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ケンブリッジ大学に留学していたとき、オリビエというフランス人と仲良くなった。彼はシェークスピアと同時代の詩人、劇作家のベン・ジョンソンを研究していた。そのオリビエが、ある時、アメリカ文学は一貫してメインストリームへのレジスタンスだったと言った。
2021-10-22 07:01:50メルヴィルの『白鯨』から、フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』、スタインベックの『怒りの葡萄』、そしてジョン・アーヴィングに至るまで、アメリカの文明の中心にある物質主義、そしてある種の教条主義へのレジスタンスとして文学はあったとオリビエは言ったのである。
2021-10-22 07:03:33オリビエがその一言を発したのは、ケンブリッジでビールを飲んでいた時で、もう随分昔のことなのだけれども、このところ時々その言葉を思い出している。メインカルチャー、中心的な価値観に対する「レジスタンス」が時に大切なのは時代や場所を選ばないのではないか。
2021-10-22 07:04:41私事で、また、些末なことでもうしわけないのだけれども、TikTokにせよ、ユーチューブにせよ、ぼくはそれぞれのメインの潮流の「ノリ」とか編集の文化に対する違和感があって、面白いとは思うけど、自分は違うと感じる。それで、結果として「レジスタンス」になっている。
2021-10-22 07:05:44ユーチューブにあげている動画は、編集もなにもしないし自分が本質的だと考えることを淡々としゃべるだけなんだけど、自分にとっては自然なこのスタイルが、結果として今のユーチューブのメイン文化に対する「レジスタンス」みたいなものなのだなあと最近思う。
2021-10-22 07:06:40もちろん、ぼくのレジスタンスはアメリカ文学のような大げさな話ではなくて、あくまでも「蟷螂の斧」のようなしょぼい話なんだけれども、レジスタンスというのは、今の時代に何がうけているかとか、なにがメジャーだとか関係なく自分にとって自然なやり方を続けることなのかなと思う。
2021-10-22 07:07:48ぼくの人生の最大のレジスタンスは、おそらく、認知神経科学において主流の統計的なアプローチに反対していることで、だけどなかなかうまく行かない。それでも、ベイズだとかあっちの方には行く気がしないのは、自分にとっては自然なやり方があるからだ。人間、自分のやり方を変えない生き方もある。
2021-10-22 07:09:26それぞれの時代の主流や、マスが集まるやりかたの中にいると、安心はするだろうけれども、必ずしも魂の健康には資しないと思う。こういうやり方がいい、というような誘いの水に関係なく自分のやり方をやっていると、たとえマイナーでもレジスタンスの晴れ晴れとした精神の健康は得られるような気がする
2021-10-22 07:11:21