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ゲーデルと思想まわりの用語について

『ゲーデル問題』という用語について、林さんと蔓葉さんの議論のまとめ。 ゲーデルの不完全性定理以外の業績についてのつぶやきも収集しました。
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はやし @t_hayashi
な、な、な、なんすか、それ! RT @patho_logic: ゲーデル的脱構…がゲーデルがらみの気持ち悪い用語のチャンピオンではないか.
はやし @t_hayashi
そういえば、いまだにゲーデルの名前を出しつつひじょうにポストモダンちっくなことを言う人が散見せられるのだけど、そういうのを見るたび、ソーカルの教訓がぜんぜん生かされていないことを痛切に感じ、そして、かなしくなってくる。
はやし @t_hayashi
ひどい。RT @hazuma_bot: ゲーデル的脱構築は完全に形式的である。したがってそれは具体的応用に際しては必ず、ある飛躍、九○年代のデリダによって神秘化された表現を借りれば、「不可能なものへの無限の責任」を要求する。(郵便本p104)(via @patho_logic)
はやし @t_hayashi
先の発言ひとつで、東浩紀の知的誠実さ、そして、そもそもの知的能力を疑わせられるのだから、彼もよく知りもしないことについてあまり不用意なことを言うべきではなかったのではないかな。「若気の至り」では済まされないひどさ。
@h_kagami
どしてみなゲーデルの知ったかぶりしたがるんだか。
@h_kagami
さらにきちんと証明を読んでいない人はお約束で肝心なところを間違える。
スマートコン @mr_konn
.@h_kagami 文学系哲学系の人に限って無闇に『ゲーデルだ』って云いたがりますよね……何なんでしょうかねぇ……
はやし @t_hayashi
現代思想の文脈で「ゲーデル」の名前が召喚されるとき、その名をそうした文脈で出す人が思いえがいているのはたいていゲーデルの不完全性定理のことで、そして、その定理はそうした文脈において応用することができないことは、その定理についてごく初歩的なことさえ知っていれば、すぐ分かること。
@h_kagami
それについては @hyuki さんが大変良い本を書かれたと思います。RT @mr_konn: ゲーデルとかぼく詳しい訳じゃないけど、それでもミステリの人でゲーデルを誤解してる人たくさん居るなぁとか思うので、正しい理解を誰か広めてくれないか……
はやし @t_hayashi
だから、不用意に「ゲーデル」の名前を出してしまう現代思想方面の人は、1) よく知りもしないことを雰囲気だけで語ってしまっているか、2) たんなるバカか、のいずれかだと思う。
_ @taninsw
そこで数学ガール RT: @mr_konn: ゲーデルとかぼく詳しい訳じゃないけど、それでもミステリの人でゲーデルを誤解してる人たくさん居るなぁとか思うので、正しい理解を誰か広めてくれないか……
🌿蔓葉信博 @tsuruba
TLに流れるゲーデルに関するやりとりにツイートしたいが、僕は明日7時起きで仕事なのでもうすぐ寝る準備なのだ……
🌿蔓葉信博 @tsuruba
ソーカル事件のときもそうだったが、哲学・思想系にはそれなりの文化の継承があり、科学・数学も同様なのだ。簡単な断罪はむり。他方が相手の文化の擁護をみだりに使っているかどうかは、いちツイートだけでは検証はできないはず。
はやし @t_hayashi
@h_kagami ただ、そういう「生半可な知識でのゲーデルへの言及」が流通するようなところというのは、ゲーデルにかんして誰もまともな知識を持っていないようなところであったりするので、そういういい加減な物言いが何食わぬ顔で放置されてたりするんですよね……。
Kojima @t33f
ゲーデルとか僕には敷居が高いので誰かもっと抽象化してわかりやすくしてください
🌿蔓葉信博 @tsuruba
デカルトもカントもフッサールもその思想の裏側には当時の最先端の数学・科学があったことはある程度の知識がある人たちには常識となっているわけで、いまもゲーデルに関する議論が思想界隈で挙がるのは、それなりな理由があるはず。
はやし @t_hayashi
@h_kagami 不完全性定理の数学以外のことへの応用、あるいは、その定理が数学以外のことにもたらす含意については、ゲーデル自身、かなりきわどい、ともすれば「トンデモ」と受け取られかねない意見を持っていたのですが、そこら辺を、たんなる「トンデモ」とは区別しつつ、論じたいですね。
Kojima @t33f
スマリヤンの本の最初のほうにものすごく一般化した形で書いてあったりしたけど,あれは最初に読んでもなにが言いたいのかわからなかった。確か証明可能性をエンコードできたら不完全みたいなことが書いてあったような。
@h_kagami
あれを片手間でやっちゃう天才って。RT @KDD: ゲーデルといえばアインシュタイン方程式のゲーデル解ですよね!!(大嘘)。通常の一般相対論の教科書にはまったく出てこないので、物理な人よりも数学な人の方が詳しかったり。ホーキングの宇宙論の教科書には出てくるけど。
@h_kagami
