私にとって「怒り」とは、何の論理的脈絡もなく唐突に生じる生理身体的反応に他ならず、だから例えばコンビニで買ってきたお好み焼きに突然激怒したりする。そこで、ふざけんなよ!と叫びながら鰹節を叩きつけ、あおーと叫びながら大量のソースとマヨネーズをぶち撒け、泣きながら食ったら元気になる。
2021-12-31 23:47:50私の「怒り」とはこういうものなので、普通の人に生じるらしい個人的関係にまつわる怒りなどは、ほとんど理解できない。サティを入れようにも、そこに怒りの原因などは存在せず、敢えて特定しようとすると非常に遠い論理的連関(三日前の食事とか)を探ることになる。 twitter.com/Taroupho/statu…
2021-12-31 23:51:04しかし「虫の居所」という言葉もあるが、普通の人にとっても「怒り」というのは、本当は大抵そんなもんじゃないのかね。ただ、みんなお話をつくるのがあまりにも上手いから、自分の生理身体的反応をもお話にしてしまう、というだけのことで。 twitter.com/Taroupho/statu…
2022-01-01 00:13:49私は幾らかの怒りが何らかの出来事の認知によって引き起こされるように仕組まれていると信じているので、怒りを(それがどの認知に引き起こされたのだろうかと)解釈する。 しかし、信じているだけで検証したことがないので、やってみてもいいかもしれない。 twitter.com/Taroupho/statu…
2022-01-01 00:20:00怒りが生じるときには、いつも、それが妥当と言える出来事の認知が先行しているか。 しかしまぁ、かなり困難な偏見との戦いだな……
2022-01-01 00:22:24私にとって興味があるのは、むしろどのような認知が先行していれば、それが「妥当な」ものとされることになるようないかなる文法が、「怒り」という概念を可能にしているのだろうか、ということです。なぜお好み焼きに突然怒ることが(言語の標準的な運用として)許されないのか、という問題です。 twitter.com/nakahata106/st…
2022-01-01 00:57:18世の中には、お好み焼きに突然怒る人と、お好み焼きに突然怒らない人とが存在しそう。そして面白いのは、恐らく「お好み焼きに突然怒らない人」の方がふつう「怒りっぽい人」であろう、という事実。私なぞ、全然怒りっぽくないからね。
2022-01-01 01:03:57ニーチェが『道徳の系譜』で洞察したように、「よい」という言葉に二重の意味があるとするならば、もちろん「不正」にも二重の意味があることになるだろう。ein schlechtes Okonomiyaki は存在しても、ein böses Okonomiyaki は存在しえない。劣悪への怒りは、不道徳への怒りよりも、高貴ではある。
2022-01-01 01:19:47とはいえ、別にお好み焼きが不出来だから怒っている訳でもないんだよなあ (お好み焼きが不道徳だから怒っている訳ではさらにないとしても)、というポイントは、問いの階梯を一つ登らせるであろう。 twitter.com/Taroupho/statu…
2022-01-01 01:27:42しかし精神安定剤が颯爽と登場して、これらすべてを解決する。なるほど精神安定剤とは「良い」(「善い」ではない!) ものである。アルプラゾラムのことを、われわれは “ラムネ” と呼んでいる。
2022-01-01 01:40:19そういや以前、酒場での投げ銭形式のパフォーマンスで、カゴにお金じゃなくてトリアゾラム(ハルシオン)の錠剤を入れて行った人を見たことがある。粋なことをする、と思った。
2022-01-01 01:51:30@Taroupho あることが起きている。 それは、嫌なことである。 その原因は、私の悪い行い以外にある。 私は私の(そしておそらくは一般の)怒りがこれらの条件に合うことが認められたときに起こると考えています。 さらにいっそう妥当となるのは、その原因が、私以外の悪い(あるいは非常識な)行いにあるときかと
2022-01-01 01:09:15まさにその「悪い行い」の、「悪い」及び「行い」のそれぞれの本質的意味が、ここで問われているということになりますね。 twitter.com/nakahata106/st…
2022-01-01 01:21:44嫌なことが起こる∧そしてその原因は私の過失(どうにかできた範囲?)にない→怒りは妥当。 嫌なことが起こる∧そしてその原因が誰かの過失(〃)にある→怒りはいっそう妥当。 これらが悪いの内実だということでしょうか。 あと、行いの本質的意味がどこで問われているか教えてもらえると幸いです twitter.com/Taroupho/statu…
2022-01-01 01:52:20しかし、よくよく思い返してみると、起きたことについて嫌だと思うことが怒りが起こる十分な条件かと思っていたけれどこれは違うかもしれない 起きたことについて理不尽だと思うことこそが怒りが起こる十分な原因かもしれない。
2022-01-01 02:08:25「X の “原因” が Y の過失(=悪い・意図的・行為) にある」というのは、非常に複合的かつ複雑な状況である、と、少なくとも多くの分析哲学者は思うと思いますよ。加えてお好み焼きは、何も “行なえ” ませんし、ね。 twitter.com/nakahata106/st…
2022-01-01 02:04:28@Taroupho ありがとうございます。行いの方の問題(言葉の粗さ)も見えてかと思います。 また、どうしてか、私は私がお好み焼きに怒らないと確信しているようだもいうことも、わかった気がします。
2022-01-01 02:12:16しかし、これが、本当に(物心ついてから一度も)お好み焼きに怒ったことがないのか、それを見逃しているだけなのか、それもわからない(たぶん前者、お好み焼きに怒れないんだと思うんだけどなぁ)
2022-01-01 02:14:58しかし世の中には、意図的行為でなくとも(「未必の故意」ですらなくとも)道徳的批難をする人がいますね。これはもっと厄介だ。なぜそんなことに怒りの感情が湧いてくるのか、私には、かてて加えて想像ができない!
2022-01-01 02:07:33まさにこれは、己の予測に従わないからだと思う。 やはり、予測に反することに怒るようにできているのでは、と思ってしまうが、これはちょっと話が(いわゆる進化論的に)できすぎていて怪しくもある(話のために無視している事実が多々あるかもしれない) twitter.com/Taroupho/statu…
2022-01-01 02:29:57もちろん、この怒りは(けっして)妥当ではない。 予測に反することと非合理であることは一致しない可能性もあるから しかし、いちいち非合理であることを確かめてから怒るというのも(いつもそうだとは)考えにくいということ
2022-01-01 02:36:46要するに、中畑さんのお考えは二段構えなのですね。つまり、まず「怒り」がある、そしてそれとは別の水準で、そこには「妥当な怒り」と「妥当でない怒り」とがある、と。しかし「怒り」がもし情動反応それ自体なんだとすれば、情動反応に対して妥当性を問うのは、いささかカテゴリーミステイクな気も。 twitter.com/nakahata106/st…
2022-01-01 02:45:58@Taroupho ありがとうございます。そうかもしれません。 そうじゃないように思われる根拠としては、これまた厄介ですが、妥当ではない(と私が考えている)怒りをあらわにした(ことが後で分かった、妥当だと思って怒ったがそうでなかった)さいに恥ずかしく思うことがあります。
2022-01-01 09:32:22