RAF、世界初の空軍の誕生、もしくはバトル・オブ・ブリテンへの道
- futaba_AFB
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きっかけはここから
最近「日本は地政学上、重軍備は必要ない」ってツイート見てパソコンの前でずっこけたが、具体的な軍隊や国防を学ぶ機会が日本に無いんだから、イメージ先行になるところまでは、まあしょーがないかなーと。で、そこにTwitterって、賛同者集めるのだけは簡単なツールが加われば、ねえ。
2011-08-25 09:17:14あとまようささんのツイートした日本は地政学的に大軍が云々については、WW1前後のイギリスに走った「イギリスはもはや島では無い!」の衝撃とか知らないんだろうなー
2011-08-25 13:16:11地政学によって必要な軍備がある程度決まるというのは確かに事実かもしれませんが、時にテクノロジーがそれを変えてしまうことがあるよというお話です。
2011-08-25 20:07:56今回の話はバトル・オブ・ブリテン イギリスを守った空の決戦という本がタネ本で、他の資料とつつき合わせて調べているわけではないので、齟齬や間違いなどあるかもしれないので、ご了承ください。
2011-08-25 20:09:45という訳で、世界初の空軍がどうして誕生したのかと飛行機がイギリスの何を変えたのかについて
イギリスの防衛の役割は歴史的に島国である特色を存分にいかし海軍がイギリスに接近したり侵入者を阻止することであり、陸軍の任務は、もし侵入者が上陸した場合には、海に蹴落とすというものでした。
2011-08-25 20:14:21とはいえ、この伝統的なやり方は飛行機の発明によって大きく変わっていくことになります。
2011-08-25 20:16:13イギリスはもはや島ではない!
イギリスがテクノロジーの進歩により人類が初めて遭遇する事になる空の脅威にいつぐらいから気づいていたかというと、その発明がされた直後には既にある程度の認知があったようです。
2011-08-25 20:17:511906年 イギリスの新聞王ノースクリフ卿は、フランスで飛行機が飛び始めたという記事を簡単に扱ったことに非常に腹を立てこのようなことを言ったそうです。
2011-08-25 20:20:30「サントス・デュモントが720フィート飛んだというのがニュースではない。もはやイギリスは島ではないそこがニュースなんだ。つまり、もし戦争になれば、それは敵の空駆けるチャリオットがイギリスの領土に降りてくることを意味する」
2011-08-25 20:22:47イギリスにとって「もはやイギリスは島ではない」この言葉は国防のあり方を変えてしまうほど大きな意味を持ち、これが後々世界初の空軍を作る事になります。
2011-08-25 20:24:181909年には有名なルイ・ブレリオのドーバー海峡横断が行われ、さらにツェッペリンが飛行船の開発に力を入れるなど、空への冒険は一層進みまた、イギリスへの危機も想像から現実へと少しずつ移り変わって行きました。
2011-08-25 20:26:44RAFの母体となる陸海軍合同のRFCの誕生と第一次世界大戦勃発
イギリスは1912年に海軍と陸軍の飛行団からなるイギリス飛行隊(RFC)を創設し、対抗しようとした一方で、だれが防空にあたるのか?という問題が出てきました。陸軍は内陸に進行した飛行機の対処を、海軍はまっさきに狙われる海軍基地と港湾への防御に各々没頭することにしました。
2011-08-25 20:30:41ちなみにこの頃陸軍は飛行機は偵察を主任務とにしようと考えていたそうですが、一方チャーチル率いる海軍は敵国の格納庫のツェッペリン飛行船を攻撃できないか?など今の阻止爆撃や戦略爆撃に近いことまで検討していたようです。
2011-08-25 20:32:33という訳で陸海軍と飛行機に対してどう使うべきかの考えが割れていたので、当然のごとくお互いの組織は分裂し、WW1が勃発、陸軍はBEF(イギリス派遣軍)のための偵察に使うためにほぼすべての機材、RFC4個中隊を大陸に派遣します。
2011-08-25 20:34:52もちろん本土防空を無視した派遣だったために、猛反発が起こり、本土防空の責任はイギリス海軍が受け持つことになり、さらに陸軍はその火砲(対空砲のことかと思います。)と飛行機のすべてを海軍に協力することとされました。
2011-08-25 20:39:13もちろんこういう制度ではあまりうまく行かず、1915年に来襲した飛行船37機の内撃墜できたのはなし、損傷一機、軍用機4機については撃墜もできないという有様でした。
2011-08-25 20:41:381916年になると陸軍の施設や機材充実したことから防空責任は陸軍に移り、同時に高度測定器と対空砲の同時運用、サーチライトの拡充に11個飛行中隊まで増強され、警報業務、対空砲とサーチライト網が海岸線にも設置され、少しずつ今風の防空システムが整えられる事になります。
2011-08-25 20:47:49ゴータ爆撃機の恐怖と陸海軍の枠組みを超えた迎撃態勢の構築
これらの努力は少しずつ効果を見せ始め1916年末ごろには飛行船からの脅威を何とか退けることに成功したのですが、今度は最初期の戦略爆撃として有名なゴータ爆撃機による空襲が始まります。
2011-08-25 21:00:071917年6月13日には14機のゴータがロンドン中心部までの侵入に成功し、リバプール・ストリート停車場周辺を爆撃し162人がなくなり、対するイギリス軍も九十数機の戦闘機による迎撃が行われますが、迎撃に失敗、その3週間後には同じく83機で迎撃するも接敵も出来ずという事態に
2011-08-25 21:03:11防空体制の不備に世論は非難轟々、これに答え「空襲に対抗する飛行隊の編成及び本土防衛に関する首相委員会」が作られ、このロイド・ジョージ首相とスマッツ大将ふたりだけの委員会は、スマッツ大将によりRFC、砲兵隊、監視部隊を一元管理すべきと主張
2011-08-25 21:06:35