先駆者・坪井正五郎らの活動
[坪井正五郎] 日本の人類学や考古学の創設にもっとも大きく貢献した人類学者 (1863-1913).学部生のとき,日本人類学会の前身である「じんるいがくのとも」を設立し,以降,雑誌の発行と学会運営に中心的な役割を果たします. #UMUTCG
2011-08-31 16:31:21[坪井正五郎] 学科はおろか人類学の教員もいなかった時代に,ひとり人類学専攻のために大学院入学を許可されました.卒業後はそのまま助手となり,3年間の英国留学の後,人類学教室の教授となります. #UMUTCG
2011-08-31 16:31:29[坪井正五郎] 日本石器時代人はコロボックルであるとするコロボックル説を提唱したことでも有名です.盛んに研究を行ない,人類学の普及教育にも努めますが,50歳のとき,万国学士院連合大会に出席するため訪れたペテルブルグにて客死してしまいます, #UMUTCG
2011-08-31 16:31:39[坪井正五郎] - (Wikipedia) http://t.co/44kv5Zl - (はてなキーワード) http://t.co/DsFUTX5 - (kotobank) http://t.co/l0SCkjV #UMUTCG
2011-08-31 16:31:47[八木奘三郎] 創立時から人類学会や人類学教室に関わってきた考古学者 (1866-1942).人類学教室にははじめ小間使いとして在籍し,坪井正五郎のもとで研究を進めました. #UMUTCG
2011-08-31 17:03:17[大野延太郎 (雲外)] 明治の黎明期から人類学教室に所属していた画工・考古学者 (1863-1938).日本各地の遺跡の発掘調査に携わり,精緻な図を数多く残しています. #UMUTCG
2011-08-31 17:04:16[大野延太郎 (雲外)] 大野雲外筆の口絵 (東京大学総合研究図書館) http://t.co/YDwphLS 郷土史の黎明 -PDF (丹後市) http://t.co/587NEG1 #UMUTCG
2011-08-31 17:04:23[日本人類学会] 日本でもっとも古い学会のひとつ.1884年,当時東京大学理学部生だった坪井正五郎らにより結成された「じんるいがくのとも」が前身です.1886年には「東京人類学会」に名称変更し,第1号の雑誌を出版.後の日本考古学会なども人類学会から派生しました. #UMUTCG
2011-08-31 16:30:31[日本人類学会] 黎明期の主要な研究テーマは,土器,石器,人骨,獣骨,生体計測,比較解剖学, 言語学,民族調査など多岐にわたっていました.当時は,学会創立者の坪井をはじめ,解剖学の小金井良精,多くの海外調査を行った鳥居龍蔵なども活躍しました. #UMUTCG
2011-08-31 16:30:41[日本人類学会] 日本人類学会の歴史 (日本人類学会) http://t.co/pLsWpBz 寺田和夫 『日本の人類学』 角川書店 1981年 #UMUTCG
2011-08-31 16:30:50[土偶] 坪井正五郎が収集した土偶.坪井は土偶から先史時代人の生活習俗を読み取ろうと試みました.展示第三室の展示ケース上部に,坪井による先史時代人の復元図が描かれていますが,髪型には土偶との対応が見られます. #UMUTCG http://t.co/oodwwts
2011-08-31 15:11:21[先史時代人復元図] 展示第三室の展示ケース上部に描かれている復元図は,坪井正五郎が描いたもの.坪井は土偶から先史時代人の生活習俗を読み取ろうと試みていました.第一室にある土偶との対応が注目されます. #UMUTCG http://t.co/AihFLk7
2011-08-31 15:11:43[注口土器] 茨城県・福田貝塚から出土した縄文時代後期の注口土器.福田貝塚は,坪井やその門下生が発見し,1894年に発掘が行われました.同年に東京人類学会雑誌に石版画とともに報告された優品. #UMUTCG http://t.co/wmfFjQM
2011-08-31 15:12:10[西ヶ原貝塚] 東京都北区にある縄文時代中期から後期の貝塚.明治期に,大森貝塚以来日本でほぼ初めての本格的な発掘が行なわれました. 西ヶ原貝塚 (北区飛鳥山博物館) http://t.co/XckcqCY #UMUTCG
2011-08-31 17:20:57