- cornelius0321
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①『本陣殺人事件』を再読。一柳賢蔵という人は、他人が触れた物をアルコールで拭き取るほど「潔癖」で、自分の心の中を決して他人に覗かせない人物という設定だ。そしてこうした賢蔵の性格が、事件の核心部分を構成している。
2011-08-14 01:50:37②賢蔵が「潔癖」であることは原作に書かれているが、ではなぜ、あるいはどのような経緯で賢蔵が「潔癖」になったのかということは書かれていない。
2011-08-14 01:50:27③これまで何度かテレビドラマや映画になった横溝作品だが、古谷一行のドラマ版『本陣殺人事件』では、賢蔵(佐藤慶)の母一柳糸子(淡島千景)と分家の伯父一柳伊兵衛が不倫関係にあるという改変がされている。
2011-08-14 01:50:18④佐藤慶は、大島渚監督作品『儀式』(1971年、ATG)でも厳格な旧家の当主を演じている。佐藤慶にはこうした役が似合う。
2011-08-14 01:50:07⑤この改変に反対する人もいるだろうが、全3回というドラマの「尺」があり、大女優の淡島千景の「見せ場」を作る意味もあったと思う。そして結果的にこれが賢蔵の「潔癖さ」を際立たせる効果を生んでいる。
2011-08-14 01:49:57⑥「潔癖症」というのは、親子関係に起因するものが多い。子供が母親の不倫を見たり知ったりすると、反応は2つある。「お母さんは汚い。だから嫌い」というのと、「お母さんは汚い。でも好き」の2つだ。
2011-08-14 01:49:47⑦賢蔵は前者、弟の三郎(荻島真一)は後者のパターンだ。三郎は糸子と伊兵衛の不倫現場を見ても、美しい母を嫌いにはなれない。だが賢蔵の気持は、「こんな汚い母から生まれた自分の体も汚いに違いない」であり、「だからこそ、自分はより一層清潔にならなければならない」だろう。
2011-08-14 01:49:37⑧妻となる克子が、賢蔵から見て「清潔」でなかったことは、賢蔵にとって「克子もまた、糸子と同じ種類の女なのだ」に他ならず、清潔でありたいと願う自分にとって、清潔でない女をあてがわれたことは「敗北」に等しい。
2011-08-14 01:49:27⑨これを裏付けるのが、三郎が賢蔵に向けた「おれたちの間には母さんの血だって流れているんですよ。あの淫蕩な血だって流れているんだ」というセリフと、賢蔵が三郎に向けた「おれはそれを許せない。だから克子も許せない」というセリフだ。
2011-08-14 01:49:17⑩こんなのは小説の話だと思うかもしれない。だが、子供が親に嫌悪感を抱くという話は、実際にある。映画解説者としてお茶の間に親しまれた淀川長治氏の人生がそれだ。
2011-08-14 01:49:08⑪淀川さんといえば、「日曜洋画劇場」での温厚な語り口と、「サヨナラ サヨナラ サヨナラ」という決まり文句で知られている。http://t.co/qY415bL
2011-08-14 01:48:56⑫だが、テレビでの温和なイメージとは反対に、著書での映画批評は毒舌と辛口の連続だ。自身の人生についても淀川さんは辛辣な言葉で語る。淀川さんの父には正妻がいたが、子供に恵まれなかったため、正妻は自分の姪に夫の子供を産んでくれるよう頼む。この姪が淀川さんの実母である。
2011-08-14 01:48:44⑬幼いころから淀川さんは、実母を「子供を産む道具にされた」と不憫に思い、実父に象徴される淀川家に対する憎悪を募らせていく。そして「淀川の家を自分の代で絶やしてやる」と心に誓ったそうだ。一柳賢蔵とは違って、淀川さんの場合は、「お父さんは汚い。だから嫌い」である。
2011-08-14 01:48:33⑭淀川家の家業は神戸で芸者の置屋を営んでいた。男に媚を売る色街の女たちの素顔をいやというほど見て育った淀川さんは、女性に対する醒めた目を持つようになる。この女性たちは、淀川さんにとって遊び人の父の側に属する者たちであった。
2011-08-14 01:48:24⑯『本陣殺人事件』は昭和12年という時代設定である。しかし、「賢蔵さん」のような人は、決して小説の中だけの人物ではない。
2011-08-14 01:48:05⑰親子関係がうまくいかない人は、今の時代にだっていくらでもいる。そういう人にとって、「賢蔵さん」は決して他人事ではない。彼らの内面にも「賢蔵さん」や「淀川さん」が存在するのである。<この話題終わり>
2011-08-14 01:47:53