. @mr_konn ぜひお買い上げ下さい。数学ガール3〜ゲーデルの不完全性定理。
はやし @t_hayashi
@tsuruba 果たしてほんとうに「ゲーデルに関する議論が思想界隈で挙が」ったりしてるのでしょうか? ぼくには、「ゲーデル」の名がお飾り、あるいは箔付けとしてしか使われていないように思えます。
はやし @t_hayashi
@tsuruba それが、数学の用語というのは、かなり厳密な定義、および適応文脈が定められているので、片言隻句を見せられただけでも、ダメなものはダメと分かってしまうのです。
スマートコン @mr_konn
.@tsuruba 正しい理解を踏まえた上で、そこからなにがしかも思想を引き出そう、と云うのは有意義なことだと思います。ただ、哲学の専門書を読んだ訳じゃないですが、余りにもあやふやな解釈に依拠した、メタファのためのメタファみたいな援用が多いように思われるので……
🌿蔓葉信博 @tsuruba
思想哲学分野でのゲーデル問題は、おおもとのゲーデル問題を使った比喩表現に近いんで、もともとの内容との違いを指摘しても意味があまりないのです。もうそういう文化が成立してしまっているから。
@h_kagami
. @patho_logic もちろん素養はあったと思いますが、ロジックの人が回転宇宙なんて特異な解を簡単に導出するのは人間業とは思えません。もしかしてマッハの原理を否定したかったのかな。
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コメント

the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
"ゲーデル的脱構築"で検索して出てきたものの中から。「東によれば、一口に「脱構築」といっても実は「ゲーデル的脱構築」と「デリダ的脱構築」を区別しなければならない。前者は、任意の形式的体系が孕んでいるパラドックスをとおして、その体系の決定不能性を開示する作業を指している」。http://socio-logic.jp/baba/aj/aj01.php
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
「ゲーデル的脱構築(論理的脱構築)とは何か。以下、東氏自身の文章を引用してみると…。(『存在論的、郵便的』の議論は複雑なので、コン パクトにまとめられている『郵便的不安たち』から引用します。)“一方で、「論理的脱構築」とは、まず①所与のシステム(あるいはテクスト)を形式化し、つぎに②そこに自己言及的な決定不可能性を見いだし、最後に③そのポイント(あるいは穴)を超越論化することでシステム全体の構造を逆説的に説明する思考です。逆説的にというのはそこでは、問題のシステムはつねに、安定性を欠きつつも、まさにその不
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
可能性を見いだし、最後に③そのポイント(あるいは穴)を超越論化することでシステム全体の構造を逆説的に説明する思考です。逆説的にというのはそこでは、問題のシステムはつねに、安定性を欠きつつも、まさにその不安定性によって安定しているものだとして説明されるからです。(…)そしてデリダの多くのテクストを導いているこの①—②—③の道—私はそれを「否定神学」と総称しているのですが—は実はまた、ハイデガーの存在論、ド・マンの文学批評、ラカン派精神分析、ジジェクのイデオロギー論、岩井克人の貨幣論などに一貫して発見されるも
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
「ちょっと分かりにくいかもしれないので、東氏のこの著作を解説した、竹田青嗣氏の文章を補足しておきましょう。“すでに見たように、「否定神学」は、言語表現では決して捉えられない何らかの存在があること、しかし世界認識においてはその存在を何らかのかたちで想定せざるをえないことへの不可避性、を言いつづける。このことが「神学性」を帯びる理由はひとつで、この「名指せないもの」をある単数の「何か」として暗示するからである。表現しえないものとして示唆された単数の「何か」は、つまり「超越的なもの」となる。すなわちそれは、一切
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
の規定を越えた存在としての「神」、といった神秘神学的類型に重なるものとなるのである。”(竹田青嗣『言語的思考へ』)http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/4936357.html
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
感想。@t_hayashiさんは、「存在論的〜」を読んでいない。何が間違いかを指摘できていない。同調者も同じ。かなり不誠実かつみっともない。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
. @the_big_machine following/followers ともに0の捨てアカで、@t_hayashi 氏のみを一方的に「不誠実かつみっともない」というのは、不誠実かつみっともないのでは?
