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長音符の使用は、どこまで遡れるか?

片塩二朗氏の論考に端を発する、長音符「-」の発生に関する考証。17世紀末まで遡れるとは意外でした。それにしても、こうした実証がオンラインでできるとは、片塩氏などには恐ろしい時代になったのかも。
人文 音引き 日本語 表記 長音符
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2SC1815J @2SC1815J
片塩二朗氏のブログに『カタ仮名の音引き・長音符としての記号「ー」をつくったのは、1793年ころ、長崎の本木仁太夫良永であったのである』 http://t.co/uacwZuM とあるが、これは妥当だろうか。
2SC1815J @2SC1815J
例えば、既に1773年『解体約図』や1774年『解体新書』で「ー」の使用が確認できるし http://t.co/ES7qcw1 、本木良永自身も1774年『天地二球用法』で使用しているようだ http://t.co/WEW95pt (ただし例示した写本は書写期不明)。
2SC1815J @2SC1815J
本木良永『新制天地二球用法記』(1793年)の「和解例言」に見える「長ク引ク音ニハ引ノ字ノ傍リヲ取リテー此ノ如ク記シ」 http://t.co/Cb10mmP は、「ー」を発明した宣言として読むよりは、凡例として説明したものと捉える方が自然なのではないだろうか。
2SC1815J @2SC1815J
本木昌造の曾祖父である本木良永が長音符「ー」を発明したという片塩氏の話は夢があるし、先に挙げた例はそれを否定できるものではないが、片塩氏が指摘する1793年ころではなく、少なくとも20年は遡るものと思う。例えば『采覧異言』(1713年)などを確認してみたい。
2SC1815J @2SC1815J
長音符「ー」が「引」の旁から作られたとするならば、横書きのときに用いられる長音符はいつごろどのように成立したのだろうか。
UCHIDA Akira @uakira2
例えば『紅夷外科宗伝』 http://t.co/ipUrCDi 巻一にも長音符号が使われてますね。 @2SC1815J
UCHIDA Akira @uakira2
同意 @2SC1815J 本木良永『新制天地二球用法記』(1793年)の「和解例言」に見える「長ク引ク音ニハ引ノ字ノ傍リヲ取リテー此ノ如ク記シ」 http://t.co/mAgJFrP は、「ー」を発明した宣言として読むよりは、凡例として説明したものと捉える方が自然なのでは
Kazuhiro @kzhr
@2SC1815J @uakira2 氏はこれ以外に根拠をお持ちなんですかね?苦笑 長音符が引から来たというのはありうべきこと(cf. 遠藤2001関西大学文学論集50-3)ですが,1796写の大槻玄沢・昆陽漫録蘭説弁正に断りなく——註釈を入れるまでもなく——使われていますね(続
Kazuhiro @kzhr
@2SC1815J @uakira2 春日政治「仮名の沿革」には,そのもととなった昆陽漫録で使われていることが報告されています(華夷通商考でも用いられているらしきことが言われていますが,早稲田大のウェブサイトで見られる本には見つけられませんでした……)
2SC1815J @2SC1815J
.@kzhr ご教示いただいた1695年『華夷通商考』で「ー」の使用と思われる例がありました。「ラーウ」 http://t.co/S3QX8ad 「チヤーウ」 http://t.co/TonfZL1 (p3,p25にもあり)本木良永、まだ生まれてませんね。 @uakira2
Kazuhiro @kzhr
@2SC1815J @uakira2 あ,ありましたか。不注意でした。あまり長音符は研究がなく,用例を探すのはたいへんですが,蘭学のなかで産まれてきたものであり,だからこそ本木が使ったのだと言えるかとは思います
2SC1815J @2SC1815J
1695年『華夷通商考』での長音符使用例「ラーウ」「チヤーウ」は、1708年『増補華夷通商考』では「ラウ」「チヤ宇」と表記されている http://t.co/IC02lZX しかし『増補~』には別の使用例と思われる「モーウル」 http://t.co/6DVQykT あり。
2SC1815J @2SC1815J
@uakira2 1706年『紅夷外科宗伝』のご教示ありがとうございました。http://t.co/r8fGNR0 などに見える「コム(?)ス」のくの字点のような形をした部分、恥ずかしながら何の字か読めないのですが、これは片仮名の変体仮名でしょうか。
UCHIDA Akira @uakira2
