しずかな肩には 声だけがならぶのではない 声よりも近く 敵がならぶのだ 勇敢な男たちが目指す位置は その右でも おそらく そのひだりでもない 無防備の空がついに撓(たわ)み 正午の弓となる位置で 君は呼吸し かつ挨拶せよ 君の位置からの それが 最もすぐれた姿勢である (石原吉郎「位置」)
1年の初めを何処に置くかは、民族により、時代によって異なる。候補は4つ(夏至、冬至、春分、秋分)だが、最もはっきりしている画期は、太陽の死と再生つまり冬至である。しかし、(普通は)植物の生長・結実・収穫という季節の節目=祭儀に隠れている。 pic.twitter.com/5vKpDekCrU
2022-01-22 05:24:13希臘は麦の刈り入れ時(つまり夏至の頃)を年初とした。秋の収穫時を年初とするのはユダヤ教(出エジプト23:16、34:22)であるが、後(ソロモーンの時代以降)に、春を年初とするバビロニア暦に合わせたという(スキアパレリ『旧約の天文学』)。 図はbit.ly/3fJNtOv pic.twitter.com/j92hNgmxPK
2022-01-22 06:44:41ローマ暦も本来は春(マルティウス月)が年初であったが、カエサルの改暦のとき、冬至の祭儀であるヤヌアリウス月に移したという(ダンカン『暦をつくった人々』)。いわば冬至祭が復活したかたちである。 中国の年初も似ているが、原理はまったく違う。 pic.twitter.com/hyPUob9vP1
2022-01-22 06:58:28北斗七星は大熊座の背中からシッポにかけての部分に該当するが(左図)、柄杓の柄の部分の端の2星が何処を指すかで月を決める。すなわち、開陽・揺光の2星を一直線に結んだ方向(斗建)が寅の方向を指したときが正月である。図は bit.ly/33XoSD2 から拝借、加筆。 pic.twitter.com/RfFvzcMVNP
2022-01-22 07:17:15この北斗七星が「山田の案山子」の発想の根だという説を紹介したが(ネリー・ナウマン『山の神』邦訳p.352以下)、あまり賛同者はいないらしい。いずれにしても、(この星座が一部地平線下に沈むくらい)南方系の発想であることは間違いない。 pic.twitter.com/5wHRNwvDnK
2022-01-22 07:44:40ギリシアはおそらくエジプトの影響を受けて夏至を基準にしたが、1年の初めは夏至に近い新月の日を元日とし、この月をἑκατόμβαιος μήν(百頭の牡牛の月)と呼んだ。百頭の牡牛を犠牲に捧げて盛大に祝ったことに由来するという。太陽暦を採用した後も、月の重要さに変わりはない。
2017-08-11 05:42:09メソポタミアでは、春分に近い新月の日を以て元日とした。バビロニアに捕囚されていたユダヤ人は、これをニサンの月として受け容れた。エジプトでは夏至が問題であったが、それよりも重要であったのはシリウスのheriacal risingであった。この日がエジプト暦の正月(トトの月)の元日。
2017-08-11 05:31:16ユダヤ暦
ユダヤ暦(太陰太陽暦)。月齢観測による太陰暦では季節とのズレが次第に大きくなってしまうので、太陽暦との差を調整する暦法。イスラエルでは祭礼の為、今日でも使用されていますが、日本では明治改暦で公式に廃止。伊勢神宮暦は基本的にユダヤ暦(太陰太陽暦)と同一。但しユダヤ暦ではキシレが年始。 pic.twitter.com/gE3yCFUcHe
2020-12-22 09:40:10ローマ暦
うるう年には何故2月にうるう日が入るのか? これは大昔の古代ローマ暦が関係します。当時は年の初めはMartiusの月で、これは英語のMarchの語源です。当時はうるう月があり、調整は12番目のFebruariusの月(Februaryの語源)と年始のMartiusの月の間でした。なのでうるう年の調整はこの時期になるのです。
2021-02-03 06:37:002月の日数が少ない理由は古代ローマの暦の歴史を踏まえれば理解できる。前154年までのローマでは現在の3月に当たるMartius(マルティウス)「マルスの月」に始まり、2月に当たるFebruārius(フェブルアーリウス)「フェブルア祭の月」に終わる太陰太陽暦が使われていた。
2014-03-01 22:06:40この形式は春の始まりである3月を年始とする伝統に由来している(建国当初は農閑期である現在の1~2月には暦が存在せず、春めいてきたころに王が新年を宣言する形が採られていたという伝説もある)。
2014-03-01 22:16:09しかし前153年以降、ローマ暦は現在の1月に当たるJānuārius(ヤーヌアーリウス)「ヤーヌスの月」を年始とする形に改められた。これは公職者の任期が1年間だったという事情と関係があり、その就任開始時期を多忙な春から農閑期の冬にシフトさせるという狙いがあったといわれている。
2014-03-01 22:21:57またヤーヌスは物事の始まりと終わりを司る神でもあったので、宗教的な理由が加味されていた可能性もあるかもしれない。民間では3月を年始とする習慣が後の時代まで続いていたらしい。この変更によって現在の7~12月に相当する月は名称と順序が一致しなくなった。
2014-03-01 22:31:33たとえば現在の9月に当たるSeptember(セプテンベル)は数詞のseptem(セプテム)「7」に由来していることからもわかるように「7番目の月」という意味だが、これは「マルティウスから数え始めて7番目の月」と考えればわかりやすい。
2014-03-01 22:37:28この時代までのローマ暦は3, 5, 7, 10月が31日、1, 4, 6, 8, 9, 11, 12月が29日、2月が28日の合計355日を基本とし、必要に応じて閏月を挿入する太陰太陽暦だった。
2014-03-01 23:01:551か月の長さが月の満ち欠けに由来していることはmensis(メンシス)「暦月」がμήνηやmoonと同語源であることからも理解できる。月や年の長さが奇数を基本としている理由ははっきりしないが、偶数を避ける古い習慣によるものだという説もある。
2014-03-01 23:27:09また基準日であるNōnae(ノーナエ)とĪdūs(イードゥース)の配置はこの時期までの月の長さと明らかな関係があり、小の月(28~29日)では5日目と13日目に、大の月(31日)では7日目と15日目とされていたので、この不規則な日数の並びは祭祀上の理由で生まれたものだと思われる。
2014-03-01 23:32:22しかし適切な閏月の運用は困難であり、時には政治的な理由で恣意的な閏制の適用が行われたこともあったため、暦と季節の不一致は次第に無視できないものになっていった。
2014-03-01 23:41:23