- noricksakurai
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枢軸小国の降下猟兵部隊を調べてみると編成時期の遅いほどドイツ式になってる。チェコスロヴァキアの場合は国がなくなる混乱のなかで、戦前の研究は雲散霧消してしまった。スロヴァキア軍としては1942年10月に「空挺訓練センター」が開設され兵員の募集が始まり、装備はドイツとイタリアに交渉した。
2020-12-04 23:52:01このスロヴァキア空挺の記事読んでると、最初スロヴァキアがパラシュート等の機材や装備の支援を要請したら断ったくせに、今度はイタリアと交渉を始めたら突然態度変えたドイツは何考えてたんですかね…
2018-10-05 23:25:28結局ドイツとの交渉がまとまり、最初の4名の降下訓練は1943年6月12日からドイツ本国の「第2降下猟兵学校」(Fallshirmjägerschule II)で開始され7月8日に終了した。1943年10月18日に「空挺訓練センター」はバンスカービストリッツァ南郊のトリデュビー飛行場に移動し本格的な訓練が開始された。
2020-12-04 23:57:541943年12月「降下学校」と改名され1944年8月までに約80名の降下猟兵が訓練を完了した。1944年8月のスロヴァキア軍蜂起の際にはトリデュビー飛行場を守り、スボレン~ クレムニツァ間の鉄道沿いからGajdel村、Jasenovo村、Svätý Kríž村などで戦い、その後はゲリラ戦に移行し11月中旬に部隊は解散した。
2020-12-05 00:03:18中隊規模のスロヴァキア降下猟兵の装備は完全にドイツ式で、識別点は空挺ヘルメットのスロヴァキア国章のみだった。実戦降下することはなく、唯一の実戦がドイツ軍相手の武装蜂起という末期戦的な展開で、強国の都合で翻弄される小国の悲哀を感じさせる。
2020-12-05 00:15:05中隊規模のスロヴァキア降下猟兵の装備は完全にドイツ式で、識別点は空挺ヘルメットのスロヴァキア国章のみだった。 pic.twitter.com/Uu5QpZ4YdH
2021-12-30 16:35:14WW2スロヴァキアの空挺部隊。通常の降下に加え夜間降下訓練も受けていたが、44年のスロヴァキア蜂起では少数が歩兵として蜂起軍に加わり、その後もゲリラとして戦い続けたらしい。ヘルメットのエンブレム以外ほぼドイツの降下猟兵の装備とほぼ一緒のようだけど、そのせいか精鋭ぽく感じさせてくれる pic.twitter.com/skYjXamy1r
2018-10-05 19:49:38スロヴァキア軍蜂起の際に「第2チェコスロヴァキア空挺旅団」がソ連軍の援軍として降下学校のあったトリデュビー飛行場に空輸された。10月26日にドイツ軍の戦闘団「シル」が占領するまでに2,000名以上が空輸されたが戦況に寄与できず、撤退の際に後衛を務めた程度で以後はゲリラ戦に移行した。
2020-12-05 14:37:53スロヴァキア蜂起でソ連軍が蜂起軍支援として送り込んだ第2チェコスロヴァキア空挺旅団は女性の空挺兵が何人か存在してたけど、彼女達も一緒に降下したのか気になって寝れない。
2019-01-11 23:43:00@zdv300 チェコスロヴァキア軍団のスナイパーなのですねこの女性 名前はValentine Binevska 当初は看護師で入隊したのが射撃の腕を認められて狙撃手に転属。後に降下訓練も受け、44年のスロヴァキア蜂起の際は第2チェコスロヴァキア空挺旅団で戦った経歴の凄い人っぽいですね。 pametnaroda.cz/en/binevska-ho… pic.twitter.com/uVLkEvOaEH
2019-10-06 18:11:01