うつ病の精神病理、その基礎障碍-時間、道徳、体感
気まぐれ「うつ」病―誤解される非定型うつ病:貝谷久宣 http://t.co/09595lq 非定型うつ病については,一般向けにはこの本が良いと思います.私の興味としては,下に書いたような鉛様麻痺の思想史/精神医学史を描いてみたいのですが,時間がなくまだ先になりそうです.
2011-09-04 22:43:14非定型うつ病:貝谷久宣 http://t.co/xtB8HcK 新書じゃなくて詳しく知りたいという向きにはこちらをお勧めします.
2011-09-04 22:44:22日本のうつ病の精神病理ってメランコリー親和型(という神話)に支配され続けてきたわけで,非定型うつ病なんて認めない(少なくとも内因性じゃない)っていう見方も多いのかもしれません.しかし,こういう風に体感に注目して,19世紀からの「裏うつ病精神病理学」を抽出する作業は面白いかな,と.
2011-09-04 22:55:12ああ,書き忘れてたけど新型には精神分析的なhystérieの構造をとるものも多いと思います.いつ「症例ドラは新型うつ病だった!」(疲労感があって他責的なので)みたいな論文が出てくるかとわくわくしているw
2011-09-04 23:21:02いつか書こうと思って,アンナ・Oに与えられた診断を網羅的に調査したことあるんですけど凄いですよ.統合失調症から,脳炎,結核性髄膜炎,てんかん(しかもGeschwind症候群!),気分障害,ヤク中,BPDから虚偽性障害まで,時代ごとに流行りの診断の博物館状態.
2011-09-04 23:27:13未熟型うつ病と双極スペクトラム―気分障害の包括的理解に向けて:阿部隆明 http://t.co/o1340jl うつ病の基本障害については,ドイツ語圏だけだが,この本の7章にまとまっていた.そして圧倒的にシャープだった.
2011-09-05 17:15:05時間の解像度が粗になる/密になるという見解
制止=時間モデルは生物学的障害を想定しやすいので,その是非はともかくとして,ヤスパースの教科書を読みながらもう少し考えてみる.時間の停滞と加速というよりも,時間の解像度が粗になる(うつ)/密になる(躁)とみた方が正確かもしれない.
2011-09-05 17:55:41CPUのクロックと同じで,単位時間あたりに処理できる量が少ない/多いと.うつ病では,一定の時間に処理できる作業量が下がる(精神運動制止).外から見るとフリーズしているかのように見えて,極端になると本当にフリーズする(昏迷).
2011-09-05 17:55:49本人が外部の客観的時間との関係で比較すれば「周りから遅れをとる」という体験だろうし,反対に1クロックあたりでみれば「時間がどんどん過ぎていく」という体験になる.逆説的だけど,体験をどこから見るかによって表現はかわる.
2011-09-05 17:55:58この制止=時間モデルでいくと,反対に,躁病では時間の解像度が密になり,同じ時間で物凄くたくさんのことができる(気がする).だから観念奔逸するし,「俺はなんでもできるぞ」と誇大的になる.でも所詮オーバークロック状態だから,演算ミスするわけですね.
2011-09-05 17:56:19イメージしやすいように具体例を出すと,『ジョジョ』のザ・ワールドです.あれは,承太郎はちょっと動けるわけですから,単に時間を止めているのではなくて,時間の解像度を無限近くまであげて,周囲にとっての一瞬のあいだにたくさんの時間を体験するとみた方がいい.
2011-09-05 17:56:30フィクションにおける「時間を停める」表現は,鑑別診断が可能です.ザ・ワールドの場合は,止まっているあいだに「なんでも出来る」わけですから躁病性.ドストエフスキーが記述する癲癇の前兆「一秒間が無時間,永遠と体験される」という表現は恍惚としてるだけなのでてんかん性のもの.
2011-09-05 17:56:41でもこの辺の議論は微妙です.ミンコフスキーなんかは,躁病とうつ病の時間体験を反対のものとしてみることを批判していますし,文脈は違いますが木村敏先生も「躁はうつの反対ではない」と強調します.躁病とうつ病を反対のものとしてみる視点は,フロイトはそれに近いです.(ついでにラカンも)
2011-09-05 18:14:01フロイトとラカンが躁とうつを反対のものとして捉えたっていうのはこういう意味.うつ(メランコリー)では,失われた対象(a)を主体が自らすべて引き受けなければならない.一方,躁病では対象を無視(メコネサンス)してその重圧から自由になる,と.両者ともこんなふうに説明してます.
2011-09-05 18:23:58テレヴィジオン:ジャック・ラカン http://t.co/2goGnUp ラカンは躁病性の観念奔逸について微妙なことを言っていて,いわく,躁病では対象を無視する道徳的に臆病な態度ゆえに,無意識=言語の排除が起こり,その言語が回帰してきたのが観念奔逸なのだ,と……
2011-09-05 18:33:16混合状態について
Variétés de l'humeur: Jacques-Alain Miller(ed.) http://amzn.to/hZkYcQ Cause編,「気分のいろいろ」.セルジュ・コテの混合状態論が面白い.ビンスワンガーの躁うつ病症例のオルガ・ブルムが分析されている.つづく
2011-01-28 15:41:45病理の中核は,対象aとの生の同一化である.これが享楽の拍動を起こさせる.これは父への同一化と父の棄却のあいだで揺れるオルガの家族コンプレクスや,観念奔逸(言語の回帰!)と身体衰弱のあいだの反復往復運動としてあらわれる.躁的防衛の理論は,この排除と回帰の往還を問題にできない.
2011-01-28 15:49:06コテはビンスワンガーの「躁病とメランコリーのアンチノミーは,躁病とメランコリーのあいだだけにあるのではなく,躁病それ自体,メランコリーそれ自体のなかにもまた現れている」という議論,つまり躁ーうつの変動を両者の内部にも認める混合状態論を引用して,それを享楽の問題系から捉え直す.
2011-01-28 15:43:57