時の「ベートーヴェン何曲か知ってる」くらいに相当するのかも。その上での発言として「チャイコフスキーなら小品がむしろ狙い目だ、①曲がいい、②早く弾き終わる」とかそんなとこかな…

2021-09-23 20:08:39
白沢達生@となりにある古楽✍️冬コミ12/31西け25a @t_shirasawa

承前)そう言い残して出かけてったシャーロックを横目に、ジョンが残されたタブレットと楽器を横目にみて「アーヴォ・パート…フラトレス…何だこりゃ」とつぶやくとこまで想像した(妄想過多

2021-09-23 20:08:39
高橋達史 Tassi Takahashi @konijnenhofje

いささか軽率な発言で、白沢さんに散々突っ込まれてしまったが確かに言えることは、1891年の時点でホームズがフォーレの1番やフランクなどフランス系のヴァイオリン・ソナタを知らなかった、あるいはさほど高く買っていなかった、ということくらいなのかな。

2021-09-23 21:37:22
まつもと(な) @FintaPazza

RT↓ちょっと興味をもってつついてみました。サラサーテ、当時実際ロンドンに何度も来て、ドイルが「赤毛同盟」で言及したようにセントジェームズホールで演奏会しています。「赤毛同盟」が最初に発表された1891年8月に遡って一番近いのはおそらく1890年11月のリサイタル。

2021-09-24 04:33:17
まつもと(な) @FintaPazza

そのときのプログラムはサンサーンスとメンデルスゾーンの協奏曲を軸にサラサーテ自身の作曲による小品。当時の慣習通り「リサイタル」と言ってもサラサーテ一人の演奏会ではなく、キュジン指揮のオケも何曲か演奏しており、グリーグのペールギュント組曲とワーグナーのタンホイザー序曲。

2021-09-24 04:36:32
まつもと(な) @FintaPazza

こういった、「ヨーロッパからヴィルトゥオーゾ演奏家を呼んできた」ような演奏会ではパガニーニにしろ、サラサーテにしろ、まずソナタみたいなものは弾きませんね。オケが何か弾いた後に満場の拍手で現れ協奏曲と技巧披露の小品を数曲だけ弾いて早々退場、その後オケがまた何か弾いて一晩の演目とする

2021-09-24 04:40:14
まつもと(な) @FintaPazza

尚、20世紀明けた頃から第一次世界大戦に向けてイギリスでは反独気運が高まり、「ドイツ音楽の文化的コロニアリズム」を批判する論文が発表されたりピアノメーカーベヒシュタインがイギリス撤退に追い込まれたりします。

2021-09-24 04:44:07
まつもと(な) @FintaPazza

ドイツ系の苗字だったホルスト(von Holst)が改名(vonをなくしてHolstになった)のも第一次世界大戦の影響です。

2021-09-24 04:45:48
まつもと(な) @FintaPazza

またフォーレなどは1894年に本人がヴァイオリンソナタとピアノ4重奏の演目でロンドンにやってくるまでイギリスではほぼ無名でした。

2021-09-24 04:49:57