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「対象に対して警戒を絶やさずそれが何かを隠しているのではないかと疑い続けること、隠された次元を発見するという目的を持ってテクストや社会現象と向き合うこと」 批判の行方:『エクリヲ vol.12』「ポストクリティーク――いま批評には何ができるのか」 ecrito.fever.jp/20200527220039 @ecrit_oから
2021-12-27 22:36:58このあたりがよくある批評のスタンスなんでしょうが、たしかにこうまで明言されてしまうと、今日批評の人気が落ち続けている理由まではっきりしてしまうよな。。
2021-12-27 22:42:29批評も本格ミステリと同じで、時代にあわせてアップデートしていくべきものなのだろうな。批評家がキチンと向き合わないで、「懐疑の解釈学」とか言い続けてたら、なかなかヤバそうな感じよな
2021-12-27 23:13:15ポストクリティークの議論を読むほどに、ここで批評の終わりと名指されている現象が、ポストモダニズムの終わりであり、後期クイーン的問題(≒新本格ミステリ)の終わりでもあるという事がよくわかるな。
2022-01-02 13:11:49批評の終わりに対する石田英敬の処方箋が「メタに立て」ていうの、後期クイーン的問題の神視点による解決と同じでこれじゃない感が凄くないですか?
2022-01-02 13:15:37千葉雅也がすこしまえに、理系は自然を記号化し、文系は記号を自然化する。だから文系は難しい的な話をしてたんだけど、もし「フィードバック」なる記号も理系的に考えてはならない。隠された意味を暴露せよ、なんて言われたら、結局のところ文系は「懐疑の解釈学」って揶揄されるしかないわけですよ。
2022-01-02 16:14:14セジウィックがパラノイアックな読解に「愛」を対置したあたりのも、東浩紀の後期クイーン的問題の「愛」による解決を思い出して、ああ…ってなった
2022-01-02 13:29:22ポストクリティークについて、フェルスキの議論には同意できない印象があるが、内容がはっきりしないので本論を読む必要がありそうな。何かしら発見はありそうな予感はするかな。ラトゥールの議論はクリティカル(批判的/臨界的)の駄洒落だったな。。
2022-01-05 18:30:29うーん「テクストを解剖し診断するだけでなく敬意と配慮と傾注をもって扱うと同時に、文学テクストから情報や現実逃避の快楽を得るといった一般読者の日常実践を尊重しようというのが、フェルスキの主張の要諦である」
2022-01-05 21:27:33セジウィックーフェルスキのラインは「情動論的転回」と括られているんですか。それは「懐疑の解釈学」に対置するにはちょっと弱そうな転回なのではなかろうか。。
2022-01-05 21:34:13ポストクリティークとポストトゥルースとの違いは、真理を目指すか目的を目指すかの違いというのはよくわからんが、たぶん気分というか、決意表明みたいな話なんだろうな。それ主観ですけどね。
2022-01-06 18:00:16批評的は構成的だと思うので、真理を目指すと言われると違和感があるのだよな。自身の言論に反証実験や再現実験ができるとか思っているのだろうか。
2022-01-06 18:23:18