ドナルド・キーンが太宰治「斜陽」の「白足袋」を「white gloves」と訳したのは名訳か悪訳か
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ドナルド・キーンが太宰治「斜陽」の作中に出てくる「白足袋」を「white gloves(白い手袋)」と訳したことについては、日本人以外には意味不明の部分を、英語文化圏のものとして意訳したということで昔は名訳ということになっていました。
2021-12-05 18:12:59それについては映画にもなった『さゆり』という本の翻訳者・小川高義が『翻訳の秘密 翻訳小説を「書く」ために』(2009年)という本の中で否定的に語っています。その要約を述べるまえに、ちょっと太宰治「斜陽」に目を通してみてください。青空文庫に入ってますよ。
2021-12-05 18:13:20その中で「白足袋」が出てくる箇所は3つ。「おとし寄りの村の先生」「下の村の先生」「村の名医」と、これはすべて医者で、外回りの診察に行った(訪れた)ときのもの。
2021-12-05 18:13:38あのねえ、確かに白足袋ってのは普通の人は礼装として、特別な儀式とか非日常のときに、当時は履くものではありましたよ。ただそうじゃなくて、日常使いとして履く職業があるの。ウィキペディアでは「茶人や僧侶、能楽師、歌舞伎役者、芸人」というのが挙がってて、その中に実は医者もあるんだ。
2021-12-05 18:13:56もちろん、医者のすべてが白足袋で往診に行ったわけではないけど、白足袋だからといってそれが特別になにかの重要な象徴になっているわけでもない。やや形式張った、医者という職業にこだわってる人だろうな、という程度のキャラづけです。
2021-12-05 18:14:20「white gloves」というような英語化にこだわるなら、普通の人がみんな黒い手袋をしていて、その中で白い手袋をしている文化が、英語圏の中になければならない。自分の知っている限りではそのような文化はありません。
2021-12-05 18:14:49だからまあ、強いて英語化するなら「white shoes」ぐらいですかね。黒・茶色系統の靴は、英語圏の人も履いてるから。ただし医者が「白い靴」を履く文化があるかはわからない。
2021-12-05 18:15:03基本的に、文化は世界の見方(解釈)と結びついているため、学ぶことはできても違和感のような「感じかたの違い」みたいなものを理解するのは難しいです。
2021-12-05 18:15:35太宰治は白い足袋で、医者というものの違和感を、白足袋という、普通の人が履かない(普通は黒足袋なので)もので出したかったのだろうという想像はできます。しかし、現代日本では昭和20年代とは違って、和装で足袋を履いているような人物は、日常生活の中ではまず見かけません。
2021-12-05 18:15:56かろうじて見られるのは寄席の落語家ですけど、あの人たちは芸人なので白い足袋です。今、それと似たような違和感がある人物を立てるとするなら、医者の記号としての「白衣」ですかね。あるいは、黒系統の靴下を履いている女子高生の中で、白い靴下を履いている女子高生とか。
2021-12-05 18:16:24白い紙に赤い丸を描けば、日本人にとってそれは「日(太陽)」ですけど、たとえば青い紙に白い丸を書いて太陽とする文化、黄色い紙に黒い×を書いて太陽とする文化もあるかもしれない。
2021-12-05 18:16:53いちおう自分の考えとしては、ドナルド・キーンの訳は悪訳・誤訳ではなく「そのようにも解釈して英語化してもそんなに問題はないレベルのテキスト」です。
2021-12-05 18:17:03