南泰山先生と歴史談義(7)〜世界の女神編

南泰山先生(@Pekinno_okayu)を中心にしたtwitterでのやりとりがあまりにすばらしかったのでまとめました。 南泰山先生と歴史談義(1)~(8)へのリンクのリストはこちら。 https://togetter.com/li/1787131
8
Koichi Kawakami, 川上浩一 @koichi_kawakami

@Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @toshiki_nakaya @sakurani2951 女性の太陽神が、最高神であるような宗教は、東アジアに(世界に)他にありますでしょうか?

2021-07-03 01:29:10
ケロ爺 @kero_jiji

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @toshiki_nakaya @sakurani2951 近場では アイヌの「トカプチュプカムイ」が女性太陽神ですわね アボリジニの太陽神「グノウェー」も女性です 興味深いのは中国神話に出て来る「義和」 女性太陽神で東夷人の先祖で日本神話との関係が有りそうな話

2021-07-05 14:32:44
ケロ爺 @kero_jiji

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @toshiki_nakaya @sakurani2951 他に リトアニア神話の「サウレ」も女性太陽神 メソポタニア神話の「シャマシュ」も本来は女性 ウガリット神話の「シャプシュ」も女性太陽神 =バビロニア神話の「シャマシュ」=シュメール語のウトゥ この辺の神話話は得意ぢゃないです

2021-07-05 14:34:31
ケロ爺 @kero_jiji

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @agDO58DCaymYppw @toshiki_nakaya @sakurani2951 若い頃にちょっと興味が有って 女性太陽神を調べたりしてただけです 名前等色々忘れちゃったので調べ直して書きました 掘り下げると面白いのは「山海経」 そこに記述されてる「扶桑」と先に書いた太陽神「義和」

2021-07-05 14:56:51
メイサム @agDO58DCaymYppw

@kero_jiji @koichi_kawakami @Pekinno_okayu @toshiki_nakaya @sakurani2951 凄いです!こんなに女性太陽神がいたとは。視界が一気に広がった思いです。

2021-07-05 15:11:36
ケロ爺 @kero_jiji

@agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @Pekinno_okayu @toshiki_nakaya @sakurani2951 いっぱい居ますw …ってかやっぱ 万国共通 かぁちゃん有っての息子娘ですからねぇ 凄いんです(`・ω・´)キリッ

2021-07-05 15:23:36
Koichi Kawakami, 川上浩一 @koichi_kawakami

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @Pekinno_okayu @toshiki_nakaya @sakurani2951 義和、wikiで調べました。 ここに、三足鳥=八咫烏、出てくるのですね。 pic.twitter.com/JXGkTledm6

2021-07-05 15:40:34
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 リトアニア神話の「サウレ」も女性太陽神 メソポタニア神話の「シャマシュ」も本来は女性 ウガリット神話の「シャプシュ」も女性太陽神 =バビロニア神話の「シャマシュ」=シュメール語のウトゥ …わ、こんなにあるんですか?よく集められましたね!私も脱帽です。(続く)

2021-07-05 23:48:53
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →個人的にいちばん意外だったのが北欧の神話。ギリシャ・ローマ神話の影響が強いと思い込んでいたので、リトアニアに「サウレ」という女性の太陽神がいたとは、吃驚。地中海文明が波及する前から存在か?(なお、WikiのSaulė を検索するとこんな可愛い画像がww)(続く) pic.twitter.com/cndIG5JjrS

2021-07-06 00:15:02
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →ケロ爺さんが紹介して下さった義和、がいちばん天照大神に近いんでしょうね。 『山海経』の…これか。“東南海之外,甘水之間,有羲和之國。有女子名曰羲和,方日浴於甘淵,羲和者,帝俊之妻,生十日。” 最後の三文字が、“10個の太陽を産んだ”、との意。(続く)

2021-07-06 00:30:45
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →それで、戦国時代の『楚辞』にまた“義和”が出てきて、漢代の学者が“羲和,日御也”,つまり “太陽神の乗る馬車の御者である” と註釈をつけた、と。 …うーん。こうやって原文を見ると、どうも太陽神に近い存在ですが、そのものズバリではない気がします。(ケチをつけるようですいません!)(続く)

2021-07-06 00:40:25
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →同じ『山海経』に、この義和が生んだ十個の太陽についての説明があるんですが、これ、けっこう太陽の扱いが「ザツ」なんですよ。簡単に言いますと… 太古の昔は十個の太陽があって、順番に一個ずつ地上に出て、残りは地中で休んでいた。きていた。しかしある日、シフトが狂い(!)、複数の(続く)

