@venttalpo 武士道の根幹は君臣の忠節とか、そういう部分が強いと思います。一方で、騎士道の場合は割と君臣の関係とかはドライで、強調されるのは貴婦人崇拝的な部分かも。
2011-08-29 20:09:47.@venttalpo 100%あってるとは言わないでござるが。騎士は領地と民を守る為に主君に使えるもの。主君への思い入れは薄いイメージ。逆に武士は主君への恩義を一とする。でござるかなぁ。
2011-08-29 20:13:48@venttalpo 騎士の場合、絶対王政期を除いては王の権力がそんなに強くなかったというのもありますね。教会の力が強かったのもあって、「封建領主の盟主」ぐらいの扱い。
2011-08-29 20:22:23@venttalpo 中世は王の権力って、そうでもなかったんですよね。むしろ、諸侯の間での調整者的な側面が強かった。王権がそこから一歩抜けだすのが、絶対王政の時期になるんですよ。
2011-08-29 20:32:43@venttalpo まぁ絶対王政の前の時代が戦国時代ほど荒れてるかっていうとそうでもないのでござるけどね。でもフィリップとリチャードの時代の逸話は結構面白いでござるよー。王が敵国に捕まって身代金はらって自国に帰るとか。
2011-08-29 20:37:37@venttalpo まぁその間に捕まった王の弟がちゃっかり国を乗っ取ろうとしたんだけど……。みたいな話でござるけどなぁ。無能王ジョン(弟)と獅子心王リチャード(兄)、そして尊厳王フィリップ(敵王)の話でござるな。
2011-08-29 20:41:09@venttalpo ゲルマン人の侵入などでローマ帝国が滅亡、その後に紆余曲折の末に諸侯による統治が成立して、その中で教皇権の伸長と教会の権威の成立があって(有名なカノッサの屈辱は、王権を教皇権が屈服させた事件)、やがて十字軍や百年戦争などを経て絶対王政へ……という流れですね。
2011-08-29 21:28:13@venttalpo まぁ、ローマが滅亡してから小領主乱立の時代になって、イングランドやフランス、神聖ローマ帝国みたいな諸侯連合国家にまとまっていくんですが、頭の上にはいつの間にか教会が陣取ってた、という感じですね。
2011-08-29 23:18:50ヨーロッパの中世封建制から絶対王政への移行にあたっては、権力の中央集権化と常備軍の存在が大きい(領主の持つ軍備を常に圧迫できる)と思うのですが、多分ネタがそれほどひねり出せないので省略(ぇ
2011-08-29 20:34:34@genrousai 結局の所西洋は神が1人でありそれが正義である。でござるからなぁ。日本はそもそも神道と仏教があって神がまとまってない上に宗教の力もそこまで強くは無かった。でござるからして。あくまで武士道が発達した江戸時代は。でござるが。
2011-08-29 20:25:48@arcasia_arnum 宗教と、それによる権力構造の違いはすごく大きいと思うんですよね。日本は武士階級の上に宗教階級が乗っかることは少なかったですが、欧州は教会の権威が強くて、まず神への忠節を言われるような社会でしたし。
2011-08-29 20:27:24@genrousai 一応日本も宗教が武士階級の上に乗っていたと言えば乗っていたのでござるが。象徴レベルでござったからなぁ。天皇は神道のトップでござるからして。
2011-08-29 20:28:42@genrousai 日本は島国で攻められる事もあまりなかったけど。西洋は地続きが多くてある程度平和を保つための規範が必要だった。ってのもあるのかもしれんでござるなぁ。それが宗教に収束した。と。
2011-08-29 20:29:46日本でも戦国期は一向宗で似たようなことが発生してるでござるし。中国でも黄巾賊とかは前漢の荒れた時期に現れてるでござるし。情勢が不安定なほど人は宗教なんかの心の支えを求めるのかもしれん。でござるな。
2011-08-29 20:32:41