ただの西部劇オマージュではない?ネトフリ映画「ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野」レビュー

ネタバレ注意。あくまで個人的解釈です。
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

Netflixオリジナル映画「ザ・ハーダー・ゼイ・フォール 報復の荒野」を観賞。 面白かった。これはただ往年の西部劇をオマージュした娯楽映画ではない。2021年の「黒人映画」として脚本が丁寧に練り上げられている。 以下ツリーネタバレ。 pic.twitter.com/J28scKiqGd

2021-11-12 13:35:05
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ストーリーは表向き、特に目新しさの無い典型的な西部復讐劇の体を取っているがそれを最大限活かすアークを取っていないことが見ていて引っかかる。 要は復讐劇としてはそんなに「燃えない」。 主人公の復讐の念の強さや道中起きる出来事が復讐を盛り上げない。それ自体が作品のテーマとなっている

2021-11-12 13:35:05
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

往年の西部劇と言えば間違いなく白人文化のもの。今作には露骨に人種「区別」の演出が取られている。 白人のものだった西部劇を黒人文化に塗り替え見事に作り替える、これだけだったら今までの黒人映画と大して変わらない。 今作には「塗り替え」の愉悦と内省の両方が込められてる。

2021-11-12 13:35:06
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

植民地開拓で自らの文化圏を広げてきた白人文化圏では、復讐劇や敵を倒して成り上がるという物語は物凄くベター。西部劇もこういう物語が大半。 今作も表向きはこういう対立構造を取っているけど、ラストにそうではないことが判明する。 『主人公の家族の仇は自分の家族(異母兄弟)だった』というオチ pic.twitter.com/l8IXtNPq9V

2021-11-12 13:35:07
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ラスト、主人公は見事復讐を果たすのだけどそれがいまいちスッキリしない。 仇が言う「お前と俺には同じ血が流れている。お前が道を外せば外すほど俺と同じ立場になる。俺にとってはそれが復讐だ」と。 主人公はそれを否定しきれず、実の兄だったという仇を殺す。

2021-11-12 13:35:07
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

今までの白人西部劇なら、目的を達成し敵を倒してヒロインと去るハッピーエンド、というのが王道。 ところが今作は、終始「悪魔」と呼んできた仇を倒し、生還してヒロインと抱き合いヒロインが聞く「悪魔は去った?」 しかし主人公は「わからない」と答える。

2021-11-12 13:35:07
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

外敵を排除し征服することを「成果」とし続け、その犠牲になってきた黒人の映画人が、白人が紡いできた物語と同じ轍を踏むだけでいいのか。 「敵」を排除し続けても結局真の敵は己の中にいる、どこまでも否定しきれないルーツが追ってくる、そういうことを主張するラストになっている。 pic.twitter.com/fzMELvNW3t

2021-11-12 13:35:08
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

主人公は個人的な復讐は果たすが、あの町の行く末には一切関与していない。 あの街は買い上げの危機に晒されていて、街の外には金持ち白人の街が広がっている、というのが今作の世界観。主人公の暴力的な行いは結局利己的で、大勢を救う行為にはなっていない。その辺りにもアンチテーゼを感じる。

2021-11-12 13:35:09
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

終始腕自慢をしてるお調子者の仲間の一人が結局その腕を見せることなくあっさり殺される。これに対して「だからカッコつけるなと言ったのに」と言われる。 この辺りにも自我の肥大に対する内省的な視点が伺える。復讐劇としての盛り上がりよりテーマ性を重視している。 pic.twitter.com/dx98bNVKGn

2021-11-12 13:35:09
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

今作は復讐劇としてはなんとも妙な構造を取っている。 復讐ものの主人公は、復讐以外念頭になく、狂人のようにそれのみに没頭するという造型がベター。その念の強さがドラマを盛り上げるため。 ところがこの主人公はもはやセミリタイアしているところから始まる。

2021-11-12 14:00:27
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

要は冒頭植え付けられる復讐という動機が、本人の中では消化しきった状態で、昔の女にプロポーズしに来るという妙な地点から話が始まるわけである。 この時点で復讐劇として盛り上げる気はあまりないとわかる。『一度払拭したはずの過去が追ってくる』という構造を取りたいわけである。

2021-11-12 14:00:27
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

まだまだ根深く差別が残るとはいえ、世界的に黒人文化に対する理解はかなり進んできた現在。しかしそれでも油断は出来ず、まだまだ過去は清算出来ていないということのメタファーだろう。

2021-11-12 14:00:27
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

敵のボスが「土地の買い上げ」に抵抗しているという設定も、植民地化のメタファー。 一度手にした黒人文化の地位への冷笑的視点が映画の随所に散りばめられている。「カッコつけてると撃たれるぞ」と。

2021-11-12 14:00:28
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

バックがナットを拷問してる時に言う。 「ナポレオンは言った。開拓する世界がある限り私は止まらない。しかし終わりに達し無用の存在になれば簡単に消え去る、と」 「彼は自分を理解していた。自分の時代が永遠でないことを」と。 ここでも植民とその持続性について語っている。

2021-11-12 14:17:59
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

「白人の町」で主人公が鮮やかに銀行強盗をやる。 「強盗は簡単だ。一人も殺さずやるのが難しい」と白人達を威圧してドヤ顔するけど、それ自体もバックの思惑(道を踏み外させる)という構造も皮肉。 このバックという悪役の造型はかなり特殊。善悪の定義について深い所まで考えている。 pic.twitter.com/vRgWeB05EB

2021-11-12 14:59:28
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

最後の大銃撃戦に敵の親玉が一切加担せず、窓際でぼーっと立っているだけという「燃えない」展開も明らかに意図的。 ナットに強盗をさせてきたこの時点で彼の思惑は達成されているため。 力の誇示や暴力では何も解決しないということを十分分かっている悪。 pic.twitter.com/9JxkHjAo4E

2021-11-12 14:59:29
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

主人公のナットが、自分の両親を殺した仇のバックと大銃撃戦を交わし、見事倒してヒロインと荒野に去っていく。 こうすればそら娯楽映画としては面白かったはず。なぜそうしなかったのかが重要。 要はバックはナットのシャドウなわけである。『憎んだ相手と立場もルーツも同じになる気分はどうだ?』と

2021-11-12 15:15:44
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

これ自体、理解と差別とすれ違いを激しく行き来する現在の白人と黒人の関係性に対する冷笑的な皮肉、暗喩になっている。 スタイリッシュな演出の反面、内容はかなり理性的である。

2021-11-12 15:15:45
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

「西部劇」の定石を守っているようで崩し、暴力や復讐の再定義をテーマとし、民族的視座まで取り入れている本作の志は「許されざる者」に近い。 表面的なオマージュのカッコよさに惑わされずテーマの本質を見極める力が試される。 pic.twitter.com/8wdneswiUt

2021-11-12 17:54:03
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