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
ああ、似たような問題で思い出したんで『スーパーコンピューターを20万円で創る』も追加。意外にもこの書の中には、中沢新一の助教授推薦が異例の否決をされ(西部邁が東大を去ることになっ)た東大駒場騒動のいきさつが書いてある。興味ある向きは、読んでみるとよろし。現代思想家とやらがいかに知的に怠慢で不誠実かよくわかるだろ
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
@DrFaustさん。あまりに本質的でない批判、というかただのイチャモンなので驚きました。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
. @the_big_machine さん。”ただのイチャモン”…そうですか。まぁこのトゥぎゃりを読んだ人に判断していただきましょう。ところで、Tweetsもゼロなんですね。本件で、わざわざ捨てアカをつくる意図が、理解しづらいのですが。匿名性を増したいんですかね。確かにその方が、「かなり不誠実かつみっともない」などと、一方的に断罪するのに都合がよさそうですけれども。
kugyo W @pubkugyo 2010年5月2日
 どんな暮らしかたのひとがコメントしたか、だれが知的に怠慢かなんて、どうでもいいと思いますが、さておき、  東氏の文章はたしかに、「ゲーデルによる脱構築」などとは述べておらず、「ゲーデル的脱構築」と書いており、これは“ゲーデルを連想させる脱構築”“ゲーデルっぽい脱構築”と読める(悪いのは「的」というあいまい語ではないかとさえ思う)。むしろ「ゲーデル」なんて言葉を使う必要すらなかったことが、「論理的脱構築」という呼び変えかた、定義の与えかたによってはっきり示されている。  以上のことから、東氏の文章への批判
kugyo W @pubkugyo 2010年5月2日
以上のことから、東氏の文章への批判は失当であることがわかるけれども、いっぽう、もし「ゲーデル...」などと述べる文章が新たに生まれたとしたら(実際あるんですが。南雲堂『社会は存在しない』(2009)など参照)、そのときには、上のような批判を当てる余地はじゅうぶんあるでしょうし、その点で@t_hayashi 氏の議論はまったく正当に思えます。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
いや、どのように(と、あと付け加えるとしたら、誰が)怠慢なのか、議論されてるのが、このトゥギャリの前半部分であり、トピックなのではないですかね…
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
あと、東氏への批判が失当~という点について。氏自身が回答してるように読めたんですけど、私の誤読なのかな: 「筆者は九〇年代を通して「現代思想」を専門的に学んでいたものとして、ソーカルらが行ったポストモダニズム批判は、学術的にもイデオロギー的にもおおむね正しいと考えている」(東浩紀『郵便的不安たち#』p.32)
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
@DrFaustさん。私はそもそもツイッターを利用していません。当まとめで、「な、な、な、なんすか、それ!」という発言、あるいは「「完全に形式化された系」を対象にしているので、そうではない系にこの定理を適用しようとすることは〜」といった、"不完全性定理を用いて"なにがしかの理論的体系を「脱構築」したと思っているかのような身も蓋もない誤解(実際は単なる「脱構築」の類型の「仮名」で、定義も明確です>ゲーデル的脱構築)発言を読み、ああ、あきらかに読んでいないな(柄谷については読んでいないことを認めている)、さす
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
がに突っ込まざるを得ないな、ということで、トゥギャッターに書き込むため、ツイッターのアカウントが必要であったまでです。読まずにイチャモンとはいくらなんでも不誠実であり、バカすぎるでしょう?「捨てアカ」というジャーゴンもはじめて知りましたが、一体幾重の予断があればこんな言葉が出てくるのかと、苦笑するばかりです。まずは自分を疑うところからはじめてはどうか。
すまでん @sumaden 2010年5月2日
個人的にはポパーについてもやってほしいですですですですねー。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
@the_big_machine さん。事情分かりました。当方の誤解失礼。Twitterユーザー以外にTogetterへコメントするほどの利用者がいたんですね。。。理解しました。ただ、「読まずにイチャモンとはいくらなんでも不誠実であり、バカすぎるでしょう?」これは、議論の俎上に挙げられている思想家たち(の科学や数学に対する態度)にも、当てはまることですよね?加えて、本リストの前半の論点は思想家の思想ではなく、思想家の用語法(のおかしさ)ですよね。 だから、一方的に断罪するのはどうかと述べています。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
それと、「定義が明確」で用語法も適切であるならば、そもそもソーカル事件や東大駒場騒動のようなことは、起こりえないと思うのです。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
the_big_machine さん、ここでいちばんの問題なのは、柄谷や東の本をぜんぶ読まずとも容易に指摘できる程度のお安いまちがいがおかされ、そしてそのまちがいが伝言ゲーム式に広まっていることなのですよ。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
sumaden さん、ぼくもこの話が盛り上がってきたとき、ポパーのことを思いうかべました。主題的に問題にされるかどうかはともかく、ポパーの議論もからめて話が発展させられればな、と思うだけは思っています。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
