特別戦隊「グラウコップ」
- noricksakurai
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「中央軍集団の後ろの方」の続きで1942年以降を調べてるんだが、やっぱ「東部大隊」やらないわけにいかないだな。最貧ネタではおなじみだけど、いざとなると日本語で読めるのはなかなかなくてWebだとこちら osttruppen.militaryblog.jp/e536445.html 書籍では内田さんの「枢軸の絆」 amzn.to/2LgSWNz
2020-05-11 16:52:51おなじみの「ラスカン」シリーズにも度々登場する割に文字通り部隊ごとに分散配置されているため、全体のことはよくわからない恨みが(汗 昔のコマンドマガジンに載った山崎さんの「東方大隊」の記事が今では貴重品で戦闘序列は重宝している。調べたら1995年の記事だった。
2020-05-11 16:58:37中央軍集団戦区で最初にまとまって活動を始めるのが「ロシア国民軍」。こいつらが反乱・寝返りを繰り返すとんでもない奴らで、1942年末には解散させられ、残った東部大隊はフランスへ送られましたとさ。(めでたしめでたし・・・
2020-05-11 17:07:34特別戦隊「グラウコップ」(Sonderverband Graukopf)はロシア人義勇兵による特殊戦部隊として1942年3月に中央軍集団戦区、ベラルーシのオシントルフ村に本部を開設し、「ロシア国民軍」(Rosskia Natisionalnaya Naraduaya Armiya=RNNA)と自称しました。 spiegel.de/fotostrecke/so… via @derspiegel
2020-06-07 01:50:19兵力は最大で約4,000名の5個大隊まで拡大されましたが、脱走や寝返りが頻発しすったもんだの挙句1942年11月には本部が解散され、大隊は通常の5個東部大隊(第633~第637東部大隊)に再編され「第700特別編成連隊」に配属されてパルチザン掃討作戦に投入されました。
2020-06-07 01:59:241943年11月、第633~636東部大隊はフランスに送られました。第637東部大隊はフランスには送られず、後に東プロイセンで第3戦車軍に配属されました。 そしてフランスに送られた4個大隊は1944年6月からの連合軍の大陸反攻でひどい目にあうことに・・・
2020-06-07 02:02:02第633東部大隊 フランス北西部の第7軍に送られ、1944年4月19日に第343擲弾兵師団の第852要塞擲弾兵連隊第4大隊として配属されました。 師団はブレスト港地区で包囲され、ブレストは1944年9月19日に陥落しており、師団は9月29日に正式に解隊されました。
2020-06-07 02:04:00第634東部大隊 フランス北西部の第7軍に送られ、1944年4月19日に第265歩兵師団の第895擲弾兵連隊第3大隊として配属されました。師団の一部はサン・ロー地区に送られましたが、師団本隊はロリエン(Lorient)~サン・ナゼール(St. Nazaire)地区で包囲されたまま終戦まで戦いました。
2020-06-07 02:08:25第635東部大隊 フランス北西部の第7軍に送られ、第84軍団戦区で第752特別編成擲弾兵連隊(Grenadier-Regiment z.b.V. 752)に配属されてコタンタン半島のサン=マロ湾沿岸で沿岸警備任務に従事しました。大隊は1944年6月には壊滅したようで残余は他の東部大隊に編入されました。
2020-06-07 02:09:50第636東部大隊 フランス北西部の第7軍に送られ、ロリアン(Lorient)、サン・ナゼール(St. Nazaire)、キプロン湾(Quiberon)及びダンケルク(Dunkirk)などに中隊単位で分散配置されていたようですが詳細はわかりません。
2020-06-07 02:10:41中央軍集団で東部大隊の受け皿となっていた第700特別編成連隊(正式名称:第700特別編成東部部隊司令部)も43年11月にフランス北西部の第7軍に異動となり、44年2月には「第752特別編成東部連隊本部」へと改称されました。
2020-06-08 00:39:16第752特別編成東部連隊本部は第84軍団戦区であるグランビル(Granville)地区で44年3月11日から兵員の訓練を開始し、5月18日には編成を完了して「第752特別編成擲弾兵連隊」へと改称されました。連隊はコタンタン半島のサン=マロ湾沿岸に広く展開して沿岸警備任務に従事しました。
2020-06-08 00:41:18