キャンセルカルチャーと不買運動〜不買運動に倫理性はあるのか?

キャンセルカルチャーの方法論として不買運動(買うな買わせるな)が盛んなように見えますが、不買運動はどのような場合に倫理的正当性を持ちえるのでしょうか? 経済学の初歩的な観点から考察を加えました。
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はるかかなた @isawmydevil

以下、引用である。 『キャンセル・カルチャーによってできることは限られる。また、場合によっては「キャンセル」されると、副作用として社会的に抹消された人に注目が集まり、結果的にキャンセルへの反発が出ることで、かえってその人の成功をbolster(助長する)こともある。(1/)

2021-12-09 07:09:34
はるかかなた @isawmydevil

例えば、今年カントリー音楽の歌手モーガン・ウォーレンがracial slur(特定の人種に対する侮辱的な発言)を行った際、ラジオ局は彼の歌を流さず、ストリーミングサービスも彼の歌をプレーリストから削除した。そして、レコードレーベルからは契約も打ち切られた。(2/)

2021-12-09 07:09:52
はるかかなた @isawmydevil

しかし、その後の数週間のうちに、彼のアルバムが数千枚販売され、彼の名を一躍有名にした。』(3/) globe.asahi.com/article/143380…

2021-12-09 07:12:06
はるかかなた @isawmydevil

いうまでもなく、戸定梨香のケースを想起させる指摘である。キャンセルカルチャーはその批判の対象をエンパワー(援助してしまうことがある。それはなぜか。 おっちょこちょいだった、テヘペロだったという話しではない。そこには原理的な要因が作用している。(4/)

2021-12-09 07:18:50
はるかかなた @isawmydevil

不買運動としてのキャンセルカルチャーは、経済学における購買と不買の違いを理解していないように思われる。 ごくわかりやすくいうと、ほとんどの商品は“買われる”よりも“買われない”方が多いということである。(5/)

2021-12-09 07:24:42
はるかかなた @isawmydevil

試しに自分が今週一週間買ったり物の中で、買った人の数が、買わなかった人の数よりも多かった物を探してみるとよい。ただちにそのような物がほとんどないことに気がつくであろう。 それでは「買わない人の数の方が多い」殆どの商品は倫理的に誤った商品なのだろうか。無論そんなことはない。(6/)

2021-12-09 07:31:29
はるかかなた @isawmydevil

そもそも『不買』の本質を検討してみてほしい。物を買わないのは、それが私にとって必要ないからである。私にとって不買運動が真に意味を持つのは、私にとって必要な物を、倫理のゆえに買わないときである。 そもそも私にとって不要な物は倫理以前の問題として、私は買わないのである。(7/)

2021-12-09 07:35:28
はるかかなた @isawmydevil

従って萌え絵を「倫理的な理由から」不買することに主張性を求める人間は、そもそも萌え絵が自分にとって必要な物だったかを表明する必要がある。 大抵の場合、彼らの不買することの後付けの説明であって、彼らの不買に倫理的な要請がなかったことがただちに明らかになるであろう。(8/)

2021-12-09 07:38:41
はるかかなた @isawmydevil

彼らの主張を正しく訂正するなら、「萌え絵は私たちにとって必要なかった。これからもそうである」ということである。 不買運動は、その主張の倫理的な正しさと関係がない。倫理的必然性がないゆえに、ランダムな確率でむしろその商品の需要を喚起してしまう。(9/)

2021-12-09 07:45:39
はるかかなた @isawmydevil

なぜなら「その商品を購買しないと、その商品が消えてしまうという危機感から、その商品を購買する必要性」を掘り起こしてしまうからである。 不買運動には原理的に倫理的圧力をかける作用がない。そしてそこに満足しない人間はやがて表現の弾圧へ段階を前に進めてしまう。(10/)

2021-12-09 07:48:48
はるかかなた @isawmydevil

不買運動が不買運動で収束した試しはない。歴史的にはアメリカのラッダイト運動、最近ならば中国当地の日系企業の店舗が襲撃された事件を想起するとよい。不買運動の無力さが、やがて暴力の生みの親となる。しかも当人たちはそれが不買運動の延長であると信じて疑わないのである。(11/)

2021-12-09 07:54:07
はるかかなた @isawmydevil

そこに不買運動としてのキャンセルカルチャーをマネジメントすることの難しさがある。エシカル消費は成立するが、エシカル非消費を倫理的に意味ある形で成就化させることには相当の困難が伴う。そこに無自覚な人間は、やがて統制困難な自らの暴力性と向き合わなければならなくなるであろう。(了)

2021-12-09 08:02:04