いくら都合のいいところをかいつまんで恣意的に編集しても、結局なにが間違っているのかを指摘することができない。これがすべてでしょう。「なんかよくわからないけど間違っている」。これは紛う方なき低能者の弁です。こう言われて悔しいなら、なにが間違っているのか直言するべき。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
いや、そもそも完全に形式化されていないし、しかも今後もそういう望みのないことに不完全性定理は適用できないし、さらに、「ゲーデル的」という言葉(によって表象さられる不完全性定理)が、否定神学について言われるにせよ、脱構築について言われるにせよ、「完全に形式化された系において、その否定も肯定も証明できない真である文が存在する」という第1不完全性定理のステートメントをどう好意的に解釈しても、そうした適用は「外れてる」と言わざるを得ないことは、かなり早い段階で指摘されていると思いますが。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
というわけで、ぼくにとって「都合のわるい」部分の提示、よろしくおねがいします。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
あと、the_big_machine さんはぼくに対してよりも先に DrFaust さんに返事をするべきだと思います。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
ちょっと待って下さい。完全に形式化されていない?なにがですか?東浩紀がある具体的な対象について、不完全性定理を通じて考えていたと言うのですか?「完全な形式があるとして〜」と、一種の思考実験をしていたのだと思うのですが。というか、「完全に形式化された系において、その否定も肯定も証明できない真である文が存在する」、ってこれはまさに東浩紀の言う「否定神学」では(笑)?証明できない、ということを証明する、この様な論理操作をゲーデル的と形容していたのだと理解しています。やはり読まなければダメですよ。あたりまえのこと
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
あと、中心的な当事者が編集するというのはなかなかかっこ悪いのでは。逸る気持ちを抑えて、自重した方がいいと思います。私は編集しません。どうしたらいいのかよくわからないので。それから、@DrFaustさんにはもう関心がありません。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
結局、論理的な誤りではなく、修辞的に気に入らないという趣味判断を吹聴しているだけ、という結論になりそう。
渡邊利道 @wtnbt 2010年5月2日
いや、最初からそういう形容のしかたがまずいんじゃないか?という話だと思うんですが。比喩として拙いと。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
@the_big_machine さん、@t_hayashi さんは、編集してくれとまで言っていませんよ。提示してくれ、と言っています。提示してみてはいかがでしょう。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
@wtnbtさん。では、修辞的に気に入らないという趣味判断の吹聴をしている人がいる、という結論でいいんですね?
渡邊利道 @wtnbt 2010年5月2日
ちなみに私の意見は非常に限定されたサークル内での「形容」をまるで一般的なものであるかのように使用するのはやっぱり誤解を招くからやめたほうがよろしいのではないかということでございます。少なくともゲーデルに興味がある人が日本の文芸批評で特殊に使用されている「ゲーデル」の意味を理解しならない義理はないわけで、アホちゃうか、と言われてもまあそれはしょうがないんじゃないかと。柄谷さんも専門家に言われたらすいません比喩なんですと説明するって書いてたし(確か)。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
私としては東浩紀の「ゲーデル的脱構築」に焦点を当てています。なお、「存在論的〜」は(基本的に)博士論文ですよね。
渡邊利道 @wtnbt 2010年5月2日
この場合の「修辞的に」というのは趣味判断であるよりももう少し倫理的な意味合いがあると思います。端的に「ゲーデル」という数学者の固有名にあまり特殊な意味合いをつけてしまうのは数学を専門とされる方には「迷惑」だというのは間違いないでしょうし、そういう特殊な用語法が、そういう言葉の使い方をしている人たちへの知的な信頼を損ねるものではないか、というのはわりと理解できる主張だと思います。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
真偽の問題でないなら大して変わらないでしょう(ちなみに、@t_hayashiさんがさきほど真偽と妥当性をさらっと並べていて、ぎょっとしたんですけど)。
Makoto Sakai @medicineman 2010年5月2日
重複したtweetを削除しました。間違って消したのがあったらごめんなさい。
まさゃん(17) @DrFaust 2010年5月2日
ゲーデル的脱構築と言う用語に関して言うと、3ステップ目(超越論云々)でやっぱひっかかちゃうな…善意的に解釈すると、ゲーデル的脱構築と言う語そのものについてなにも語ってない、そうでないとすると、「ゲーデル」と言う語を用いるのは適切じゃなくなっちゃいません? このコメントの上から二番目の引用からすると。。。まぁ、今度読んでみるか。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
え、東浩紀の言う「否定神学」って「完全に形式化された系においては、その否定も肯定もできない真なる文が存在する」がよいアナロジーになっているようなものなんですか! それがもしほんとうだとすれば、それはそれで「珍説」ぶちあげたなあ、という感じですね。 あと、他に編集してくれる人がいればぼくも色々ありがたいんですが(べつに、当事者が編集することをみっともないことだとも思わないし、かりに、みっともないと思われてもぜんぜんかまやしないんですが)……誰かやってくれますか?
