- hachisu716
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「よくお聞き。わたしはこれから死ぬだろう。幸福に生きたお前の、安らかな死を膝の上で看取ることがわたしの目標だったけれど、どうやらそれは叶わない。だから、憶えていて。十六夜咲夜を愛した、レミリア・スカーレットを。お前がわたしを忘れない限り、お前は永遠に、十六夜咲夜なのだから」
2020-05-24 17:12:20妖怪の消滅は人間からの完全な忘却を意味するわけだから、妖怪がみな消滅したら残された幻想郷の人間たちはみな妖怪にまつわる記憶がすっぽりとなくなってしまうんだけど、 だけど咲夜は一瞬忘れかけた自分の名前を思い出すことができて。
2020-05-24 18:15:19つまり彼女が十六夜咲夜だと自分を名乗る限り、彼女にそう名付けたレミリア・スカーレットのわずかな存在証明になるということ。 咲夜は誰に名付けられた名前か、もう思い出せなくなったとしても。
2020-05-24 18:16:54神隠しとは逆に、戸籍も縁者もまったく判明しない人間が村単位で一斉に現れて。 時間を超えて大昔に神隠しに遭った人間たちが出現したのでは、などとしばらくオカルトともSFともつかない考察に花が咲き、大きなニュースになったけれど、 時が立つにつれてそれも熱が冷えて。
2020-05-24 18:21:10博麗霊夢 霧雨魔理沙 十六夜咲夜 現れた人々は、みな少し変わった名前がついている。 東風谷早苗だけは親類が見つかり、やはり行方不明者が発見された神隠し、という見方が強まった。
2020-05-24 18:26:23〈幻想郷〉 そう呼んだのは、発見された行方不明者のひとり、当時まだ10代半ばほどの少女、博麗霊夢だっただろうか。 そこに暮らしていたのだと告げた彼女はもうそのことを忘れてしまっているけれど、メディアはその名前のキャッチーさを気に入り、行方不明者たちを〈幻想郷の人々〉と呼んだ。
2020-05-24 18:33:50一風変わった名前を持つ人々を幻想郷の人間ではないか、と囃すようになったのもこの頃である。 姓名を変え、幻想郷の人間を名乗り出す者も中にはあったという。
2020-05-24 18:38:21逆に〈幻想郷の人々〉は、他人のオカルトめいた興味の目に晒されるのを厭い、名を変えて生活しだすことも多かったという。 そんな中、十六夜咲夜は、かたくなに自分の名前を変えることをしなかった。 なぜか。 そう問われても、彼女にも答えることは出来ない。
2020-05-24 18:46:24ただ、彼女にとっては十六夜咲夜であることが重要で。 言葉少なであまり他者とコミュニケーションを取らない彼女は、誰に聞かれても、彼女の名前だけは名乗った。 まるで名を名乗ることが、彼女のすべてであるように。
2020-05-24 18:50:09彼女は不思議な習慣があり、満月の夜には、決まって月を見上げている。 幻想郷の人々には、そういう者が少なからずあった。 たいていはどちらかといえば、月と夜に怯えるような態度を取るものが多いのだが、博麗霊夢や霧雨魔理沙(※これは発見された当時の名である)などは、
2020-05-24 18:55:39どこか何かを期待するように、外を出歩こうとする傾向があった。 月と夜を恐れる者と、歓迎する者。 そのように兆候が分かれたように思われたが、解明には至らなかった。 十六夜咲夜は、今日も月を見上げている。 銀青の眸を、月長石のように、澄んだ透明にして。 まるで狼が月を見上げるように。
2020-05-24 19:00:44呼ばれるように。 そこに何らかの意味を、見出すように。 そのようにして、彼女は生涯、十六夜咲夜であり続け、月に意味を捜し続けた。 それは孤独な生涯だったはずだが、彼女はいつも満ち足りた表情をしていたという。
2020-05-24 19:04:28〈幻想郷の人々〉というものの存在自体が事実であったかどうかあやふやになり、今も数寄者のオカルト談義となって、僅かに生き残っている時代。 やがてそれも忘れ去られる日が来るのだろう。 彼らが忘れていった、 ──そう。〈妖怪たち〉のように。
2020-05-24 19:07:30