産業革命とフランス革命とか

16世紀から19世紀のヨーロッパについて個人的に本で読んだこととか考えたことを書いていきます。
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孫二郎 @344syuri

産業革命はなぜイギリスで起こったか?の問いに「賃金がバカ高くて燃料がバカ安だったから」と答えたR.C.アレン 燃料を電気に置き換えればほとんどの工業国が機械化による失業に悩んでいることの説明になる点で凄い

2021-10-24 20:17:14
孫二郎 @344syuri

同じように賃金が高かったオランダは産業革命に至らず 炭田があったかなかったかも重要なポイントだが「地主の国イギリス」と「商人の国オランダ」の性格の違いも見逃せない

2021-10-24 20:29:41
孫二郎 @344syuri

イギリスは問屋制を駆使して少しでも人件費の安い農村部で毛織物工業が展開したのに対し オランダは都市部で毛織物工業が行われたため価格差で完全に売り負けた 機械化が始まる前から既に負けてた

2021-10-24 20:29:59
孫二郎 @344syuri

同時期のフランスはコルベールが旗振り役となって御用商人を頂点とする問屋制ネットワークを展開していてそれはそれでいいのだが なぜか生産したのは富裕層向けの高級織物という人件費の安さというメリットをぶん投げた商品で当然儲からず補助金漬けに

2021-10-24 20:58:24
孫二郎 @344syuri

補助金をじゃぶじゃぶ投入して補填していたコルベールがこの世を去ると問屋制ネットワークも瓦解してしまいましたとさ

2021-10-24 20:59:31

人ほど高いものはなし

孫二郎 @344syuri

ところで「なんでイギリスとオランダだけ賃金が高かったのか」という問題がまだ残っている。 その遠因は14世紀黒死病の大流行でヨーロッパ全土で人口が激減した時期に遡る。 疫病で労働人口が大きく減少したため、労働力市場はかつてない売り手市場になり、賃金は高騰した。

2021-10-25 19:19:54
孫二郎 @344syuri

その後疫病から立ち直るにつれ労働力は回復し、賃金も下落した。その中にあって高賃金を維持し続けた都市がある。ロンドンとアムステルダムである。 アムステルダムには八十年戦争を避けたアントウェルペンの商人や亡命ユグノーが流入した。ロンドンもまた亡命ユグノーを多く受け入れた都市であった。

2021-10-25 19:20:39
孫二郎 @344syuri

彼ら財産と技術力を持った新住民が都市内に工場を作り、失業者を雇用した。よって、人口増は雇用増によって相殺され、賃金は低下しなかった。 さて、ここで矛盾が生じる。互いに劣らず賃金が高いのであれば、イギリスがオランダに人件費の差で勝ったというのは理屈が通らないではないか。

2021-10-25 19:21:11
孫二郎 @344syuri

これをクリアするために、仮に「地主の国」「商人の国」という考え方をしたいと思う。

2021-10-25 19:21:51
孫二郎 @344syuri

オランダはブルジョワジーが政治を握っている商人の国である。彼らは都市に工場を抱えているため、工業が農村に移転してしまうことを喜ばない。 イギリスは地主貴族が政治を握っている地主の国である。彼らは自分たちの領分たる農村に工業が移転してくることは歓迎すべきことである。

2021-10-25 19:22:11
孫二郎 @344syuri

ゆえにイギリスではロンドンの工場が(賃金の安い)農村に下請に出すことは普通に行われていたが、オランダではそれは断固として阻まれた。 オランダのような工場制手工業は、旧来の理解に反して、イギリスのような工場制と問屋制のミックスよりも脆かったのであった。

2021-10-25 19:23:13

薄くて軽くてやわらかい

孫二郎 @344syuri

産業革命と言えば「旧毛織物」「新毛織物」という世界史用語を思い出す人も多いだろう。 旧毛織物は一般にはウールンと呼ばれる織物で、紡毛を使って織られた地厚で重い織物を指す。 新毛織物はウーステッドと呼ばれ、梳毛を使って織られた薄手で軽い織物を指す。

2021-10-26 19:05:06
孫二郎 @344syuri

ヨーロッパの人々は繊維と言えばまず羊毛を想像したのであり、布と言えばその毛を使って織られた旧毛織物を想像した。 (余談だが、バロメッツという怪物は木に羊が生るという珍妙な形態をしており、これは「毛の採れる木」(木綿)を聞きかじったヨーロッパ人の想像が生んだという。

2021-10-26 19:05:28
孫二郎 @344syuri

旧毛織物の生産はイタリア勢の独壇場であり、スペインやイギリスから輸入した原毛を加工し布としてヨーロッパ全体に、そして近東へも輸出した。 中近世にフランドルで織られだした新毛織物は薄く軽く、使う原料は20%、労働力は40%しか必要としなかった。まさに革命である。

2021-10-26 19:06:08
孫二郎 @344syuri

イギリスとオランダが熾烈な競争を繰り広げたのもひとえにこの新毛織物市場の覇権を握るためといってよい。 新毛織物は薄く涼しいため、市場としてはまず南欧が対象となった。同じように高温多湿のカリブ海やメキシコも有望な市場であった。

2021-10-26 19:07:09
孫二郎 @344syuri

ただし旧毛織物は消滅したわけではなく、寒冷な東北ヨーロッパではまだまだ需要が見込めた。 ここに注目したのは新毛織物市場で競争に敗れたオランダだったが、他にも有力な勢力はいた。しかしそれはかつての覇者イタリアではなかった。

2021-10-26 19:07:43
孫二郎 @344syuri

ヴェネツィアやジェノヴァは典型的な商人の国であり、その政治基盤は分散的で国家を挙げた巻き返しに出ることができなかった。その上その国力は小さすぎた。

2021-10-26 19:08:27
孫二郎 @344syuri

英蘭経済戦争に割って入った国、それは「君主の国」フランスであった。

2021-10-26 19:08:53

その男コルベール

孫二郎 @344syuri

フランスは中世から近代に至るまで欧州随一の大国である。農業生産力は抜きんでており、様々な手工業にも強みを持っていた。それは産業革命のカギとなる織物についても例外ではない。

2021-10-27 19:15:46
孫二郎 @344syuri

毛織物こそ英蘭両国の後塵を拝していたが、絹織物やレースの加工などはヨーロッパをリードする存在だった。ルイ14世時代、フォンテーヌブローの勅令で多数のユグノーを失ってすらそれほどの底力があったのである。

2021-10-27 19:16:16
孫二郎 @344syuri

そのルイ14世時代、フランス財政を一手に取り仕切っていた男がラシャ商人の息子から身を起こしたコルベールである。コルベールと言えば重商主義を連想するほど保護貿易の信奉者だった財政家だったが、それ以外にも多くの政策を実行している。

2021-10-27 19:16:49
孫二郎 @344syuri

パリにある各種工業のギルドを国有化し特権を与え、また業種ごとの中小企業に対する支配権を与えた。特権マニュファクチュアの誕生である。

2021-10-27 19:17:25
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