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月2日
「存在論的〜」は1999年度のサントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞していますね。翌年には同賞を金森修の「サイエンス・ウォーズ」が受賞している……。/@t_hayashiさん。「そもそも完全に形式化されていないし、しかも今後もそういう望みのないこと」とは一体東浩紀のなにについて言っていたんですか?凄く興味がある。
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
そもそも、この話は東さんに限ったものではなく、もっと広い文脈の話だったわけで、そういうより広い文脈を考慮に入れると「完全に形式化された系」という要件は、やはり明示しておく必要はあると考えます。そのうえで、東さんに話を限れば、「完全に形式化された」ということにかんして東さんはそういう事態を前提にしてるんだな、ってことは、了解してます(誰かが引いてくれた文章にそう書いてありましたし)。ただ、それでもなお、「ゲーデル的」という形容を冠して「否定神学」や「脱構築」を語るのは無理筋だよな、という意見は、いずれにして
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
というか、誰かが「自分が編集引き受けますよ!」って名乗りを挙げてくれていることを期待してたんだけど……。誰でも編集できるんだから、みんなどんどんやるべき!
はやし @t_hayashi 2010年5月2日
あら、文章が切れてしまった。先の文末は、「いずれにしても持っています」という感じのシメでした。
@sanyoutyuu 2010年5月3日
僕は知らなかったのですが、ポパーについても何か、ゲーデルと似たような事態が生じているのですか?
@patho_logic 2010年5月3日
新たなコメント追加.
@patho_logic 2010年5月3日
漏れがまだありそうだが…「ゲーデル問題」問題について.
{白,黒}のカピバラの左随伴右随伴 @ainsophyao 2010年5月4日
ポパーについては、自然科学の理解がとてもおぼつかない人であったと、よく言われます。僕が読んでも、あれって思うところがちょこちょこあります。伝聞ですが、アインシュタインに「あまりにもひどいから直せ」といわれて直したらしいが、それでもまだひどい。
はやし @t_hayashi 2010年5月4日
このまとめの「まとめ」を @tricken さんがしてくれました。「このまとめは、まとめにしては長すぎる!」と思っていた人は、まずこちらを読み、しかるのち元のまとめを読むとよいでしょう。http://bit.ly/ciylO9
青子守歌 @aokomoriuta 2010年5月5日
確かに、不完全性定理を知ってても完全性定理を知らない人多い気がします。どうやったらそんなことが出来るのか不思議・・・。
the_big_machine @the_big_machine 2010年5月5日
このままだと、結局@t_hayashiさんは「否定神学」を理解できないアホだったという話になりかねない。
@hasebe_yu 2010年5月6日
あ、すみません。まちがって最初のコメントを消してしまったので再度投稿します。 @the_big_machineさん まず第一に象徴界がシニフィアンに覆われていることから形式化がなされているので、自壊的に脱構築が行われる(つまり否定神学的に)というようなことを確かに東は述べてるし、その主張自体を否定する気はありません。ですが完全な形式化がされているといったことを東は論証していない以上、やはり語の使い方としては拙い部分もあるのではないでしょうか。
@sanyoutyuu 2010年5月7日
ainsophayaoさん、お教えいただきありがとうございます。なるほど、ポパーの言説が濫用されているのではなく、ポパー自身が濫用気味だったという話なのですね。
ヤマザキ @medium404 2012年12月6日
ゲーデル云々に関しては完全にはやしさんが正しいと思う。ただ、途中、「「真実などなく、あるのは言葉のある使われ方だけだ」とすれば、果てはポピュリズムのみ」みたいな言い方をしているけど、哲学で培われてきた方法論が、厳密な定義と論理関係による「論理構造」よりも、「言葉の使われ方」を重視するところにあったのは事実。これはいい加減なものではなく、言葉というものの作用を仔細に分析してきて辿り付いた手法(→解釈学)でもある。
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