
【資料集】【未完成🍊】【求む!新情報!】日本の古代(平安時代)と中国の春秋時代、儒教の「魯」まとめ!周公旦と孔子の国からの渡来人はどこに消えた?魯の名酒とか余談付き
-
rjOS4KioohAPKSU
- 1614
- 2
- 0
- 0
電源切れそうなのですこしまっててね
未完成!

まとめの記述やツイート間違えたけれどどこで間違えたか忘れたのだ。 桓武天皇(長岡京&平安京、百済の渡来人の子孫、久々の天智朝)→平城天皇(この自体にやべー倭漢の家系図がはやる)→嵯峨天皇(ちゃんと家系を確かめるため新撰姓氏録)
2022-01-16 22:01:07諏訪家は諏訪大社&手塚治虫の一族。
片倉家は片倉部(かたくらべ)で諏訪大社の同族、養蚕と生糸の大財閥。

諏訪家や片倉家の家系図とかを探していたら、南北朝の北斉や公孫淵(しかも燕国を日本が承認していた証拠付き!)の子孫が出てきたでござる、の巻。
2022-01-16 10:26:02
公孫淵の子孫を探してただけなのにどうしてこんなに苦しまなくてはいけないのだ?呪い?(日本史の「魯王」が他の本にはなんて書いてあるのかとかわからなくて頭が壊れるのだ)
2022-01-17 01:05:35
日本史クラスタ、家系図クラスタ、古代史クラスタ…… 歴史ファンの皆様、大同四年の「魯王」が、歴史学ではどういう扱いなのか教えてほしいのだ(確実に漢と呉の魯王は無関係)。 そして寝かせてほしいのだ!
2022-01-17 00:58:39このまとめは『日本姓氏録』まとめの、資料集(スピンオフ)です。
平安時代までの日本の歴史的資料における、「魯」国のデータの簡易まとめです。さらなる情報求む!
簡単に言うと、「魯」は古代中国の「周」(夏、殷または商の次)から引き継いた小国(周から封じられた部下の国)で、儒教で理想とされる国です。首都は孔子の故郷、「曲阜」。
有名人は開祖にして周王族の「周公旦」と「孔子(孔丘)」。他にいるかな……
平安時代までの日本史と中国春秋の魯国のまとめ
前提
(魯という漢字は「捨てる」「『ロ』という音」という意味があるので、そのへんの利用は省略)
六国史と日本外史
便利なソース
Wikisourceの六国史

引用『辛亥。勅。倭漢惣歴帝譜圖。天御中主尊標爲始祖。至如魯王。呉王。高麗王。漢高祖命等。接其後裔。倭漢雜糅。敢垢天宗。愚民迷執。輙謂實録。宜諸司官人等所藏皆進。若有挾情隱匿。乖旨不進者。事覺之日。必處重科。』
2022-01-16 08:23:36
『日本後紀』巻十七 「勅して、倭漢惣歴帝譜圖は、天御中主尊を標して始祖と為し、魯王・呉王・高麗王・漢の高祖命等に至るが如く、其の後裔と接る。倭漢雜糅、敢(あえ)て天宗の垢(よごれ)となり、愚民迷執し、輙(すなわ)ち實録と謂ふ。」 bit.ly/1Jx4d6Y
2022-01-12 23:52:59「平城天皇が『魯王』とか渡来人と天之御中主神(古事記最初の神様、鎌倉時代から信仰が広まる?)を結びつけた家系図を排除した。」
(根絶。どこかに残ってないかな?)

ここでの順番は「魯王、呉王(夫差か孫呉)、高麗王(韓半島からの渡来人もいるからね)、漢高祖命(もちろん劉邦!ミコトってよばれてるのはなぜ?)」だとか。 魯王は諸侯国にしては格落ちだし、春秋時代の魯だと思うのだ。 ではなぜ最初に魯王?
2022-01-16 08:41:22

嵯峨天皇の「新撰姓氏録」では「魯王」は百済の魯王(正体不明)、劉璋の祖先(漢室)、そして正体不明の魯の白龍王(これも漢室らしい)しかいない。 しかし嵯峨天皇の前の平城天皇の時代に広まった怪文書には、漢の劉邦(高祖)、呉王(夫差?)、高麗王を差し置いてトップに出てくる名家……
2022-01-16 07:32:46子孫じゃなくて祖先だし劉璋じゃなくて劉琮!
(自分の読んだ別の資料だと漢字がネットのと違い、佐伯本と菊亭本?どちらも劉璋の祖先じゃなくて青州の劉琮の子孫で漢の子孫だと強調、荊州牧・劉表と蔡瑁の姉の息子。三国志演義の新野の劉備の話、「髀肉の嘆」エピソード。)
(魯王が当時尊い家系だと思われていた、または魯王の子孫の渡来人がこの図に関わっていた?)
ちなみにWikipedia古事記、日本書紀(特別扱い)には載っていないけれど、『新撰姓氏録』まで他に天之御中主神の記述やその扱われ方って不明?
(漢文が読めないので適当に抜粋、後で読む)
奉勅。孝愼等。遥慕聲教。凌蜃闕而頻來。尋懷順歸。辞龍郷以□至。忠節之効。矜恤可量。况魯侯再朝。春秋無貶。唯國有兇喪。年屬荒侵。將全舊儀。何苦黎庶。宜殊加迎接。權停入都。