2021-07-06 00:58:17
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →太陽が同時に出現し、地上は異常高温の阿鼻叫喚!帝はやむを得ず、弓の名人に命じて、残りの9つの太陽を射落とさせ、混乱を収めたという、けっこうシュールなお話です。 私は読む度に、「太陽ひとつ撃ち落とす度に、水爆級の爆風が発生したでしょ?」「半分の5個でええやん?」と疑問を禁じ(続く) pic.twitter.com/AEIWjrwG5k

2021-07-06 01:08:32
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →ないのですが、まあそれは置いときまして。もっとひっかかる問題があります。最近、画像で貼りつけたような、こういう面白い本が出まして。この中に、甲骨文字を分析した作者が、興味深い仮説を提示しています。つまり、この「十個の太陽」神話が殷の時代には既に存在していたというのです。(続く) pic.twitter.com/HCpgDkTKj8

2021-07-06 01:17:41
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →そして、殷王室が10のグループに分かれており、それぞれの宮家が、10個の太陽それぞれの子孫だと位置づけられていたのでは…という内容です。 この仮説が当たっていると… 記録に残る殷の王たちは、全て男性。ですから、殷王朝に代表される古代中国文明には、最高神が女性の太陽神という(続く) pic.twitter.com/9BTMr9QSAh

2021-07-06 01:28:01
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →思想は全く存在していなかったんじゃないか。そんな気がします。 これまでにもいろいろな先生がたが議論している筈ですが、天から地上にやって来た、彼ら神々の世界の中心に存在する天照大神のキャラは、中華文明や南アジアとは別の場所の影響が強いように私は思います。具体的に言えば、(続く)

2021-07-06 01:40:19
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →北アジア。モンゴル高原から中央アジアにかけての民族からの影響です。この地域では、日本神話と同じく「天」を貴びます。また、彼らは東、つまり太陽が出る方角を重視し、地図を描くときには東を上に向ける習慣が有りました。 また、鳥を神の使者として尊ぶ事例が多いそうです。神武天皇が(続く) pic.twitter.com/nLFyMqjqCn

2021-07-06 02:08:09
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →東へと向かい、激戦を繰り広げた時に、弓の先っぽに金色のトビがとまったという有名な話がありますが、この点は昔から議論のまとになっています。 古墳時代になってから日本各地で出土する馬具・武器が、中国北方を支配した北魏王朝、あるいはその前後の時代の遺物と良く似ていることは、(続く) pic.twitter.com/ZlTuhdDnEw

2021-07-06 02:22:49
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →1950年代に江上波夫氏が「騎馬民族征服説」を提示した時に、非常に重視されていました。北魏王室は漢族ではなく、もともと中央アジアにいた鮮卑族でしたから。 …このように見ていきますと、こんな仮説が考えられます。 ①もともと古代の日本には、中国や南アジアと同じく、太陽と関連がある(続く) pic.twitter.com/hWvBuZnI4G

2021-07-06 02:35:36
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →女性の神さまが存在した。但し、たくさんの神の一つにしか過ぎない。②後3世紀末以降、韓半島経由で、太陽と天を絶対視する世界観が中央アジアから日本に伝わる。③皇室が自らの権威付けを行うため、もともと日本にあった神話、それから帰化人たちが持ち込んだ神話を(続く/写真は高句麗墓壁画) pic.twitter.com/0PwJgwxH9S

2021-07-06 02:51:32
拡大
南泰山@アジアの歴史が好き @Pekinno_okayu

@kero_jiji @agDO58DCaymYppw @koichi_kawakami @toshiki_nakaya @sakurani2951 →編集して繋ぎ合わせ、太陽神にして最高神、天照大神が誕生した。 …以上、まだまだ詰めきれていない仮説ですが、自分用のメモも兼ね、長々と記しました。 pic.twitter.com/rvzJPNbs1K

2021-07-06 02:57:47
拡大
中谷淑喜 @toshiki_nakaya

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @kero_jiji @agDO58DCaymYppw @sakurani2951 「太陽は男、月は女」の方が自然だと思ってましたが、意外に世界中に女の太陽神が居るんですね。 天照の性別についての記載は、日本書記でスサノオが「姉に会いたい」と言っただけ(だったと思う)。男神と認識されていた気配も少なくなく、画像は京都の岩戸山の御神体で、真ん中が天照だそうです。→ pic.twitter.com/DXn0r3ZFjE

2021-07-06 07:25:14
拡大
中谷淑喜 @toshiki_nakaya

@koichi_kawakami @Pekinno_okayu @kero_jiji @agDO58DCaymYppw @sakurani2951 一方、wikiによると、平安時代の神仏習合の過程で男にされた、みたいな物言いがあり、裏を返せば、男女にあまりこだわってないとも言え・・。因みに、天地開闢の神のころは男女の区別も無かった。

2021-07-06 07:27:19