不勉強にて確と申し上げられませんが、私も、くの字点ではないかと愚考します。 @2SC1815J http://t.co/UxxtKhf などに見える「コム(?)ス」のくの字点のような形をした部分、恥ずかしながら何の字か読めないのですが、これは片仮名の変体仮名でしょうか。
2SC1815J @2SC1815J
@uakira2 ありがとうございます。『ハルマ和解』に「コムコムス」に近い音で「komkommer 胡瓜ノ類」という項目 http://t.co/f0N1plK がありました。癰にキュウリを貼るというのは分かる気もするので、ならばあの部分はくの字点で良いのかもしれませんね。
2SC1815J @2SC1815J
岡島昭浩先生 @okjma から『華夷通商考』の「ラーウ」「チヤーウ」は長音符号ではなく本来はワル注記であるとのご指摘をいただきました http://t.co/I3Ngmzh 「近世唐音の重層性」 http://t.co/K6GgzC0 pp.37-38参照。勉強になります。
小形克宏 @ogwata
@2SC1815J @uakira2 @kzhr 「長音符の使用は、どこまで遡れるか?」 http://t.co/Qdi5ni5 に岡島昭浩先生がコメントしてくださっています。
小形克宏 @ogwata
@2SC1815J @okjma ただし、コメントの中でリンクされている「長音符」 http://t.co/loFshjQ では、『華夷通商考』の「ラーウ」「チヤーウ」を〈西洋語を寫す際に限り用ひ〉る長音符として紹介していますが…?
UCHIDA Akira @uakira2
うーん、1706年『紅夷外科宗伝』 http://t.co/UVeQIoE の「ヲヽ〓ミゼネーフル」が、この読みで正しければ、母音関係ないから長音符号じゃないかと思うのですが。 @ogwata @2SC1815J @okjma @kzhr
2SC1815J @2SC1815J
別資料では「ヲヽリヨセ子ーブル」 http://t.co/yKR5Umo 「ヲヽリヨシュニヘル」 http://t.co/tbdMlwa としているものですね。QT @uakira2: 『紅夷外科宗伝』の「ヲヽ〓ミゼネーフル」 @ogwata @kzhr @okjma
UCHIDA Akira @uakira2
そう言われてみると、『紅夷外科宗伝』も、よく見れば「ヲヽリヨゼネーフル」ですね。 @2SC1815J @ogwata @kzhr @okjma
岡島昭浩 @okjma
@ogwata @2SC1815J 吉澤義則「本邦音符考」は単行本所収が1927年で、唐音資料などがあまり見られていない時代のものなので、そこは問題あるわけですが、その他の資料についても言及があるので御覧下さい、という意味でした。
2SC1815J @2SC1815J
.@okjma 寛文十年版「慈悲水懺法」の印影未見のため分からないのですが、「旁音兩字中間豎用-此一画者」の「-」部分および用例箇所は、竪点のような短線で補助的に記されているのでしょうか、もしくは現在の長音符のような形状で記されているのでしょうか。 @ogwata
岡島昭浩 @okjma
@2SC1815J 該当箇所は http://t.co/M92SgR0 (沼本克明『日本漢字音の歴史的研究』p.1017による)。実際の使用例は今お示しできるものがありませんが、長かったり短かったり、という感じだったと思います。
岡島昭浩 @okjma
@uakira2 私が言及したのは、華夷通商考に対してのみで、ラ-ウはラオスであろうし、老とも表記される。チャ-ウは茶宇とも表記されるので、いずれも割って発音されるよう求めたと思いました。ただ、「本来は」であって通商考の版下筆者もそう思って書いた、とは断定せず、まして他資料は。
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コメント

岡島昭浩 @okjma 2011年8月28日
ラ-ウ、チャ-ウ、ロ-ウは、長音符号ではなく、ワル注記です、本来は。 寛文十年版慈悲水懺法の国字旁音例に、 ○凡旁音兩字中間 用-此一画者、開張上一字而呼之、蹙聚下一字而呼之。如ハ-ウヘ-ウ之類是也 とあるもので、ホーとか、ヒョーとか読むなという意図です。 http://ci.nii.ac.jp/naid/120000981590 なお、 http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/keyword/%E9%95%B7%E9%9F%B3%E7%AC%A6 も御参照下さい。
小形克宏 @ogwata 2011年8月30日
岡島昭浩先生がコメントしてくださって以降のツィートを追加しました。皆さんのおかげで大変勉強になりました。お礼申し上げます。
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